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To You  作者: いなり
3/6

美化された記憶は真実たり得るか

バサリと、羽音が空気を裂く。

その音にカルロは顔をあげると開けっぱなしになっていた窓の方向を見やり、目を細めた。


夜をその身に宿した、灰色の瞳をもつ梟が寸分違わず窓枠に着地し、嘴を開く。



「カルロ様」


「ノックス。どうした?」



穏やかな主人の言葉に、ノックスは柔く瞳を細めて、うかがうように首を傾げる。

低く重厚な声が、彼の罪を糾弾するように夜闇の静けさを鋭く切り裂いた。



「契約をお忘れですか?」



カルロは、ノックスの言葉に動じることなく、手に持っている書物に目を落とすと、静かに笑う。

ノックスの言葉を、彼はきちんと予想できていたらしかった。



「いいや。忘れてなどないさ。」


「…っ」



ノックスは目を細め、落ち着かなさげに羽を羽ばたかせる。

灰色の瞳をじっとカルロの横顔に注ぐと、掠れ、つぶれた声を絞り出した。



「何故そこまで落ち着いているのですか」



貴方は、死んでしまうのに。



「ノックス、君は優しい魔物だね」

パラリ、と薄い紙が一ページ捲られ、滑らかに動く視線はおもしろげに歪む。

そこには一切の不安も恐怖も見当たらず、ただそこにあるのは愉悦と安心と、そしてそれすら覆い隠すような濁った色だけであった。


カルロはノックスから視線を外したまま、柔らかな声で言葉を紡ぐ。



「安心なさい。私が死んでもこの森は保たれる。私の権能は妖精の女王ティターニアに引き継ぐことになっているからね」


「そんなことはわかっています、そうではなく」


「どうして、私が拒まなかったのか。」



カルロはノックスの台詞をそのまま奪い薄く笑うと、穏やかに目を細める。

森のざわめきは静寂を返し、ノックスは自身の味方である闇が自身を襲わんと牙を剥こうとしていることに驚き、焦り、窓枠にしがみついた。


黄金の瞳がゆっくりと、文字の上を滑る。

髪がたゆたい、夜の深さなど知らぬ亡者のようにカルロは口を動かした。



「復讐さ。」


「…っ」



カルロの言葉にノックスは窓枠を強く爪で引っ掻くようにしてしがみつき、忙しなく嘴を鳴らす。

そんなまさか、とありきたりな言葉を並べている魔物にカルロはキョトン、と目を丸くすると次いで昼間の太陽のような笑い声で、彼を嘲った。



「あはは、ようやく気づいたのか!」



カルロはパタン、と本を閉じると目尻に涙を浮かべながら静かに微笑む。


無邪気で、不遜。

あの頃の笑顔そのままのそれは、かつてはたった一人だけが引き出せたものであり、ノックスは鮮烈な色を持ったその人物を脳裏に描いて、うめいた。


夕焼けと、夜の合間に訪れる雲雀のように鮮烈な色。

癖っ毛にその色をたたえた少年は、太陽に焦がれ、そして太陽に触れた。

鮮烈な色、光、それらを持ちえたはずの少年は、それでも目の前で煌びやかに笑う太陽の光までも求めた。

――俺が、貴方を自由にしてあげる。だから、待っててね先生――



無邪気に笑う少年に、先生と呼ばれた太陽は、その光を亡くした。

見失った。

自由を約束された太陽など、太陽ではなかった。



それは全てを焼き尽くす炎となり、憎悪となり、そして醜い欲望となる。



「…」



なんて、臆病な神だろう。

肝心なことは一つも伝えず、ただ待っているだけの、虚しい、虚しい、人の形をした神様。


欠けてばかりの寂しさと、欲望と、期待を抱いてしまった神の滅茶苦茶な慟哭は、きっと誰にも届かない。



きっとその慟哭を、少年だったかつての魔法使いは、今なら、きっと、きっと。



きっと、わかってやれるのに。



「それほどまで彼を愛していたのに、どうして貴方は手放したのですか」



聞かずにはいられないその疑問に、ノックスは納得できる答えを求めて、黄金を見やる。

カルロはそれにどうしてだろうね、と目を閉じて首を傾けた。

さらり、と灰褐色は肩を流れ落ち、彼の横顔を覆い隠す。


ノックスは窓枠にしがみついたまま、穏やかに考え込んでいる主人の言葉を待った。

カルロは人差し指の爪の先で本の表紙を撫でると、唇を微かに開く。



考えが、まとまったらしかった。



「私は彼を閉じ込める術を持っていて、彼を止める方法も、自由を奪う方法だってわかっている。それをしたって良かったし、もし今戻れるならきっとそうするだろうとも思う、思う、のだけれどね。」



カルロは微笑む。



「あの時の私は、それをするべきではないと思った。後悔をすることも、執着をすることもわかっていながら、それでいいと思ってしまった。」



カルロは目を伏せる。

ノックスは隠された黄金の瞳を追いかけながら、長らく思い出さないようにしていたあの日々が脳裏に流れ出すのを感じ、大きく顔を歪めた。



始まりは、ある一人の魔法使いが屋敷の扉を叩いた瞬間であった。



「ブルースター!ブルースター!」



屋敷の扉が壊れそうなほど強く叩かれる。

主人の気の向いた時にしか開かぬそれは沈黙を返すが、代わりに森に潜む魔物が扉を叩く手を止めさせる。



喧騒を嫌う主人を労ってのことであった。



「何用だ。主人は今は寝ている」


「わ、私の妻を」



魔法使いが、男が発した言葉はそれだけであった。

彼はガタガタと震え、恐怖に喉の奥を引き攣らせると自身の腕を掴んだままの魔物の姿に気絶する。


熊の形を模した、一本角を携えた魔物ははぁ、とため息をつくとひっそりと静まり返った屋敷を見上げる。

今頃はぐっすりと眠りこけているであろう主人のいる部屋を見つめると、自身の後ろで羽音を羽ばたかせた魔物の方へ言葉を紡いだ。



「放っておいたら、あの方は怒るか」


「さぁ。」



低く静かな声は、冬の夜のように冷たく、けれど羽音が羽ばたいたことに、魔物は薄く笑う。

主人の一番のお気に入りは、どうやら主人を起こす方に賭けたようであった。


そも、叩き起こされたぐらいで怒るような主人ではない。

彼を起こせるかが、問題なだけだ。



「では、頼んだ。」


「まだ私は何も言っていないが?」

不服そうな梟に、熊は笑う。



「では俺が行こうか?」


「…ちっ」



嘴に似合わぬ、大きな舌打ちである。

おぉ怖い、と熊が肩をすくめれば梟は不服だとばかりに一直線に部屋の方へ飛んでいった。


そのまま開かれたままの窓に突っ込み、丸く膨らんでいるベッドに勢いを殺すことなく突っ込む。



「うぉっ?!」



寝起き特有の掠れた声と共に叫び声が上がる。

そのまま布団からどったんバッタンという音を響かせながらこの屋敷の主人である、カルロ・ローレンスが輝くような黄金の瞳をのぞかせて驚愕した。



「え、なに?!なんで窓から突っ込んできた?!」


「ご主人様、来客です。」


「えぇ、怪我してないの、大丈夫…?」



布団の中でバタバタともがきながら用件だけはしっかりと口に出したノックスに、カルロは呆れたように声をかけながら寝起きの頭のまま窓枠に足をかけた。

そのまま躊躇うことなく地面に向かい体を傾け、地面に向かって重力に従って落ちていく。

その一連の流れを布団からなんとか脱出しながら音で聴いていたノックスはやっとのことで窓枠まで辿り着いてから、ため息をついた。


カルロは地面に落ちる寸前で花を取り出しそれに包み込まれると、そのままの勢いで門を開き、熊に抱えられたままの魔法使いを薄目で見やった。



「状況は?」



熊は笑う。



「さぁ?途中で気絶したから何もわからない。」



カルロは熊の言葉に頭を抱える。

そして熊の腕の中で泡を吹いたまま目を閉じている魔法使いの顔を覗くと、大きく顔を歪めた。



「私の屋敷から本でも持ち出して行ったなクソガキ!」



はっきりと怒りを顔に乗せたカルロに、熊は珍しいものを見たものだと目を瞬かせる。

そしてようやく、腕の中で倒れている魔法使いの男がカルロが珍しく屋敷に自由に出入りすることを許した薬草好きーー薬草狂いの人間であることに気がついた。

1ヶ月屋敷の前で頼み込み屋敷の書斎への鍵を手に入れた男の姿を脳裏に描き、あれは迷惑だったななどと熊が回想をしている間に、カルロはいつもは流したままの髪の毛をひとまとめにして、熊の方を見上げる。


黄金が、全てを切り裂くような鋭さと冷たさを持って、熊の瞳を射抜き、焦がす。


熊はその勢いに思わず顔をこわばらせ、腕の力を強め、緊張から喉の奥を低く鳴らした。

カルロは右手で髪の毛を掴んだまま、こわばった顔で口を開く。



「髪紐、ある?」


「…」



熊はため息をついて、頭上を見上げる。

一連をしっかりと見ていたノックスによってもたらされた髪紐をカルロは難なく受け取ると、にっこりと笑みを浮かべて腰に手を当てた。

「それじゃあ、このクソガキを叩き起こすよ。話はそこからだ」



カルロが片手を振り上げ、熊は思わず目を瞑る。

森中に響くその音を、生涯熊は忘れられないことを覚悟をした。



「…それで、何の用?」



カルロによって喰らわされた激痛により地面にのたうち回っている魔法使いに、カルロは淡々と尋ねる。

その肩にノックスは止まりながら、激痛で話せないのではないか、とカルロの横顔を見上げたが、そこに浮かんでいる焦りに思わず言葉を止めた。



「つ、まが…」


「奥さんが?確か、君の奥さんは身重のはずだよね。どうしたの」


「炎が、炎に包まれて、妻が!そう、妻を助けてくださいブルースター!」



激痛を忘れ、すがりつく魔法使いにカルロは微動だにせず、目を細める。

どうやら完全にご立腹らしい彼の態度は氷山のように冷たく、厳しかった。



「状況を説明。話はそれから。」


「は、はい」



魔法使いは怯えた目を瞬かせながら、炎に包まれたという自身の妻のことを話した。

曰く、突然体を花が覆ったと思ったら、それが炎となり彼女を焼き殺そうとしたのだと。



「だから俺は」


「手当たり次第魔法を使っていたんだろうね。その証拠に君は魔力が枯渇しかけている。」


「そ、そうです。だけど炎は何をしても消えなくて!だからあなたに助けを求めに」


「それだけか?」



カルロは目を細める。

嘘は許さないとばかりに身をかがめ、問いただすその姿に魔法使いは観念したように目を伏せると、小さく続けた。



「俺は、ナターシャを助けたくて」


「蘇生魔法を使ったな?」



カルロの黄金の瞳が輝き、苛立たしげにそれは細まる。

魔法使いはその姿にヒッと息を細めたが、カルロは馬鹿なことを、と大きく声を上げると男の胸ぐらを掴んだ。



「魔法には代償が伴う!魔法は万能ではない、私は何度も言っただろう!魔法は願いだと!願いには必ず代償が伴い、それは願いの大きさに比例する!君は、何をしたのかわかっているのか」


「お、俺はただ」


「君は禁忌の魔法を使っただけじゃない。この屋敷中の本を君に自由に閲覧させた、私の君に対する信頼をも踏み躙ったんだ!その意味をわかるか!」



カルロは悲しそうに目をふせ、男の体を引きずり上げる。

そして片手で青い花を作り出すと、一瞬で空間を歪ませ、件の男の家へと場所を移した。



「ぶ、ブルースター」


「アルフレッド。私は君に、いや君たちに二つの選択肢を与える。」



カルロは家の扉を足で蹴り飛ばし、泣き叫ぶ女の声を頼りに歩きながら魔法使いに声をかける。


煌々と燃え盛る炎はただ一人女を焼き尽くさんと燃え盛り、その姿は憎悪にも、祝福にも空気を焦がすように揺蕩う。

カルロは結ばれた灰褐色の髪を揺らしながら女に手を当てた。



「妻か、子供か、どちらかしか助けられない。そしてどちらを選んだところで、君は助からない。」



それが、願いの代償だから。



男は目を見開き、唇を震わせる。

カルロの手によって鎮火された炎の中で、今もなお痛みに悶える女がうっすらを目を開ける。


ペリドットの瞳は涙に濡れ、けれどしっかりと男の方を見ると静かに微笑んだ。



――馬鹿な人ねーー



はっきりと唇を動かして紡がれた言葉に、男は顔を歪める。

カルロはそれを見やりながら、女の爛れた頬に手をやり、青い花で彩った。


女はペリドットを煌めかせると、自身のことをいつかお転婆娘だと叱った、魔法使いの瞳を見やる。

いつだって輝くばかりで、何物も映し出さないその美しい黄金に微笑むと、火傷で痛む腕を伸ばして、たった独りの魔法使いを呪った。



「魔法は、願い、でしょう…?」



カルロは目を見開く。

そして思わずと言ったふうに吹き出すと、仕方ないなぁ、とでもいうように青い花で女の体を持ち上げた。


男の方を振り返ると、黄金の瞳を輝かせ、頬をこわばらせる。



「成功したら、私にキッチリお礼をしてくれよな。」


「ブルースター…?」


「ティターニア!」



鮮烈な声が、森中に響く。

ついで鈴蘭の鳴る音が家中に鳴り響き、むせかえるほどの花の甘い香りに青い花が嫌悪するかのようにその花弁を震わした。


棘がカルロの頬を突く。

それにカルロは眉を顰めると、しゃらしゃらと自身に落ちる露を払いながら肩にしなだれかかる妖精の女王、ティターニアの方を見やった。


ティターニアは黄金の瞳にうっそりと瞳を細め、美しい薔薇の冠を花咲せる。



「どうしたのかしら、私の可愛い可愛い種」


「相変わらず君は意地悪だね。全てわかっているくせに」


「んふふ、拗ねないでちょうだい。」



ティターニアは指先を伸ばすと、カルロの黄金の瞳をかたどり、微笑む。

そしていいわよ、と囁くと菫色の片目を細めた。



「代償があなたの瞳でいいのなら」


「それはだめ。代わりに髪の毛はどう?」


「髪の毛?」



自身の提案が却下され不機嫌そうにティターニアは聞き返す。

カルロは静かに笑うと、青い花をティターニアの耳元に飾りつけながら彼女の顎をすくった。



「髪の毛には私の魔法が編み込まれている。」


「…」


「好きにできるよ」



カルロの笑みにティターニアは唇を震わせる。

何かを迷うように菫色は揺れたが、すぐにそれを奥深くに覆い隠すといいわ、と頷いた。



「力を貸してあげる。」


「ありがとう。」



ティターニアは微笑むと耳元に飾られた青い花を指先で撫で、自身の唇の前に持ってくると一つ接吻を贈る。


それを皮切りに女と男の体が眩い光で包まれ、彼女の体を燃やし尽くそうとしていた炎は柘榴石の色に小さく縮こまると、青い花で編まれた瓶の中に綴じ込められた。



「じゃあもらっていくわね」



ティターニアが指を伸ばし、棘でカルロの髪の毛に触れる。

はらり、と解かれた髪紐は床に落ち、カルロは一気に涼しくなった髪の毛に首の後ろに手を当てて笑った。


髪の短くなったカルロに青い花に包まれたままの女はすっかり傷の癒えた口元を歪めて、カルロを見やる。

カルロは身重の彼女の手をとると、微笑んで片目を瞑ってみせた。片手に包み込んだままの瓶を振って口をひらく。



「もう大丈夫。君も、君の馬鹿な夫も、お腹の子も無事。」


「ありがとう、ありがとうブルースター」



女の掠れた声に、カルロはどういたまして、と柔らかく返し、けれど少し困ったように眉を寄せた。



「ただ、この瓶の中に閉じ込められたのは元は君の子どもが持っていたものだ。しかるべき時にその子に返さなければならない。」


「しかるべき時っていうのは、いつのこと?」



女の問いに、カルロは目を瞬かせる。そしてオロオロと視線を彷徨わせると不器用に笑った。



「しかるべき時は、しかるべき時さ。」


「ブルースター」


「…わかったよ」



小さな子供が拗ねるように唇をとがらしたカルロは、小さくため息をつき、瞳を閉じる。

意を決するようにもう一度瞳を開けると、静かに口を開いた。



「この瓶の中の力は、君のお腹の中にいる子供の魂の欠片によって構成されている。子供が自分の力でこの力を制御できるようになった時…簡単に言えば魔法使いとして一人前になった時点でこの力を返すべきだと私は考えている。不完全な魂は、体に毒だからね」


「でも、それに問題があるのね?」



穏やかなペリドットは全てお見通しだとばかりに柔く滲む。

それにカルロはまた唇を尖らせると、短くなった髪の毛をガシガシとかき混ぜ、観念したようにため息をついた。

「蘇生魔法には大きな代償が伴う。アルフレッドが魔法を行使した時点で代償、つまり術者の命は奪われることは決まっていた。だから私は蘇生魔法を利用して君か、子供一人ならば助けられると踏んで君たちに選択を委ねた。」


「そうね。そして私はあなたに願った」


「私は三人まとめて助けるために、ティターニアの力を借りて、一時的に蘇生魔法の行使を無かったことにした。ここはややこしいんだけれどね、人の魂やら精神といったものは妖精たちの領域なんだ。ただ妖精の女王の力を持ってしても、何の代償もなしに魔法を無かったことにはできない。それで代償として対象となるのはこれ」



カルロは手の中の瓶をぷらぷらと指の中で揺らして、目を細める。

赤く光る柘榴石はゆらりと炎の形を模ると、瓶を縁取る青い花に鈍く反射した。



「蘇生魔法を止めることができるのは、あくまでこの力が子供と離れている期間だけ。力が子供の元に戻った時には、さすがのティターニアでも、ましてや私でもどうすることはできない。蘇生魔法の代償は、正しく行使される。」


「…そう」


「ごめん。」



俯くカルロに女はどうして、と心底不思議そうに笑う。

ゆっくりと腕を伸ばし、彼の灰褐色の髪の毛を柔く撫でると首を傾げた。



「謝ることなんてないわ。むしろ私たちの方が謝らせてちょうだい」


「でも、結局」


「この子が一人前になるまで、この子が成長していく様を見る奇跡をあなたは与えてくれた。それだけで十分よ。」

女の微笑みに、カルロはぎこちなく微笑みを返す。

それをずっと黙って女の隣に座り込みながら聞いていた男は、ブルースター、と震えた声を出した。



「お、俺は」


「許さないよ。」



カルロは冷たく男に視線をやり、男の言葉を遮る。

男はそれに声にならない声をあげて、けれど俯くことはせずにその冷たい黄金の瞳を見返した。


カルロはそれを見つめると、ふい、と視線を逸らし、腰に手を当てて小さく口を開ける。



「目を瞑って、歯を食いしばれ」



カルロの冷たく低い声とともに、彼の拳が握りしめられるのが男の瞳に映る。

男はそれに全てを悟ると、ぎゅっと目を瞑り奥歯を音がなるほど強く噛み締めた。


カルロはその様子に笑いそうになりながら、拳を振りかぶる。

そしてそれを脳天におろすまえに男の無防備な額に中指をパチン、と当てた。



「っ〜だっ!」


「持っていた本は返すこと!書斎の掃除をすることも忘れずにね。」


「ぶ、ブルースター」


「父親になるんだろう?もう2度と私にクソガキと言われないようにしてよね」



カルロはにっこりと笑い、赤くなった男の額を人差し指でつつく。

それに男は上擦った声でありがとう、と声をあげ、女は呆れたように眉を下げた。



「あなたは相変わらず心配になる程優しいのね」



女の言葉に、カルロはただ黙って笑う。

その横顔に女が手を伸ばす前に、家の窓から身を滑り込ませたノックスが、カルロの髪の毛を嘴で喰んで、不機嫌そうな声をあげた。



「ご主人様、屋敷の前で精霊どもが騒いでいるのですが。」


「えぇ?なんでだ?」


「ティターニアがどうのこうのと」


「あはは〜皆心配性だなぁ。」



カルロは仕方ないなぁとばかりに頬をかき、肩に乗ったノックスの頭を撫でると、二人を見やる。

お腹の中にいる子供に対して目を合わせるように一度手のひらをかざすと、瓶を胸元にしまってから、ひらり、と手を振った。



「それじゃあ私はこれで。子供が生まれたら、暇な時にでも顔を見せに来てよ」


「えぇ。必ず。」



女の言葉にカルロは頷き、身を翻らす。

ノックスはばさり、と一度羽を広げると、カルロの魔法に巻き込まれぬよう一度肩から離れた。


カルロはそれを見届けると、空間を歪ませ、青い花で自身を包み込む。

そして屋敷の門前へと場所を変えると、そこに集まっている異形たちを睨みつけ、地面を踵で一度叩いた。



眩い光と、眩むような闇、鮮烈な水、焦げるような炎、自然界のありとあらゆる色と形が一斉にその音に振り向き、そしてひれ伏す。



カルロは黄金の瞳を一度瞬かせると、疲れた

とばかりに空中から椅子を取り出し、空中で足を組んで座った。

右手の指先を頬に当て、薄く目を細める。



「わざわざこちらの世界にやってきて、何の用かな」


「…ティターニアと契約をしたと」



顔をあげ、言葉を返した光を纏った精霊にカルロは静かに視線を滑らす。

精霊はその視線に怯えるように慌てて顔を下げたが、カルロは面倒くさそうに頬杖をついたまま口を開いた。



「それが君たちに何の関係が?」


「っ…て、ティターニアの恐ろしさを貴方様もご存知のはず」


「うん。」


「ではなぜ…!」



精霊の焦ったような声に、カルロは視線を遠くにやり、そうだねぇ、と考える。

そして灰褐色の髪をくるりと人差し指に巻き付けると、あっけらかんと答えた。



「私は人が好きだからかな。それに渡したのは私の髪の毛だ。せいぜい私を代償なしに一度縛ることぐらいしかできないよ」


「…その一度が問題だと申しているのです。それに、その力は人の子には耐えられない。ティターニアの思惑がわからない以上、彼女の息がかかったその力は根絶やしにするべきです。」



精霊の言葉に、ノックスはぴくりと羽を震わせ、カルロの横顔を見やる。

カルロはそれに苦虫を噛み潰したような顔をして、はっきりと美麗な横顔を歪めた。



どうやらこの魔法使い、全部を話したような顔をしてちゃっかり隠し事をしていたらしい。



「あの瞬間貴方様がやるべきことは、女を助け、子供を見殺しにすることだった!」


「やるべきこと、ねぇ…」



カルロは目を閉じ、ぶらぶらと組んだままの足をふらつかせる。

そして精霊へと目を向けると、酷くつまらなそうに口元を歪めた。



「正解と、適解は違うよ。それにこの力に耐えることができるのかどうかは、まだわからないだろう。」



カルロは胸元の瓶をなぞり、顔を伏せる。

ほのかに温かみを持つそれは、布越しにカルロの心臓を焦がし、冷たかった指先を柔く撫でた。



「この森を、お見捨てになるのですか」


「見捨てないよ。私は永遠にこの森と共にある。魔法が、ある限り。」



カルロの笑みに、精霊たちは怯えたように後退り、ノックスは呆れたように目を細める。

カルロは飽きたとばかりに立ち上がると、地面に降り立ってからゆらゆらと形を保つことなくその場にいる一柱の精霊に近づいた。


精霊はカルロに気づくと、全てをわかっていたかのように口元を歪める。

カルロもそれに答えるように美しく微笑んだ。



「どうやら、面白い未来が視えているみたいだね。」


「…貴方様がどんな未来を選ぶのかは、分かりませぬが。」



時の精霊は醜く笑う。

嘲るようにカルロの右手に手を伸ばすと、忠誠のキスを贈りながらじわりとその姿を炎の形に変えてカルロの黄金を焦がした。



「どうか後悔だけはなさいませぬよう。時は、戻しかねますからね」


「ご忠告どうもありがとう。」



カルロは静かに身をかがめ精霊の額に接吻を送り、笑う。

周囲の精霊たちはそれに羨望の眼差しを送ったが、興味がなさそうに精霊たちの間を抜け屋敷へと戻っていくその背中に一人、また一人と自身の世界へと身を翻していった。


カルロは振り返ることなく、屋敷の扉を開け部屋へと一思いにドアノブをひねる。

ノックスは慌ててそれについていき、ギリギリで彼の後を追いかけると部屋中のものを取り出し、慌てたように青い花で魔法を行使しようとするカルロに目を見開いた。



「ご主人様?!」


「時間がない。」



カルロは手短にノックスに対し答えると、髪をまとめようとしてスカッと手のひらを滑らせる。

ちっという舌打ちにノックスは珍しく落ち着きをなくしている主人の姿に、嘴で彼の耳を軟く噛んだ。



「どうされたのですか」


「瓶の中には不完全ではあるが魂が宿る。今はまだ目を覚ましていないが、あの子供が生まれるその瞬間に目を覚ますはずだ。」


「そ、れは」


「私がナターシャたちを見捨てられなかった時点で、ティターニアの手の上にあるってことだよ。」



妖精の女王、ティターニア。

人々の童話の中で語られ、甘く柔い言葉で毒も薬も生み出す妖精たちのたった一人の主人。


無邪気を至高とし、美しいものを何よりも好む彼女はカルロの黄金の瞳に焦がれ、欲した。



「人に手を出したら国ごと滅ぼすって言ったからだろうなぁ…まさか祝福という形で魂に自分の力を埋め込むなんて思ってもいなかった。祝福には彼女の力の大半が埋め込まれ、彼女自身も弱体化せざるを得ないというのに、それをしたとしても勝てると見込んだんだろうな。」


「ではその力はティターニアのものなのですか?」


「うーん、まぁ根源はそうだね。だけど不思議なことにティターニアが嫌うはずの炎の形をしている。子供の魔力の形に引っ張られたのかな?」



カルロは部屋中に散らばった自身の書き散らした紙を一枚ずつひっくり返しながら、ノックスの言葉に答える。

そして瓶に目をやると、顎に手を当てノックスの方を見やった。



「ティターニアの目的は私の瞳だとして。彼女は思ったより素直に私の提案を呑んだ。彼女の真意について、君はどう思う?」


「ただあの場で交渉をはかることが無駄だと彼女が判断しただけでは?ティターニアの力を借りることが最適解ではあれど、別に彼女でなくとも代償次第では魔法を行使できたでしょう」



カルロはそうなんだよね、と片膝を立てて考え込む。

そして黄金の瞳を瞬かせると、青い花を片手に咲かせた。



「彼女の目的は、本当に私の瞳なのか?」



カルロの言葉に、ノックスは首を傾げる。

彼女が執拗にカルロの瞳に対して執着していたのは魔物中のしれるところであり、それをカルロ本人も痛いほどにわかっている。


カルロはわからないな、と顎から手を離すと、とにかくと短くなった髪を揺らしながらノックスを見やって笑った。



「ティターニアの真意が何であれ、この力と子供がうまく融合すれば全てはうまくいくはずだ。」



カルロの黄金の瞳に煌めく光にノックスは頷く。



うまくいく。

主人がそう言ったのであれば間違いない。


間違いないはずなのだと、疑わず、そして夜を飲み込む業火にノックスは、その盲目は間違っていたのだと、そんなことを悟った。



すっかり長くなったカルロの灰褐色が炎に焼かれ、焦げていく。青い花は森を守るように炎に焦がされ、その向こうで魔法使いたちが慌てたように逃げ惑う姿がうっすらとみえた。



幼子の泣き声と、パチリ、と爆ぜる音。

夕焼け色と、闇を彷彿とさせる漆黒。

二種類の髪の毛は絡み合うようにお互いを囲み、今は閉じられた瞼の後ろに描かれた色はペリドット柘榴石であることをノックスは知っていた。


ノックスは煙で焼かれた喉を必死で嚥下しながら、守るように二人の幼子を抱き抱えたカルロの肩に飛び降りた。炎が包み、熱さを感じる前に青い花が全てを包む。

彼の横顔を覗き込もうと首を回らした鼻先にこの場に似つかわしくないむせかえるほどの花の芳香が漂い、羽が逆立った。



「んふふ、ボロボロね私の可愛い可愛い種」



声は茨となり、カルロの頬を撫でる。

泣きつかれ気絶したように体を預けている幼子の下からカルロはその茨を睨みつけると、ティターニアの名を怒りのままに叫んだ。



「お前の目的は何だ!」


「怒らないでちょうだい。何度も言っているじゃない。私は貴方の瞳が欲しいの」



大人しく渡せばこんなことになっていないのよ。



美しく笑う彼女の顔を見上げ、カルロは唇を震わせる。

夕焼けの髪色と、漆黒の髪色をした二人の幼子を汚れぬよう自身のマントの上に寝かせると、一つ深呼吸をした。

徐に片手を振りかぶると指先で瞼に触れ、力を込める。


それを、ティターニアは柔らかな木の葉で止めた。



「ちょっと、そんな乱暴なことをしないでちょうだい。傷がついては台無し」


「こんな瞳くれてやる。だから」


「あら、貴方の願いは叶えてあげられないわよ。それは私の祝福。その子供が死ぬまでその力は消えない。」



力、と指さされたそれは人の形をしており、幼子とそっくりの顔は今はぐったりと血の気を失っていた。



「見捨ててしまいなさい。それが、貴方のためにも、この子たちのためにも、森のものたちのためにもなる。」



柔らかく微笑するティターニアの煌びやかな枝葉が炎に反射する。

ポタリ、と落ちる露は熱さで蒸発し、カルロは呻くように喉の奥から言葉にならない音を吐いた。


ティターニアはその表情に恍惚と顔を綻ばせると、土がつくことも厭わずに膝をつき、カルロの頬を両手で包み込む。

愛おしそうに目を細めると、満足そうに笑った。



「そう、その表情よ!その表情を待っていたの。可愛い可愛い私の種。たった独りで、愛も希望も知らない、無垢で可哀想な、神様のふりをさせられた可愛い可愛い私の子供。」


「…」


「ほら、忘れてしまいなさい。人への愛も、魔法への愛も。どうせ貴方には何もできやしないのだから。」



カルロの黄金の瞳が大きく揺れ動く。

ティターニアはそれに笑みを崩すことなく、柔らかく彼の頭を抱き抱えた。



「魔法は願い。貴方はそう言うけれど、それは間違いよ。貴方はこの状況をどうすることもできないの。貴方がどんなに願おうと、叶うことはない。」



だって、神などこの世界には存在しないのだから。



「魔法は呪いよ。その呪いから楽になっていいの。貴方は神になんてならなくていい。」



ティターニアは囁く。

おもしろげに口元を歪ませ、薔薇の冠をゆったりと花開かせる。



「…」



カルロは唇を噛み締め、炎の色に目を閉じる。

ノックスは肩にしがみついたまま、声の出ぬ喉に苛立たしげに嘴を鳴らした。



「…神になったつもりは、最初からないよ」



カルロは掠れた声でティターニアの肩に額を預ける。そのまま黄金の瞳は青ざめた瞼の裏側に隠され、ティターニアは彼の首筋に絡ませていた棘をゆっくりと抜いた。

ティターニアは満足げにカルロの体を横たえ、微笑む。


そしてさっさと終わらせようと立ち上がり、地面に横たわりこちらを見つめる柘榴石の色を見つけて、言葉を失った。



菫色の瞳が、柔い恐怖に硬く強張る。



「俺は、死ぬのか」



幼子に似合わぬ、冷たく硬い声。変声期を迎えない鈴のような高い声は、煙に掠れていた。



「なぁに、死にたくないの?」



ティターニアはおもしろげに笑う。

柘榴石はゆったりと瞬きをすると、寝転んだまま不機嫌そうに答えた。

守るように夕焼け色を背中に隠しながら、妖精の女王をただひたすらに睨みつける。



「生は、本能だ。」


「んふふ、良いこと思いついちゃった」



ティターニアは羽音を響かせて止めようとするノックスを一思いに殺してから、柘榴石に近づく。



「私は完全な黄金が欲しいの。だから協力してちょうだい。」


「…?」


「一体どんな物語を生み出してくれるのか、楽しみだわ」



ティターニアは腕を伸ばす。そのまま柘榴石に触れようと指先が触れる寸前、青い花が彼女に絡みついた。



「っ!」


「油断してくれて助かったよ。」



闇に紛れ姿を現したノックスの頭を撫でてから、カルロは薄く笑いティターニアの薔薇の冠に素手で触れる。

薔薇は一瞬で青い花によって枯れ、代わりに鈴蘭が震えながら姿を現した。



「ティターニア、私と契約しろ」



黄金は輝く。

本体に触れられたティターニアはその言葉に抗う術を持たず、眠らせたと過信し背中を向けた自身に舌打ちをした。

ティターニアは不機嫌そうに眉を寄せると、かつて代償として手に入れた髪の毛を空中に浮かせ、首を傾げる。



「一体どんな契約かしら?簡単には私には手を出せないわよ。この貴方の依代があるかぎり、私は代償なしに貴方を縛ることができる」


「別に簡単なことさ。君は面白いことが好きだろう、それの延長線さ。」



カルロはティターニアの頬を片手で掴むと、無理やり引き上げゆっくりと笑った。



「賭けをしよう。私はこの子供達が共存する未来を、君はこの子供達に私が殺される未来を。私はこの子達がそれぞれの人生を生きることを望む。君はそれをこの子達の命を奪う以外の方法で阻止してくれて構わない。どうだい?」


「つまり、この力が一つの存在として認められるのかどうか、賭けをすると言うことね?」



この力の存在がこの世界に存在する一個体として認められる。

つまりは、この力が名をつけられ、それを力自身が自分の名だと認めた時、ティターニアの勝利であり、子供達の共存の道は絶たれる。不完全な魂として存在する二人は世界から排除され、死ぬ。

この際、力を封じ込めるために魔法を行使したカルロは代償により、力の消滅と共に死が確定する。


逆にこの力の存在が誰かに認められる前にカルロがそれぞれの欠けた魂を何らかの方法で修復し完全なものとした場合、カルロの勝利となる。



「私がその賭けに乗るメリットは?」



ティターニアは勝利を確信したまま笑う。

カルロはそれに不遜に笑みを返すと黄金をゆらめかせた。



「私と、そしてこの森の全てを君にあげよう。」



柘榴石はその様子を見つめたまま、頬に落ちた漆黒の横髪を小さな手で払う。

カルロはそれにゆっくりとかがむと、壊れ物を扱うかのように小さな体を起こし、額を突き合わせた。



「約束してくれないか、少年」


「…」


「君の名は、誰にも渡さないと。欠けたまま、私の元に帰ってくると」



太陽の言葉に、少年は眩しそうに目を細める。無機質なその表情は頷くこともせずにただ太陽を仰ぎ見ると、小さく口を開いた。



「なら、こいつを必ず守れ」



少年の言葉は、ひどく冷たい。

だが、こいつ、と指された夕焼け色の髪の少年を見る柘榴石は確かに柔く細められ、それにカルロはわかった、と頷いた。



「必ず守るよ、この子も、君も」



カルロの言葉に、少年はどこか虚をつかれたような顔をして目を丸くする。

そして静かに笑うと、そうだな、とゆっくりと目を閉じた。


カルロの背後から、茨が手を伸ばす。

カルロは咄嗟に子供を庇ったがティターニアは夕焼け色の子供にも茨を突きつけ、カルロは慌てて身体を離した。



ティターニアは嗤う。



「命を奪うこと以外って言ったわね。んふふ」



ティターニアは、柘榴石の子供を抱えカルロを嘲った。

黄金の瞳はじっとそれを見つめ、少しだけ首を傾ける。


「貴方は森の外に出ることはできない。どうやって二人を引き合わせるのか、見物ね。」



シャラリ、と鈴蘭が音を鳴らす。

カルロはそれにゆっくりと視線を逸らすと、横たわったままの幼子を柔らかく抱き抱え静かにティターニアに背を向けた。


炎で焼き焦げた森を横目に、カルロは騒ぐ魔法使いの声も無視して屋敷の門を潜る。

ノックスは満月の光に照らされた横顔を盗み見て、静かにため息をついた。



うまくいく。

主人の言葉は絶対であり、違えることはない。

ただ、そこにある憂いと呪いにノックスは視線を逸らす。



愛も、希望も、そして自由さえ奪われた。

そんな主人の呪いを誰かに解いて欲しいと思いながら、その誰かにはなれない自分を恨み、ノックスは柔くカルロの耳を嘴で喰んだ。


カルロはそれにくすぐったそうに笑うと、口を開く。



「…とりあえずあの子がこの森の外にいる限り契約は力を持ち続ける。ティターニアは魂を認めることはできても身体の方はこちらの領分だ。私があの子と触れ合わない限り、この子達は死ぬことはない」


「ご主人様」


「大丈夫だ。うまくいく。決して死なせはしない。必ずティターニアの祝福の抜け穴を見つけ出して、彼らを完全な魂として存在させる。」



カルロは微笑む。


「決して独りにはしない。」



幼子は、暖かな腕の中で身を捩る。

それに微笑む主人の横顔にノックスは目を逸らし、ため息をついた。


そのため息をさらうように、月日は流れ、幼子の背が伸びる。

ノックスは回想の波に目を閉じて、忘れようと努めていた彼の声をはっきりと思いだした。



「ノーックス!師匠はどこ?」



幼子特有の高い声から、低く艶のある声に変わるその間。

ガラス細工のように繊細で掠れた声が、あの日と同じようにため息をついていたノックスの耳元に響く。


ノックスは片目をゆっくりと開けると、キラキラと輝くペリドットの瞳を見やった。

師匠とお揃い、と嬉しそうに伸ばしている夕焼け色はキョロキョロと目の前を揺蕩う。



「今度こそ師匠を倒してやるって思ったのに!」


「森の魔物たちのところにでもいらっしゃるのではないですか?」


「それが森にもいないんだよ。屋敷のどの部屋にもいないみたいだし、どこ行っちゃったのかなぁ」



青年――アンブロージュはため息をつきながら木の根元に座り込んで前髪を息で弄ぶ。

それにノックスは頭上を見上げ、目を細めた。


イタズラげな、黄金の瞳。

一切気づくことのない弟子の姿にニヤニヤと笑う姿は師匠というよりは、イタズラが好きな五歳児のようで、いつまで経っても成長しない主人の精神年齢にノックスはため息が止まらなくなっていた。


がさり、と枝葉が揺れる。

それにアンブロージュは怪訝そうに上を見上げ、あ、と大きな声をあげた。



「師匠!」


「まだまだだねぇジョットー!」


「心音まで消していたら気づきようがないでしょうが!」



むっすりと頬を膨らましながらアンブロージュは当たり前のように腕を広げる。

それにカルロは少しだけ眩しそうに瞼を閉じてから、勢いよく、その腕の中に飛び降りた。


いつの間にか背丈を同じになってしまっていたそれにノックスは視線を逸らし、乱れた羽の毛を嘴で突く。

カルロはジョットーの腕の中でくふくふと笑った。



「師匠?」


「大きくなったね」



カルロの声は柔らかく、ジョットーはつられて笑う。

まだまだですけどね、と照れたように頬をかく姿にカルロはよしよしと頭を撫でると、さて、とマントを翻した。



「約束は約束だからね。一日一試合。さぁどこからでもかかっておいで」


青い花が優しく首をもたげる。

それにジョットーは楽しそうに笑うと、手に馴染んだ赤い花たちを炎の形に揺らして、カルロの元へと無策に突っ込んでいった。



衝撃音が森中に響き、ノックスは思わず目を瞑る。

魔物たちは日々響くこの重低音に空を見上げながら、主人のどこまでも楽しそうな声に顔を見合わせた。


赤い花が青い花を飲み込むように、大きく花開き、炎と姿を変える。

青い花は次々にそれを編み込むようにして防ぐと、美しい冠となって魔法陣を描き、炎を一気に鎮火した。


赤い花がガラスのように壊れるまで繰り返されるそれは1日を追うごとに時間が長くなり、カルロの隠れんぼに振り回されるジョットーの姿も、昼寝をしてうたた寝をしている彼を驚かす姿へと変わる。


そうして何百年として続いたそれは魔物たちでさえ気が遠くなるほどで、けれど当の本人たちは酷く楽しそうにその日々を繰り返した。



その日々がずっと続くことを一方は願い、新しい日が来ることを一方は思い描き、それをずっとノックスは傍で見守った。



「ご主人様」



黄金の瞳を見上げる。



「大丈夫だよ」



主人から返されるその言葉に、安心をして、不安を覚えて、そうして夜の闇を切り裂く黄金の瞳に縋りつく。



だから、あの日青年が放った言葉に救われたのは、きっとノックスの方だった。



「先生」



アンブロージュが笑う。

それにカルロは片膝を立てて地面に座りながらそれを見上げ、目を細めた。


夕焼け色の空は、彼の姿を覆い隠すように光り輝き、美しい毛並みはキラキラとその光を反射する。

アンブロージュは赤い花の冠をそっとカルロの頭の上に載せると、カルロの両手をとった。



「俺が、貴方を自由にしてあげる。」



カルロは目を見開く。

ついで歪められた顔は、泣き方を忘れたような幼子の顔でノックスはあぁ、とうめいた。



その言葉を言える、言ってくれる、そんな人間を待っていた。



「今日はまだ試合、やってないもんね」



アンブロージュは微笑む。

カルロはそれに何かを悟ったように立ち上がると、頭の上の冠にそっと片手で触れてから杖を構えた。



彼との試合で、杖を持ったことは後にも先にもこの時だけであった。



暗闇が、夜目のきくノックスの灰褐色の瞳を貫く。

夕焼けの消えたその世界の中で、はっきりと赤い花に傷つけられた青い花が映り、そしてこの日常が終わるのを悟った。



「じゃあ彼は今人間の世界で一人なのか?!」



アンブロージュの声が響く。



「どうして止めなかったんですか。あなたなら止められたはずだ!」



カルロの顔が歪む。



「魂を完全なものにするなんて、ティターニアたち妖精に喧嘩を売るようなものなのに」



赤い花は散る。



「俺たちを助けられたところで、魂に触れたあなたは妖精たちに殺されるってことでしょう?!結局それじゃあ、あなたは死ぬってことじゃないか!」



「私は!」



カルロは叫ぶ。

青い花は赤い花を守るようにただ優しくそれを包み込み、主人の激昂さえ肯定するかのように花開いた。



「私は約束したんだ。君も、あの子も、守ると。これは私が、私が迷ったから起こったことで」


「それじゃああなたは本当に神様じゃないか」



アンブロージュはカルロの両手を掴み、青い花で守ろうとする彼の体を揺さぶる。



「俺たちが一つになれば、それで済む話でしょう。あなたが死ぬ必要なんて、どこにもない」


「それじゃあ、駄目だ」



カルロは微笑む。

宥めるようにアンブロージュの手のひらを撫でると、ゆっくりと口を開いた。



「君の体では彼の力を受け入れるにはあまりに弱い。一つになるってことは、死ぬってことと同じなんだよ」


「そんなのやってみなくちゃわからない」


「ジョットー」


「先生、俺は森を出ることができるんですよね。先生の許可があれば、出ることができる」



カルロの瞳が揺れる。

アンブロージュ、と微かにかたどられた名は懇願するように歪み、けれどそれはすぐに黄金の内側に消えた。



「それが、君の選択なんだね」



カルロの言葉に、アンブロージュは後悔するように顔を歪める。

そうしてはい、と微かに頷くと灰褐色の髪の毛に隠された細い背中を手繰り寄せて、ささやいた。



「あなたを神様にはさせない。これで、最後だ。」



赤い花が、地面を燃やし尽くす。

青い花はそれを止めるように一度花開き、けれど諦めたようにその花弁を散らした。



「俺が、貴方を自由にしてあげる。だから、待っててね先生」



腕の中の温もりは消える。

崩れ落ちた太陽は、ただひたすらに残った赤い花弁をかき集め、笑った。



「…ご主人様」



ノックスの声に、灰褐色は青色に埋もれたまま何も返さない。

くぐもった笑い声は感情を知った幼子のように醜く響き、やがて涙に変わった。



青い花は、赤く燃える。

森中に響き渡る叫び声と絶叫は、正しくカルロの耳元に響き、彼は蹲りながらただそれから耳を塞いだ。



ただ一言。

ただ一言さえ、言えればよかった。



共に連れて行ってくれ、と。

そんな馬鹿げたことを。



「ご主人様!カルロ・ローレンス!」


「…きっと誰も私をゆるさないだろうね」



こんなつもりじゃなかったのに。

適当に誤魔化して、適当に過ごして、適当に、適当に、適当に。

そうしてなんとなく彼らを救った気になって、よくできた童話のように終わりにしようと思っていたのに。



ようやく、死ねるなんて、思っていたのに。

その奥にあるものをあの傲慢な弟子は掻っ攫って、そうして一番欲しいものは与えてくれなかった。



「あぁ、なんて人は身勝手なんだろうな」



ノックスは口をつぐむ。

燃やし尽くされていく森を見ながら、けれど満足したように笑う主人の姿から目を逸らせずにうめいた。



黄金は閉ざされる。

赤く燃える森の中でそれはゆっくりと立ち上がると、いつも通りの笑みでノックスを見やった。



「帰ろう。」



黄金は赤い花を見つめ、静かにそれを土の中へ埋める。

青い花はそれにただ目を逸らすと、全てが消え去った森に背を向け、静かに門を閉めた。


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