第12話:レガシー環境の強制終了(シャットダウン)
「……これは、最適化などという生易しいものではない」
学園の最高会議室。
大教会監査官は、ガタガタと歯の根を合わない音を響かせながら、手元の報告書を見つめていた。
「“世界そのものが、使用者を選ばなくなっている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)”のだ……」
昨日、第一演習場のコンロが直され、男子寮の古い給湯管のネジが締め直されてから、学園中の魔導環境は狂い始めていた。
いや、狂ったのではない。
平民の放った拙い呪文が、途中の詠唱ミスを自動で無視し、最高貴族が放つそれと全く同じ精度と威力で発動している。
特権の証明であったはずの高位魔術が、利便性という名の濁流に押し流され、誰にでも扱えるコモディティ(一般品)へと成り下がろうとしていた。
貴族理事たちが「首謀者を殺せ」と喚く中、彼らはまだ気づいていなかった。
これが、世界OSによる『レガシー環境の切り捨て』の序章に過ぎないということに。
同時刻。大図書室のテラス。
エレノア・ローゼンベルクは、もはや震えてすらいなかった。
彼女の手元には、新しく用意された真っ白な革表紙のノート。
そこには、アレンの今朝の行動が、分単位で、異様なまでの緻密さで記録されていた。
『08:02──アレン、中庭を通過。直後、中庭の地脈抵抗値が30%減少』
『08:45──アレン、教室内で筆記魔導具のインク詰まりを解消。直後、同学年の平民全員の記述魔術成功率が微増』
エレノアは気づいてしまったのだ。
アレンが何かを「直す」たびに、世界はその場所を起点に、ドミノ倒しのように仕様を書き換えていく。
つまり、アレンの行動ログをつぶさに記録することは、この世界の『次のアップデート内容(未来予測)』を読み解くことと同義だった。
「私は、あなたを否定しない……」
エレノアは、トパーズのような瞳を怪しく光らせ、ペンを走らせる。
「私は、ただ世界が書き換わる瞬間を、最も近くで数えるものになる……」
それは、プライドをへし折られた天才お嬢様が、その高すぎる知性の果てに辿り着いた、狂気的な『観測者』への転向だった。
「あ、やっぱり。最近、朝の鐘の音がちょっとだけズレてたんだよね」
昼休み。アレンは学園の中心にそびえ立つ、巨大な『校内時計塔』の最上階へと足を運んでいた。
大がかりな理由などない。
ただ、今朝、寮の食堂の時計が三分ほど進んでいたせいで、いつも楽しみにしている「朝の干し肉スープ」の配給が、アレンの目の前でタッチの差で閉め切られてしまった。それが少しだけ、悲しかった。ただ、それだけだった。
「クロムおじさんの工房の置時計も最近ズレるって言ってたし……よし、ちょっと見てみよう」
時計塔の心臓部。
そこには、国中のあらゆる術式の「時間軸」を同期させるための超大型儀式魔導具『時刻同期円盤』が、厳かに脈動していた。
国家のインフラとも言える神聖な魔導具。
しかし、アレンが真鍮の右腕の指先をその文字盤に当て、内部の構造を「視覚化」した瞬間、アレンはひどく困ったように眉根を寄せた。
「うわあ……なにこれ。すっごく効率が悪い……」
アレンの右腕が感知したのは、目を覆いたくなるような無駄コードの山だった。
本来なら一瞬で済むはずの時間同期プロトコルの内部に、悍ましいほどの「余計な処理」が埋め込まれている。
『大教会監査官の承認ラグ(待機命令:120秒)』
『上級貴族への血統優先同期処理(if:純血貴族=優先度・高)』
『御前会議用の儀礼用遅延処理』
「これ……時計の機能を動かすためじゃなくて、“偉い人を気持ちよくするための処理”が多すぎるよ……」
アレンはため息をついた。
大教会や貴族たちは、あえてシステムを複雑化し、わざと数秒の「同期ズレ」を放置することで、“このズレを御せる者だけが偉い”という権威の基盤を作っていたのだ。
だが、アレンにはそんな政治など関係ない。
時計がズレていると、スープが飲めなくて不便。インフラエンジニアである彼の動機は、それだけで十分だった。
「こんな無駄な待機処理、全部バイパス(直結)しちゃおう」
アレンは工具箱から一本の小さなレンチを取り出すと、同期円盤の底にある、血統認証用の古い真鍮のネジに引っ掛けた。
読者が、そして世界が、心の中で「やめろアレン!!」と悲鳴を上げる。
しかし、少年の指先には何の躊躇もなかった。
カチ。
ネジが、滑らかに、本来あるべき正しい位置へと締め直された。
──その瞬間、世界中の『時間』が、完全に消失した。
アレンが直したのは、ただの学園の時計塔だ。
しかし、その時計塔は、国中、いや世界中のすべての魔法術式が「基準」として参照している中央サーバー( NTPサーバー )だった。
世界中で、あらゆる「魔法のタイムラグ」が同時にゼロになった。
王都のすべての教会の鐘が、一秒の、いや一ミリ秒の狂いもなく、完全に同時に鳴り響いた。
大陸全土に張り巡らされた『空間転送陣』が完全同期し、これまで不可避だった転送時の空間振動がゼロになる。
大教会の地下に眠る、出力調整が難しく暴発の危険があった古代の魔導兵器が、狂ったような安定度で出力100%の最適波形を維持した。
戦地で発動される回復魔法の成功率が跳ね上がり、長距離通信の魔導具から「遅延」の二文字が静かに消滅していく。
世界が初めて、無駄な贅肉を削ぎ落とされた、**『正常なOS』**へとアップデートされたのだ。
「な、何が起きた……!? 通信ラグがない!? 結界の波形が……完全に一致している!?」
王都の魔術局で、大教会で、無数の魔導師たちが狂乱の声を上げる。
しかし、地下の時計塔でレンチを片付けたアレンは、お腹をさすりながらのんびりと笑っていた。
「よし、これで直った。これで明日は、ちゃんと時間通りにスープが食べられるよね」
夕暮れ。
ノートを胸に抱いたエレノアは、完璧に調和して鳴り響く王都の鐘の音を聴きながら、激しく身震いしていた。
彼女の天才的な知性は、この天地鳴動の本当の恐怖を、またしても正確にコンパイルしてしまっていた。
(……違う。世界は、アレンに従っているんじゃない)
そう。アレンは世界を支配などしていない。支配する気すらない。
(逆よ。世界システムの方が、アレンという『一点のバグもない正しさ』を基準にして……本来あるべき姿へ、勝手に戻ろうとしているんだわ……!)
アレンがネジを締めるのではない。
アレンがネジに触れた瞬間、世界がその指先に向けて、メキメキと音を立てて自らを「正しい形」へ矯正していくのだ。
抗うことなど、誰にもできない。物理法則を否定できないように。
その日を境に、世界は「遅れる」という概念を、少しずつ失い始めた。
(第12話・了 / 次回「第13話:不要オブジェクトのメモリ解放」へ続く)




