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To You  作者: いなり
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目覚めの先にも、どうか夢が続くようにと。

パタン、と書物が閉じられる音がノックスの耳をくすぐり、次いで無機質なカルロの声が部屋に響いた。



「どうすればよかったのか、何が正解で、いや合っていて、一番良い形に辿り着くのか。私はそれをわかっていて、自分の醜い欲に抗いきれなかった。」



死にたい。

でも、生きたい。

一人でいたい。

でも、誰かといたい。

幸せになりたい。

でも、失いたくない。


全てを叶えることができると自身の力に溺れ、他者を思いやるだとか、そういうものを捨てても構わないとさえ思った。

最後に救ってみせればそれでいいはずで、その過程など結果に比べれば取るに足らない、と。



「精霊たちの言うとおり、私はティターニアの力に気づいた時点でこの森ごと見捨てるべきだった。いや、そもそもティターニアが私の瞳を望んだ時にでも、私はこの命ごと差し出して仕舞えばよかったんだ。そうすれば、ドナートという存在は生まれなかった。」



瞳は、魔法使いの命である。瞳がなければ魔法使いではいられない。

人間と魔法使いを唯一隔てるその宝石たちは、妖精たちの羨望の的だ。



純粋で、美しい。それだけが込められた宝石など、この世界には魔法使いしか持ち得ないのだから。



「私は死にたくなかった。」



カルロは黄金の瞳を伏せ、自嘲気味に笑う。



「幸せを教えてくれたのはジョットーだ。独りが寂しいことも、誰かと食べる食事が美味しいことも、全部ジョットーが教えてくれた。私をブルースターと呼ばないのは彼だけだった」



アンブロージュ。

不死を冠する彼の名をつけた両親は、自身の子の炎に焼かれながらもただ彼の行く末を案じた。

どうか守ってやってくれないかとカルロの腕を掴んだ。


ただの一度も、カルロのことを責めなかった。

臆病で、自分を捨て去ることさえできないくせに、簡単に自分の命を賭せばいいと口にはする自分のことを、責めることをしなかった。



「人は身勝手だよ、本当に。救ってくれと手だけは伸ばして、救う側のことなんて考えもしない」



ティターニアの言ったことはあながち間違っていないのかもしれない。

確かに魔法は呪いで、誰かを縛り、誰かを殺してしまう。

きっとそれを人間は恐れ、魔法使いを憎んだんだろう。


憎んで、そうして消して仕舞えば、幸せにでもなったのだろうか。



「だから私は、彼のことだけはゆるしてあげない。」



幼子のように、酷く嬉しそうに、カルロは笑う。

黄金の瞳から一筋溢れる水滴は露のように書物の表紙に染みを落とし、ノックスは窓枠から彼の肩に飛び移って、髪の毛に嘴を突っ込んだ。



カルロは笑いながら、息を漏らす。



「契約はティターニアの勝ちだ。だけど私は魂を修復する方法をもう知っている。魂を修復して私の命ごとティターニアを滅ぼせば、きっともうこれ以上の惨状は起こらない」



どうせ死ぬことは決まっている。

その地獄への道連れに彼女を連れていくことぐらい、この世界でほくそ笑んでいるかもしれない神とやらでもゆるしてくれるだろう。



「ジョットーはこの森に帰って来ざるを得ない。私から逃げた臆病者め、どんな痛い目に遭わせてやろうか」



復讐だ。

待っててね、なんてそんなこと言って自分は逃げた彼への復讐。



カルロは立ち上がると、窓枠に足をかけ一思いに地面に降り立った。

それをノックスは肩にしがみついたまま追いかけ、彼の行動をじっと見守る。


灰色の瞳が映したものは、あの日からずっと1日一本植えられ続けた赤い花であり、カルロがそれに手を伸ばして燃やしていくのを見て、ノックスは目を逸らした。



空が、赤く染まる。

夜と昼の境目が段々と色をなくして、雲雀のような鮮烈な色を待ち侘びる。



「おい、どうなって…」



屋敷から異変を感じて飛び出してきたドナートが何かに気が付いたように動きを止めた。

柘榴石に浮かぶその色にカルロは微笑むと、おいで、と彼を手招く。


ドナートはどこか怯えたような顔で、炎の中に突っ立っているカルロに近づくと戸惑うように両手を彷徨わせた。

カルロはそれに微笑んだまま、ドナートの額を軽く中指で弾く。


咄嗟にドナートは額を押さえた。



「っ…って、あ、れ…」


「ティターニアと私が消した記憶の全てだ。おかえり、少年」



カルロの笑みに、柘榴石ははっきりと歪む。

失われているとも気づくことのできなかった、あの日の業火と黄金の瞳を、思い出す。


君を守る、とそんな馬鹿げたことを言った魔法使いのことを思い出す。



「俺に名を与えたのは」


「言っただろう。これは、復讐だと。君と私は共犯者だ。」



カルロは微笑む。

ドナートは地面を抉るようにして踵を引きずってあとじさり、黄金の瞳を喉に飲み込んだようにえずいた。



「俺を助けたのは、俺との約束のためだったのか」



ドナートの呆然とした声に、カルロは少しだけ動きを止める。

そして訳がわからないとばかりにドナートの顔を見遣って、目を見開いた。



「俺は、あんたをずっと縛っていたのか」



柘榴石は、歪む。



「俺がいたせいで、あんたは苦しんでいたのか」



カルロは黙って首を振る。

違う、と呟く声は掠れ、燃やしていた地面は戸惑うようにその炎をゆらめかせた。



「俺がただの力で、なんの意思も持たない無機物だったら、きっとあんたは迷わなかったんだろう」


「それはもしもの話でしかない。それに始まりは私だ。」


「それじゃあ!」



柘榴石は、黄金を貫く。

燃え盛る炎よりも遥かに煌めくその色はただ黄金だけを映すと、目を逸らさないでくれ、と叫んだ。



「それじゃあ、あんたは本当に神様じゃないか!」



カルロの瞳が動揺で揺れ動く。

ドナートは馬鹿だな、と震えた声で笑うと、カルロの胸を両手で殴り押し倒した。



「復讐?共犯?自分のせいだから責任は自分の命で償うっていうのか!」


「…そうだ」


「違うだろう!あんたはただ信じられなかっただけだ、人間のことも、魔法使いのことも、俺のことも、ソルのことも!」



黄金の瞳が細く薄まる。

ドナートは瞳の中の赤を燃やすと、夕焼け色の空を見上げ、深く呼吸をした。


カルロはそれにびくりと肩を震わし、目を閉じる。

地面を舐めていた炎は何かに怯えるように背を縮め、その合間を縫うように、空よりも鮮やかな夕焼け色がゆっくりと二人に近づいた。



「…」



ドナートはカルロの体に跨ったまま、力なく彼の胸元を叩く。



「俺にこの名をつけたのはあんただ。俺は、そのあんたのことを信じる。」



夕焼け色が、黄金を覗き見る。

そこにあるペリドットにカルロは唇を震わせると、ゆっくりと手を伸ばした。



「先生」



ペリドットは滲む。

黄金は微かに揺れると戸惑うように細くなり、そして次いで掠れた声を紡いだ。



「わ、たしは」


「うん」


「私は、私さえ、私さえ犠牲になれば全てうまく行くと思って。」



でも、死ぬのは怖くて。



「神様になったつもりは、ないんだ。なりたいとも、思わない」



それでも、誰かを救える自分でありたかった。

誰かを救えば、いつか自分も救えるんじゃないかとそんなことを思った。



「ジョットー」



カルロは身を起こすと、真正面からペリドットを見つめ、震えた声を吐く。

声を吐き、けれど言葉にすることはできない目の前のただの人を見つめて、アンブロージュは笑った。



「ね、先生」



アンブロージュはドナートを手招き、自分はカルロの右手を、彼には左手を握らせる。

暖かなその重みにカルロは目を瞬いたが、アンブロージュはただ微笑むと冷たく悴んだカルロの掌をさすった。



「俺、言ったじゃないですか。貴方を自由にしてあげるって」



アンブロージュの言葉に、カルロは意味がわからないとでもいうように瞳を瞬かせる。

それにペリドットは笑うとあの頃と同じ赤い花をーーポインセチアの花を花開かせた。



「もう時間がないんでしょう。だから、言って。」



あの日、貴方が喉の奥に閉じ込めた言葉を。

神様になる代わりに、捨てた言葉を。



「俺はもう少年じゃないよ。もう子供じゃない。俺は、貴方の隣に立てるぐらい強くなる、その覚悟だけはできてる。」



それに、とアンブロージュは微笑むとカルロの額に自身のものを突き合わせ、柔らかな声を出した。



「ここまでのことをして、俺を呼び戻そうとして。言わなくてももう答えは出てるでしょう。」



カルロはその言葉にポカン、と口を開ける。

そしてじわり、と頬を染めるとみるみるうちに耳の先まで赤くし、意味不明な言葉の羅列を口から吐き出した。


ドナートは自身の片割れを見上げながら、その言葉にそうだな、と呆れたように同意を示す。。



「貴方は狡くて、傲慢で。死にたいと言いながら生きることを誰よりも望んでいて。こんなことをしなくちゃ俺を呼び戻せないなんて、そんなことを思ってる。貴方は諦めたふりだけは得意で、そうやって大人になったふりをして、後悔ばかりしている。」



とんでもなく馬鹿で、滑稽で、それでいて、どこまでも人らしい魔法使い。



太陽は鮮烈だ。

その光は、彼の本当の姿さえ隠して、空虚な中身に、まるで宝石が詰まっているかのようなそんな錯覚さえ与える。


太陽の嘆きなど、慟哭など、他者にとって、ちっぽけな人間にとっては呪いにしかならず、それを理解することさえ人間は簡単に放棄する。



「ねぇ、先生。貴方の願いを教えて。」



ペリドットは微笑む。

その隣で柘榴石はいつも通りに不機嫌そうに目を細めており、それが彼なりの優しさだともうわかっているカルロは真っ赤な顔のままうめいた。



「…師匠のはずなのに、今は親に詰められている子供の気持ちだ」


「「先生」」



二人の重なった声に、カルロはあぁもう、とうめく。

そしてノックスの方を見やり、彼の頷きという肯定を得てからようやくゆっくりと口をひらいた。



「…て」



小さな声は、届かない。

アンブロージュはもう一度、と囁きノックスは臆病な主人のために柔らかな髪の毛の中に嘴を突っ込んだ。



太陽は、夕焼けを見やる。

そして夜の静けさに目をやり、その中で煌めく二つの宝石の色に一つ息をついた。



魔法は、願いだ。

願いだと、そうカルロは定義した。

人はそれを呪いと言うのかもしれない。もしかしたら、無謀だとも言うのかもしれない。



かつて人間は魔法使いを恐れた。

その力の強大さに、脆さに、光の強さに。


お互いを憎み、争い、傷つけあう人間と魔法使いの姿は、カルロの信じていたものではなかった。



だから、それを壊した。

魔法使いを森に閉じ込め、もう2度と傷つくことがないよう守った気でいた。



信じることは勝手だ。

人の権利であり、誰によって制限されるようなものでもない。



ただ、あの時、あの瞬間、誰も信じることさえできずにこの森を作ったことを、カルロは今は後悔している。



誰よりも魔法が好きだった。人が好きだった。願いが、希望が、幸せが、喜びが好きだった。

だがそれを信じることは、できなかった。


自分が信じる理想が壊されることに恐怖し、自分のために作ったこの森を、自分の力で壊す。

まるで幼子の癇癪のようなそれに大層な理由をつけ、数多の命を奪い、その代償とばかりに自分の死を望む。



誰にもゆるされたくなどなかった。

誰かにゆるしてもらいたかった。

何をしてもお前を愛していると、そんなことを言ってくれる存在を探していた。



太陽を、探していた。



声が、空気を揺らす。

夕焼けが闇に染まるその一歩手前、かすかに紅を残した藍色がこちらを見やる。


掠れた声は、けれど確かに紡がれた。



「助けて」



柘榴石とペリドットは顔を見合わせて、一方は静かに、一方は大きく口を開けて、笑い出す。

そして繋がれた両手を握るとそれでもまだ怯えてみせる太陽を抱きしめた。


カルロはその勢いに地面に倒され、尻餅をつく。

アンブロージュはケラケラと笑いながらカルロの顔を覗き込むと、つん、と彼の頬を突いた。



「随分、待たせちゃいましたね。」


「…別に、そこまで待ってないよ」


「嘘だぁ!どうせこの子を森に送ったから俺が失敗でもしたと思って自棄になったでしょ!」



図星である。

はっきりと顔にそれを描き言葉に詰まったカルロに、ドナートは呆れたように目を細めため息をつく。

アンブロージュは静観を貫いていたノックスに相変わらず大変そうだね、と目配せをすると立ち上がった。



「まぁ先生に色々尋問するのは後にして」


「尋問されるんだ私?」


「とりあえず俺たち、どうにかしないとね」



そう言って徐にアンブロージュは空中の空間を切り裂くと、一冊の絵本を取り出した。

煌びやかな装飾のされたそれはキラキラとペリドットに反射をし、カルロは意図を測りかねるかのように彼を見上げる。


アンブロージュは絵本を手に静かに地面に座ると、その表紙をペラりとめくった。

見た目の装飾とは反するようにボロボロなそれは、長い年月をたくさんの人の手の中で愛されてきたことがわかる。


ドナートは隣にストン、と腰を下ろしカルロもそれに続くとその絵本をアンブロージュの隣から覗き込んだ。



「…童話?」


「人間の世界で、魔法の仕組みについて向こうの人たちと研究してみたんですよね」



アンブロージュは淡々と言葉を紡ぎながら、絵本のページをめくる。


森の中で迷った少年。

帰り道を無くしてしまう恐ろしい怪物。

そこに手を差し伸べる小さな存在。



「それでわかったのは、魔法使いと呼ばれる人以外の人も別に魔法が使えないってわけじゃないってこと。」


「…それはあり得ない。魔法は魔力を操る根本器官である瞳がないと」



カルロの言葉にアンブロージュはそれはそう、と頷きながらまた一枚ページをめくった。



光に怯える少年。



「でも考えみたら不思議だと思いませんか」



なぜ、魔法使いではない妖精たちも魔法を使えるのか。



「確かにこの世界には大きく分けて二種類の人間がいると仮定できる。一つは俺たち魔法使いと呼ばれる魔法を自在に操ることのできる人間。もう一つは操ることはできないが、魔力は持っている人間」


「…つまり?」


「妖精たちには俺たちと同じような瞳はない。けど、瞳と同じような媒介できるものはある。」


「まさかそれが魔力を持っている人間だと?」



ドナートの怪訝げな声にアンブロージュは正解、と微笑みながらまた一枚ページをめくった。



泣く少年に、優しく手を差し伸べる、光を纏った美しい妖精。



「そもそも妖精が生まれる根源は人の童話の中。妖精たちが人の魂に触れることができるのは、人から生み出され、また人を媒介して存在しているからに他ならない。そもそも瞳は魔力の翻訳器みたいなもので、妖精からすれば人の魔力から生み出されているんだから、人自体が翻訳器として機能を果たせるってわけだ」


「私たち魔法使いからは妖精が生まれないこともそれに関係しているってこと?」


「さすが先生。妖精は純粋な魔力の集合体でしかないから、魔力を翻訳器である瞳を通してでしか魔法を使えない俺たち魔法使いには、妖精を生み出すことは不可能です」



すごいでしょう、と胸を張り自慢する弟子の姿にカルロは頼もしくなったな、と感慨に耽りながらそれで、と絵本を指差した。



「まさか人間の国でその本を使って妖精を生み出したとか言わないよね?」


「そのまさかです」


「はぁ?!」



嘘だろう、とばかりに思わず立ち上がったカルロにアンブロージュは不貞腐れたように頬を膨らませ師匠を見上げる。

そして新しいページをめくると拗ねた顔のまま言葉を続けた。



「一体俺が何のためにこの森を出たと思ってたんですか。この子をこの森に返したのはようやっと見つけたと思ったら豚どもに胸糞悪くなるようなことをされていたから、先生に助けてもらおうと思っただけだし、別に先生に帰ってこいって言われたらいつでも帰るつもりでしたよ」


「色々言いたいことはあるけど豚どもって言葉は使っちゃダメだ、ジョットー」


「はぁい」



素直に頷く彼の姿に知っている弟子の姿を見つけカルロは安堵するものの、いやいやいや、と白目をむいて穏やかに絵本を眺めているアンブロージュの肩を掴んだ。



「私に助けてもらいたいからドナートを森に返したっていうけど、君、手紙すらよこさなかったよね?」


「森宛にどうやって出せと?」


「それもそうだけど…ほら近況をドナートに託すとかさぁ…眠らされたら森の前でしたって言ってたんだよこの子?見つけたとき心臓飛び出たよ」


「だって、先生は信じてくれていると思ったんだもの。」



アンブロージュはむ、と唇を尖らせてドナートの方を見やる。

それにドナートは巻き込むな、とばかりにノックスを抱き抱えそっぽを向き、間に挟まれた悲しき梟はどうすることもできずに一声鳴き声を上げた。


カルロは少し黙って、弟子を見つめる。

そして微かに視線を逸らすとごめん、と謝りながら青い花を片手で握り、ガシガシと髪の毛をかき乱した。


アンブロージュはそれにゆるしませんからね、と戯けたように笑い、カルロはどこか救われたように分かったよ、と頷いた。



「とりあえずは話を元に戻そう。君は森の外での年数分、ずっと人のかすかな魔力を使って妖精を編み出したってことだね?」


「そうです。魂に触れることが魔法使いに許されていないのなら、妖精に頼めば良いんじゃないかと思って」


「それで、うまくいったの」



カルロの言葉に、アンブロージュはそろ、と目をそらす。

そのままごにょ、と唇を動かす彼にカルロは天を仰ぎ、ドナートは視線を逸らすとノックスは気まずげに羽根に首を突っ込んだ。



「妖精たちはどんな子であれ気位が高い。ティターニアの言うことは聞いてもこちらの言うことを聞くなんてことはしない種族だ。もし生み出すのならば、妖精と名のつかない他の別個体として作り出せばうまくいったかもしれないね。まぁそれは新たな別個体を生み出すという魔法の形を取るから、代償は大きいけれど。」


「それを早く言ってくださいよぉ」


「そもそも私がその方法を思いつかないと思った君に涙が出そうだよ」



そんなに馬鹿に見えるかなぁ、と頬をかくカルロにアンブロージュは微かに頷きながら先生、と助けを求めるように彼を見上げる。


計算し尽くされたようなその頼み方に、カルロはため息をついて腰に手を当てる。

一体誰に似たのか、一丁前に頼むことだけは上手な弟子に手を伸ばすと貸してみなさい、と絵本を渡すようあごをしゃくった。



「さすが!」


「褒めても何も出ないよ。彼女の名前は?」



アンブロージュはそれにゆっくりと微笑む。

小さくつぶやかれた名前にカルロは苦笑すると、その妖精の名を呼んだ。


暗闇で閉ざされた森に迷い込んだ少年に、柔らかな光をもたらした小さく、気高い美しき存在。

人の手によってゆっくりと編み出されたその妖精は、ぼんやりと瞳を開けると目の前の輝かしい太陽に眩しそうに目を細めた。



「初めまして。」



カルロの言葉に、妖精はぼんやりとした顔で頷く。

興味深そうにカルロの黄金の瞳を指でなぞると、欲しい、と一言つぶやいた。



「それ、欲しい」


「んふふ、それは駄目かなぁ」



カルロが何かを言う前に横から口を挟むアンブロージュに、妖精は不満げに目をやり、ちぇっ、と舌打ちをする。



「一個くらいくれたってバチは当たらない、こいつ、一つでも困らない」



どうやらこの妖精、見た目の割に口は悪そうである。



カルロははは、と笑うと青い花を手のひらの上で作り出すとそれを妖精に渡しながら目を合わせた。



「ちょっと頼みたいことがあるのだけれど」


「嫌。ティターニア様は絶対。あの方の邪魔、しちゃだめ」


「まぁそれはそう。でも私、困りに困っててさぁ」



カルロは眉を八の字に下げ、妖精を見つめる。

黄金の瞳に妖精は一瞬たじろぐと、駄目、ともう一度言った。



「魂に触れる、危険。絶対、失敗する。」


「それはわかってる。君が魂を完全なものに修復しようとしても失敗するよ。まだまだ君は成長途中の妖精なりたてだしね。」



カルロはあっけらかんと言い、それに妖精は眉をぴくりと動かし不機嫌をあらわにする。

妖精は腕を組むと拗ねたように頬を膨らまし、カルロの鼻先を蹴り上げた。



「じゃあ私、いらない。帰る」


「待った待った。私がやって欲しいことは君にしかできないことなんだよ。魂に直接触れられない私に変わって、魂に触れていて欲しくて。」


「…私は妖精。あなたの命令は、聞かない」



妖精の言葉に、カルロは微笑む。

わかってる、と頷くと絵本の文字をなぞり、彼女に腕を伸ばした。



「私の親しき友人よ、その力を貸してはくれないかい?」



妖精は目を瞬かせる。

ついで呆れたようにそっぽをむき、けれど今まで何も言葉を送ってこようとはしない自らの主人のことを思い、はぁ、とため息をついた。



妖精は仕方なさそうに、眉を下げ、笑う。

黄金の瞳に手を伸ばし、小さくつぶやいた。



「もしかしたらあの方は、あなたを、ただ」



――――――――――――――。


月の光は柔く照らし出す。

カルロは妖精がつぶやいた小さな声を聞き取ろうと聞き返そうとしたが、その前に妖精はアンブロージュとドナートの手のひらを握り、早くしろ、とカルロに目配せをした。



「あれ、こんなうまくいくとは思わなかったんだけど」


「自信なかったんかい」



呆れたようなアンブロージュの声にカルロははは、と笑いながら三人の元へと歩みを進める。

そして青い花を手のひらに取り出すと、妖精がつなぐ二人の手のひらに絡ませた。



「ノックス、うまくいくと思う?」



カルロは、自身をずっと見守った魔物に対して緩やかな声で尋ねる。

ノックスはそれに静かに笑うと、いつかの日のように冷たく答えた。



「さぁ。」



羽音が羽ばたく。

カルロはくすくすと笑うと、肩に止まったノックスに頬擦りをしてねぇ、と目を細めた。



「いつものように、聞いてくれないか」



カルロの言葉に、ノックスは目を見開く。

そして喉の奥で一度呻くと、はぁ、と重く低い息を漏らして視線を逸らした。



あぁ、この人は狡い。

ノックスは黄金の瞳を見上げて、嘴を開く。



夜の闇を切り裂くその声は、たった一人の太陽のために小さく紡がれた。



「ご主人様」



カルロは笑う。

青い花を手繰り寄せて、ノックスの声に応えるように言葉を紡いだ。



「大丈夫だよ。きっと、うまくいく。」



ノックスは目を瞑る。

主人の言葉を信じるように一度羽音を響かせると、光を羨むように伸ばされた茨を見やって、その嘴を向けた。



「ティターニア」


「無駄なことをするのね。あんな妖精のなりそこないじゃ、種がやろうとしていることは成功なんてしないわ」


「失敗をあなたは望むのか」



ノックスの穏やかな声に、ティターニアはそうね、と頷く。

シャラリ、と溢れる露は彼女の頬を流れ、それを柔らかな木の葉は拭った。



「私はあの黄金が欲しいの。それも、全てを手放し、何物にも汚されない純粋な黄金をね」


「手に入れてどうするんだ?」



ノックスの言葉にティターニアは馬鹿な質問ね、と笑って彼を嘲る。

ふわりと浮き、ノックスの嘴を鋭い荊の棘で撫でると顔を歪めた。



「美しく綺麗なものはすべて私のもの。手に入れなければならないのよ」


「どうして?」



ノックスは尋ね続ける。

ティターニアはその問いに怪訝げに目を細め、意味がわからないとでもいうように首を傾げた。



「どうして?それが理だからよ。あなたが夜を切り裂くような声を上げるのと同じように、私は、私たち妖精は美しく綺麗なものを求め続ける。」



妖精は、人の理想だ。

物語の中の希望であり続け、絶望した人の道標となり続ける。

時に人を騙し、傷つけ、可憐で綺麗で、美しい。

妖精は人々の醜い欲望を抱え続けながら、その夢をひたすら演じ続ける。



「私たちは夢を演じ続けなければならない。真夏の夜のように輝かしく、暖かく、人々の道標となるような、夢を。」


「だが、人はその夢を簡単に忘れる。」



ノックスの言葉に、ティターニアは幼子を見つめるような優しげな色を浮かべてそうね、と肯定をした。



「だから私たちはその夢が少しでもいいものであるようにと、着飾るのよ。」



より美しく、より煌びやかに。

人が現実に帰っても幸せな記憶だけは持って帰れるように。


それをよすがに生きることができるように。



「カルロ・ローレンスは、その対象にはなり得ないのか」



ティターニアは動きを止める。



「何が言いたいの?」


「あなたはどの魔法使いの瞳にも興味を示さなかったのに、ただ一人、黄金の瞳を持つカルロ・ローレンスには執着をする。彼が夢を語ることを嫌い、願いを持つことを厭う。それはあなたが妖精の女王であるその在り方と矛盾しているのではないか。」


「矛盾、ね」



ティターニアは視線をずらし、少しだけ笑う。

徐々に完成されていく、欠けていた魂たちを横目に、じゃあ、とノックスの眉間の辺りをつついてティターニアは尋ねた。



「妖精たちの夢は誰が見させてくれるっていうの」



薔薇はティターニアの耳の横で美しく花開く。



「あの子は私と一緒。どこまでも醜くて、孤独で、それでいて傲慢で、可哀想な子。私ならあの子を一人にはしない。」



人はすぐに忘れる。

また来るからね、呼ぶからね、その言葉に期待をして、そうしてもたらされる予想通りの裏切りは途方もないほど繰り返され、それに恨みを持つことさえ正しいのかわからなくなってしまった。



夢は演じた。演じ、踊り、舞い、魂さえ燃やし尽くして人を導いた。

誰にも語り継がれることなく消えていく自身の枝葉は、結局自身の隣に立つ存在とはならなかった。



「確かにあなたと私の馬鹿な主人は、よく似ている。」



ノックスはカルロに聞こえていませんように、と願いながら小さくティターニアの言葉を肯定してみせる。

満足げな目の前の茨を見つめながら、ゆったりと言葉を紡いだ。



「素直じゃなくて、不器用なところがとても、よく似ている」


「…」


「妖精の女王とはいえ、臆病なんだな」



ノックスの言葉に、ティタニーアは虚をつかれたように目を丸くする。

あどけないその表情に、ノックスは鈴蘭の花弁を見出しながら笑った。



「たった一言でいいんだ。あなたはただ『寂しい』といえば良かったんだよ」



ティターニアは、視線を逸らす。

そうね、と頷く声は酷く掠れ、でも、と紡ぐ声は駄々をこねる子供のように濡れた。



「ティターニア!」



鮮烈な声が響く。

夜さえ、昼さえ、朝の微睡さえ切り裂く太陽の声が、ティターニアの胸元に咲いたオシロイバナの鮮やかな紫紅色の花弁を揺らした。


カルロは手を伸ばす。

青い花はティターニアの花弁に絡みつき、彼女は戸惑うように後退った。



「邪魔をするのか、助けるのか、ここで決めろ!もちろん私は助けてくれる方を強く願うけどね!」


「…はぁ…?」


「私の手を取るのか、取らないのか。言っておくけど、助けてくれたところでこの瞳はくれてやらない。私はまだ生きたいんだ。だから、私が死ぬ時にでも取りに来ておくれよ」



わがままで、傲慢で、不遜で、どこまでも自信にあふれていて。

それでも寂しさと孤独と諦めを浮かべていた黄金の瞳が、今はただ甘えるようにティターニアの菫色の瞳をつらぬく。


自身の願いですら口にすることをためらっていた幼子が、助けてくれと手を伸ばすその柔く暖かな手のひらに、目をやる。



「私はね、都合のいい童話が大好きなんだ。誰も悪役なんていない。誰もが笑っていて幸せで、それでいてその人にとってずっと人生の一部になるような童話が、愛おしくてたまらない。私たちが紡ぐ物語は、人から見たら滑稽に思えるものでよくて、それを咎められたところで、これが私たちの物語なんだから仕方ないんだ。」



都合の良い夢物語の紡ぎ方は、君が一番知っている。



「さぁどうするティターニア!悪役となるか、私の手を取り笑顔の大団円を組むか!あぁ、時間がない、ほら早く!」



青い花は不安定に揺れる。

うまくいく、なんて大口を叩きながら結局慌てている主人の姿にノックスは呆れながら、じっとティターニアの決断を待った。



菫色は、ただ迷うように揺れ動く。

次々と生み出される花々は花開いてはその花弁を散らし、むせかえるような匂いで森中がざわめきたった。



「私、あなたのこと、大嫌いよ」



ティターニアは目を細めて、カルロの手のひらを茨で叩きおとす。

カルロはそれに柔く黄金の瞳を細め、茨を解き、柔らかな木の葉でこちらに手を伸ばしたティターニアを見やった。



「でもそうね。もし名前をつけるなら。」



あなたを、愛しているのかもしれない。

この歪で、美しくもないこの思いが愛だと言うのならば。


あなたが認めてくれると、言うのであれば。



カルロは微笑む。

黄金の瞳を細め、ティターニアの柔らかな手のひらを握り返した。



「それはわからない、でも私は君のことを、とても綺麗だと思うよ」


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