第37話:浄化の聖女、降臨
自由貿易都市デヴォンの喧騒が、突如として静まり返った。北の街道から、地響きのような蹄の音と共に、白銀の鎧を纏った一団が現れたからだ。ギルガデス王国が誇る重騎士団、そしてその中心で白馬に跨る一人の少女。
第3勇者、聖女マミ。彼女は祈りを捧げるように組まれた杖を掲げ、凛とした声で街の空気を震わせた。
「……嘆かわしいことです。勇者タカシ様もケンタ様も、このような毒々しい空気に当てられ、我を忘れてしまわれるとは」
マミの視線の先には、街全体を覆わんばかりの香ばしく、暴力的なまでに食欲をそそる匂いのカーテンがあった。
油の香りは悪魔の誘惑
今日のレンの厨房は、最高出力で稼働していた。巨大なフライヤーの中で、スパイスをたっぷりと纏った鶏肉が黄金色に踊っている。
「琥珀! 翼で風を送れ! 匂いを街の入り口まで届けるんだ!」
「心得た、主よ。この香気に抗える生命体など、この世には存在せぬ」
琥珀の翼が煽る風に乗って、秘伝の11種類のスパイスと、熱々に熱せられた鶏脂の香りが、入城したばかりの騎士団に真正面から激突した。
「……不浄です! なんという、理性を溶かす下卑た匂いでしょう!」
マミは顔を顰め、鼻を布で覆った。彼女にとって、食事とは神への祈りであり、魂を清めるための儀式に過ぎない。彼女の辞書に「脂の快楽」という言葉は存在しなかった。
聖女の背後に立つ「揚げ物の真理」
騎士団を引き連れ、マミは天龍の食卓の前に辿り着いた。そこには、配達バッグを背負ってコーラを飲むケンタの姿があった。
「ケンタ様! 目を覚ましてください! あなたはその悪魔の料理人に精神を汚染されているのです!」
マミの叫びに、ケンタは「あー、はいはい」と耳をほじった。だが、そのケンタの背後には、誰にも見えない「異様な影」が鎮座していた。
それは、レンの修行時代の師匠の一人であり、かつて「揚げ物の鬼」と呼ばれた白髪の老人だった。筋骨隆々の体に、K●Cのロゴが大きくプリントされた白いTシャツをパツパツに着込み、手には使い古された銅製の「やかん」を愛おしそうに抱えている。
彼は守護霊のようにケンタの後ろに立ち、マミに向かって「マナーのねえ奴は、油の中に沈めてやかんの底で叩き割るぞ」と言わんばかりの、よく切れる(ブチギレる)凄まじい眼光を放っていた。
もちろん、霊感のないケンタも、信仰心で目が曇っているマミも、その恐ろしい老人の存在には全く気づいていない。
しかし、獣人特有の鋭い直感を持つミナだけは、ケンタの周囲に漂う「何か」を感じ取っていた。
(……な、なに? ケンタさんの後ろに、ものすごく温度の高い、それでいてキンキンに冷えたやかんのような、恐ろしい殺気を感じる……!)
ミナは毛を逆立て、ガタガタと震えながら調理場の隅へと後退した。
聖女の記録
「……不浄です! 私は……騙されません……っ!」
レンが揚げたての、パチパチと音を立てるフライドチキンを一切れ、トングで差し出した。
「神様が作った鶏を、神様が作ったスパイスで揚げたんだ。どこに不浄があるんだよ。ほら、一本食ってみろ。天国が見えるぞ?」
マミの鼻腔を、スパイスの暴力が襲う。その背後では、ケンタに憑いた白髪の老人が「食え、食わねえならやかんで殴る」と言いたげに、無言で圧をかけ続けている。
マミの平らな腹部から、切実なまでの空腹の叫びが響き渡った。
「……くっ、私は……はふぅ、いい匂い……不浄です……いただきますぅ……っ!」
マミの目は、既に黄金色の衣に釘付けになっていた。




