表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『星を紡ぐ右腕 〜追放された魔導技師、壊れた右腕で世界を繋ぐ〜』  作者: 鍼灸師いのぴー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/34

第19話:世界損傷(ワールド・コラプション)

《整合性維持率:49.999999%》

《臨界点を突破》

《安全機構:応答なし》

《警告:現実のレンダリングを維持できません》

《これより──世界損傷(World Corruption)フェーズへ移行します》


世界構造の最深部で、整合性維持率50%を支えていた最後の防壁が、静かに、しかし致命的な音を立てて爆砕した。

それは、これまでの「バグ」や「ループ」といった生易しいものではなかった。世界を構成するソースコードそのものが直接虫食いのように破損し、王都の現実が文字通り『腐食』を始めたのだ。


「あ、ああ……! 腕が、俺の腕が……っ!」

王都の目抜き通りで、悲鳴が上がった。

一人の男が、自分の右腕を掴んでのたうち回っている。その腕は、肩から先が丸ごと「セピア色の文字列」へと変質していた。肉も骨もなく、ただ意味をなさない壊れたシステムログの羅列が、男の体の一部として蠢いている。

周囲の風景も同様だった。石造りの美しい建物は、壁のテクスチャが剥がれ落ち、その奥にある「虚無の黒」が剥き出しになっている。触れれば、音もなく指先が消滅する絶対の空白。

重力ベクトルすらもが破損し、ある路地では雨が下から上へと逆流し、またある路地では、歩こうとした人間の体が真横へと滑り落ちていく。

世界は、物理法則という名の仕様を、完全に忘却しつつあった。


しかし、最も悍ましいデータ破損は、人間の「存在アイデンティティ」そのものに及んでいた。


「……お前、誰だっけ」

長年連れ添ったはずの夫婦が、市場の瓦礫の中で互いの顔を見つめ合っていた。

「私は、あなたの妻の……。いや、違う。私は……私は確か、西の防壁を守る『兵士』だったはず……」

女が自分の頭を抱えて呻く。世界OSのメモリが完全に混線オーバーフローを起こした結果、人々の記憶や役割のデータが、隣り合う他人のデータと強制的にパッチワークのように結合されていた。

昨日の敵が、今日の家族になり、見知らぬ老人の記憶が、幼い少女の脳内に流れ込む。

自分が誰であるかの証明アイデンティティすら、世界という巨大なハードディスクの破損によって、消し飛ばされ、書き換えられていく。


王都は、生きながらにして壊れていく「データの墓場」と化していた。


「アレン……! アレン、助けてくれ……!」

狂気と化した街の中を、人々はなおも、世界の絶対基準であるアレンを求めて彷徨っていた。

だが、そのアレンの周囲の空間こそが、最も深刻な『現実汚染』の中心地だった。


「みんな、大丈夫……大丈夫だよ、今、直すから……」

アレンが、必死に右腕を突き出す。

けれど、真鍮の指先から放たれる修復の光は、もはや現実を元通りにすることはなかった。アレンが右腕を振るうたび、修復されたはずの空間は「過去のデータ」と「現在のデータ」が無理やり二重露光されたように、歪に重なり合って静止した。

百年前の王都の風景と、現在の崩壊した街並みが、同じ場所に同時に出力され、空間が激しく明滅する。アレンという基準値が参照するべき『正解』そのものが、世界OSのハングアップによって完全に喪失していた。


その時、降り注ぐ文字の豪雨──エレノアの《感情ログ》が、一斉に質量を持ち始めた。


『忘れたくない』

空から降ってきたその文字列が、石畳に触れた瞬間、青く淡い光を放つ質量を持った「結晶」へと姿を変えた。

街のあちこちで、人々の想いの残骸が、物理的な物体として実体化していく。それは触れると、消されたはずの「エレノアとの記憶」が、暴力的なまでの感情の濁流となって脳内に直接ロールバック(逆流)してくる精神の地雷だった。


「……ああ、そうだ。俺は、あのコを……エレノアを、忘れたくなかったんだ!」

結晶に触れた騎士が、涙を流して叫ぶ。

しかし、記憶が戻った瞬間に、世界OSはそれを『不正なデータ』と判定し、彼の存在ごと現実から強制消去デリートしていく。

想い出せば、消える。想い出さなければ、人間ではなくなる。


「どうして……どうして、みんな消えちゃうんだ」

アレンの足元にも、無数の青い結晶が転がっていた。

彼は、その中の一つ──最も強く、最も優しく光る結晶の前に、吸い寄せられるように立ち止まった。

その結晶の表面には、システムログの体裁で、こう刻まれていた。


《ありがとう、アレン》


「え……?」

アレンの胸の奥が、あり得ないはずの激痛に引き裂かれた。

彼の記憶の中に、そんなログ(記録)は存在しない。世界OSによって、エレノアに関するデータは全てクリーンアップされているはずだった。

なのに、その結晶を見つめるアレンの瞳から、一滴の涙が零れ落ちる。

「これ……は何の、エラーなんだ……? 僕は、誰にお礼を言われているんだ……?」


デバッガーであるはずの少年自身が、最大の未解決例外(エレノアへの想い)に直面した瞬間だった。

少年の真鍮の右腕が、狂ったような警告音を鳴らし、火花を散らしてショートし始める。


同時に、王都の虚空に、もはやエラーログではない、冷徹な「世界の死亡宣告」が文字として浮かび上がった。


《重大なシステムファイルが破損しました》

《現実のレンダリングを停止します》

《全因果チェーンの凍結を開始》


世界から、完全に音が消えた。

その瞬間、世界は二度と起動できない深淵へ沈み始めた。




(第19話・了 / 次回「第20話:再起動不能ブート・フェイラー」へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ