第41話:鉄格子を越える湯気
王宮の地下深く、光の届かない独房。ギルガデス王国の外交を支えてきたベルナルド・サックスは、冷たい石畳の上で痩せ細っていた。出されるのはカビの生えた硬いパンと、泥の混じった水。かつて知性と洗練を誇った彼の瞳は、絶望の泥濘に沈み、思考の火は消えかかっていた。
「……ここまでか。王は自ら、この国の未来を断ち切ったのだ」
ベルナルドが力なく目を閉じたその時、天井の通気口から、音もなく一人の影が舞い降りた。
「ベルナルド様。お迎えが遅くなりました」
「……ヴェイルか。幻覚まで、私の無能を笑いに来たか」
「幻覚ではありません。……これを見てください。レン殿からの、陣中見舞いです」
ヴェイルが懐から取り出したのは、奇妙な透明の袋だった。万象市場の最新機器、業務用真空パック機によって密封された、まだ温かさを保っている料理の包みだ。
鉄格子の外で見守る「怒りの白髪おじさん」
ヴェイルが袋を破った瞬間、冷たく湿った独房の空気が一変した。立ち上る湯気と共に、芳醇な味噌の香りと、炊きたての米の甘い匂いが充満する。
その時、ヴェイルの背後には、あの「白髪のやかん師匠」の霊が、腕を組んで浮遊していた。今日の師匠は、例のフライドチキンチェーンのロゴが入ったTシャツを、筋肉質な体でこれでもかとパツパツに着こなし、手にはトレードマークの銅製やかんを抱えている。
師匠は独房の隅に置かれた、腐ったパンの皿を一瞥すると、顔中の血管を浮き上がらせてブチギレた。
「(……ガタガタガタッ!!)」
師匠が抱えるやかんが、激しい怒りで鳴動する。霊感のないベルナルドには聞こえないが、「客にこんなゴミを食わせる監獄など、やかんの底で粉砕してやる。いいから弟子の飯を食え、今すぐ食え」という無言の圧力が、独房の温度を物理的に数度上昇させていた。
ミナがいないこの場では、その異様な気配に気づく者は誰もいない。だが、ベルナルドは確かに、死にかけた心臓が再び強く鼓動を打つのを感じた。
再点火:具沢山豚汁と特大塩むすび
ヴェイルから手渡されたのは、レンが万象市場の最高級米で握った、握りこぶしよりも大きな「塩むすび」。そして、魔法の保温容器に移し替えられた「具沢山の豚汁」だ。
「……いただきます」
ベルナルドは震える手で、まずは塩むすびを口に運んだ。
噛みしめた瞬間、一粒一粒が立った米から、豊かな甘みと絶妙な塩気が弾ける。ただの米と塩。だが、そこには極限まで研ぎ澄まされた「命の力」が宿っていた。
続いて、豚汁を啜る。
厚切りの豚バラから溢れ出した脂が、味噌のコクと溶け合い、弱り切った胃の腑に熱いエネルギーを流し込む。里芋のねっとりとした食感、大根に染み込んだ出汁、そして生姜の微かな刺激。
「ッ…………!!」
一口ごとに、ベルナルドの脳細胞に酸素と栄養が、爆流となって流れ込む。
霧がかかっていた思考が、一瞬で晴れ渡る。王国の財政状況、魔王軍の動向、民衆の不満、そしてレンがデヴォンで築きつつある美食の王国の未来図。
「……フフ。不味いパンを食っている間に、少し頭がボケていたようだ」
ベルナルドは汁を飲み干し、力強く立ち上がった。その瞳には、監獄の闇さえも焼き払うような、外交大臣としての鋭利な知性が再点火していた。
「ヴェイル。レン殿に伝えろ。『最高のメインディッシュを出す準備はできている』とな。私はこの中で、王国の腐敗を内側から崩壊させるための『毒』を練る」




