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『星を紡ぐ右腕 〜追放された魔導技師、壊れた右腕で世界を繋ぐ〜』  作者: 鍼灸師いのぴー
第1章:神の玉座編

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第14話:不正アクセスの例外処理(エクセプション)

世界の深層。

誰にも知覚できない、果てのない白い仮想空間。

そこでは、世界の因果を規定する無数の青白い文字列が、星の流れるような速度で明滅を繰り返していた。


《最適化フェーズ:04を実行中》

《不要履歴を検出》

《旧権威構造との関連性:99.98%》

《対象:エレノア・ローゼンベルクの記憶領域──》


消去命令デリートのシークエンスが走り、その青い文字列が彼女の概念に触れた、その瞬間だった。


チカッ、と。

空間全体が、不自然な赤色に爆ぜた。


《ERROR》

《対象オブジェクトを定義できません》

《識別名:エレノア・ローゼンベルク》

《状態:記述中 / 同時観測中》

《──警告:観測者による自己参照ループを検出》

《削除処理を中断アボートします》


世界OSは、初めて処理を停止した。

“不要”と断定したはずの情報を、対象自身が強烈に観測し、記述し、現実として固定し続けている。

その矛盾を、システムは処理できない。

消去できない、だが最新バージョンには適合しない。

世界システムが初めて直面した、致命的な『例外エクセプション』の誕生だった。




その歪みは、現実世界へ即座に『処理遅延ラグ』として顕現した。


「……え?」

学園の回廊を歩いていた平民の生徒が、突然、足を止めて虚空を見上げた。

白い壁面の一部が、まるで古い静止画のように一瞬だけ「静止」し、次の瞬間、昨日アレンによって消去されたはずの、貴族専用だった『栄誉の聖堂』の大理石の扉が、半透明な残像となって激しく点滅したのだ。


「おい、今、何か見えなかったか……?」

「いや……気のせいだろ。なんだか急に、頭が痛くなって……」

人々はこめかみを押さえ、脳を襲う奇妙な同期不良に顔をしかめる。

エレノア一人の執念が、世界最適化の歯車を、確かにバグらせ始めていた。




大図書室の最奥。

エレノア・ローゼンベルクは、激しい目眩に襲われていた。


机の上のインク瓶に手を伸ばした瞬間、指先がピタリと止まる。

(……私は今、この黒い液体をどうするつもりだったかしら?)

数秒のフリーズののち、ハっとしてノートを引き寄せる。開いたページには、びっしりと旧世界の歴史が書き込まれていたが、その緻密な筆跡を見た瞬間、見知らぬ他人の記録を見ているような、奇妙な疎外感が脳を掠めた。


旧世界を自身の脳内に「再キャッシュ」し続ける引き換えに、彼女の正常性は内側からサラサラと削り取られていく。


記述アーカイブ成功……。聖堂の扉、よし……。次は……次は、何が消えたの……?」


ガタガタと震える手でペンを走らせ、ふと、また動きが止まる。

エレノアは引きつった笑みを浮かべたまま、自分の左手を見つめた。


「私の……名前。ローゼンベルク、の前の……私の、ファーストネームは……何、だっけ……?」


彼女はもう「世界の住人」ではない。旧仕様を繋ぎ止めるための『外部ストレージ』になり始めていた。


「エレノア、どうしたんだい? そんなに古いノートを抱きしめて。ひどい顔色だよ」


通りかかった同僚の図書委員が、本気で彼女を心配して声をかけてくる。

エレノアは縋り付くように言った。


「ねえ! あなた、昨日まで中央広場にあった『建国記念碑』を覚えているでしょう!? ほら、七聖家の紋章が刻まれていた──」

「建国記念碑? 何の話だい? 広場には最初から、綺麗な噴水があるだけじゃないか。それに、七聖家って……我が国には歴史上、四大公爵家しか存在しないよ。疲れているんだ、少し休んだ方がいい」


哀れみの目を向けられ、エレノアの背筋に冷たいものが走る。

現在の上書きされた世界と、彼女の脳内ログの辻褄が合わない。彼女はもう、周囲から見れば「会話の噛み合わない狂人」だった。それでも、彼女が記録を止めれば、世界は完全に均一化される。

彼女は震える手で、再びペンを握り直した。




同じ頃、学園の裏手にある、静かな薬草園。

夕食のスープに彩りを添えるため、新しく市場で買ってきたハーブの苗を植えようと、アレンはシャベルを手に土を弄っていた。


「うん、ここの土は少し水はけが悪いな。ここの仕切りを少しずらして、流れを真っ直ぐにしてあげれば──」


「──見つけたぞ、世界の汚染源バグが」


低く、憎悪に満ちた声が、茂みの奥から響いた。

現れたのは、身分を隠す黒い外套を纏った、大教会の私兵と失脚した貴族の生き残りたち、総勢十数名。


「貴様だ……貴様がその不浄な右腕で何かを始めてから、我らの特権も、聖遺物も、すべてが狂い始めた。貴様という異常値をシステムから物理的に削除すれば、世界は元の正しい姿にロールバックするはずだ!」


彼らは狂信的な目でアレンを睨みつけ、一斉に暗殺魔術の触媒を掲げた。

「撃てぇぇぇぇッ!!」


大気を焦がすほどの、禍々しい漆黒の炎槍が、無防備なアレンの背中に向けて放たれる。


だが。

アレンの髪一筋にすら、その呪詛が触れることはなかった。


フッ、と。

空間の音そのものが消えた。


「……がっ?」

次の瞬間、先頭で魔術を放った男が、間抜けな声を上げて自身の右腕を見つめた。

男の右腕が、肘の先から──まるで“最初からそこには何も存在していなかった”かのように、唐突に消滅していた。


血は出ない。肉も裂けない。悲鳴を上げるための断面すら存在しない。

ただ、「そこに腕という概念が無い」のだ。

男が放ったはずの炎槍の魔術式も、術者を失ったことで空中でデジタルノイズのように霧散していく。


管理者権限メンテナーへの不正アクセスを検出》

《攻撃プロセスを即座に隔離(サンドボックス化)》

《危険コードを検知。当該オブジェクトの存在定義を削除します》


それは暴力による迎撃ではない。世界OSによる、淡々とした「仕様違反の修正」だった。

アンインストールの進行に伴い、侵入者たちの『自己定義』すらもが急速に崩壊を始める。


「ま、待っ──」

隣にいた別の襲撃者が恐怖に目を見開いたが、その言葉の途中で、彼の「口」という概念ごと顔面から消去された。


「お、俺たちは……大教会の……」

そこで、男の言葉が完全に止まった。


──大教会?

大教会とは、一体何だ?

なぜ、自分はこれほど激しく怒っていた?

なぜ、自分は目の前の少年を、狂うほどに憎んでいた……?


男の脳内から、自らを突き動かしていた大義も、歴史も、そして強烈だったはずの「憎悪の理由」さえもが、ただ綺麗な空白へとパージされていく。彼は自分が誰を殺そうとしていたのかさえ思い出せないまま、モザイク状のノイズとなって掻き消えた。


その圧倒的な異常性を前に、最後尾にいた男が恐怖に顔を引きつらせ、逃げ出そうと踵を返した。

だが、彼が踏み出した一歩は、地面に届かなかった。

気づけば、夕日に伸びるはずの彼の「影」が、足元から忽然と消滅している。


「え……?」

男が呆然と呟いた瞬間、ノイズを放つことすらなく、彼の衣服と肉体が、最初からそこには何もなかったかのように静かに虚空へ融け去った。カツン、と、主を失った頑丈な革靴だけが、不自然に土の上に取り残され、転がった。


最高権限を持つアレンへの攻撃は、世界システムにとってただの『悪意ある脆弱性攻撃』。ゆえに、その起動プロセスごと、存在を「強制終了タスクキル」されたのだ。


わずか数秒。

薬草園には、風に揺れる葉の音だけが残されていた。

最初から、そこには誰も襲撃にすら来ていなかったかのように、土の上には足跡一つ残されていない。


「あれ……?」

アレンが、ふとシャベルを止めて、不思議そうに後ろを振り返った。

「今、なんだか急に、すっと寒くなったような……気のせいかな」


アレンは真鍮の右腕で首を傾げると、すぐにまた、楽しそうにハーブの土を弄り始めた。

「よし、これで水が滑らかに流れるようになったぞ。明日のスープが楽しみだな」


土を叩き、満足そうに微笑む少年。その口元から、静かに、一点の曇りもない言葉が零れ落ちる。


「やっぱり、無駄が減ると、みんな嬉しそうでいいよね」


アレンは、100%の善意でそう言った。

悪意など微塵もない。ただ、彼のその『価値観』そのものが、不要なものを一切許さない世界OSの冷徹な思想と、完全に、寸分の狂いもなく同期していた。


彼は知らない。

自分がハーブを植え替えるように、世界が裏側で、彼の邪魔者を静かに間引き続けていることを。


世界はなお、最適化を続けている。

ただ一つ、“削除できない記録”を抱えたまま。




(第14話・了 / 次回「第15話:未定義の応答アンサーログ」へ続く)

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