第七十一話「大賢者、未来を想う」
統一暦一二一七年六月二十一日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン郊外、帝国軍野営地内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵
明日、我々は帰国する。
エーデルシュタインでの最後の夜ということで、兵たちに酒が振舞われている。
ジークフリート王も兵たちの中を歩き、声を掛けていた。
「ジークフリートも吹っ切れたようじゃの」
赤ワインの入ったグラスを持つ大賢者が私に話しかけてきた。
「そうですね。吹っ切れたかどうかはともかく、前に進もうと思っておられるようです」
「そうじゃの。このまま成長してくれればよいが……」
大賢者は一瞬だけ不安そうな表情をした。
「陛下が変わられることを恐れておいでですか?」
「そうではないのじゃが……どう言ったらよいかの……真っ直ぐな心と、他人を思いやる優しさも持っておる。それに自らの誤りを認める素直さもある。洞察力もあの歳にしてはなかなかのものじゃ。名君となる素質を秘めておると儂も思っておる。じゃが、そなたも以前言っておったが、暴君は名君から生まれる。代行者に見せた怒りは正当なものじゃが、怒りに身を任せぬかと不安が尽きぬのじゃ。そなたはどう思うておる? 不安は感じておらぬのか?」
大賢者は不安そうな表情を浮かべている。
話を聞き、何となく言いたいことは分かった。
「私は楽観しています。管理者になれるかはともかく、他者の意見を聞く姿勢がある限り、暴君になることはないでしょう。問題があるとすれば、同世代の友がいないことくらいです」
「どういうことかの? そなたやラザファム、イリスらがいれば、相談できる相手に事欠かぬと思うのじゃが?」
「私たちではすぐに答えに導いてしまいますし、考えさせたとしても答えがあると分かっていますから、不安は感じないでしょう」
「そうじゃの」
「ですので、陛下には一緒に悩んでくれる友が必要ではないかと思っているんです。いろいろな意見を聞き、気の置けない仲間と話し合う。私はイリス、ラズ、ハルトとそうやって成長してきました」
「なるほどの。それは盲点じゃったの。じゃが、それに気づいておるということはそなたに考えがあるのではないかの?」
「これから平和になりますので、少し年下の側近を付けてはどうかと思っています。年下であれば一緒に学べますし、陛下が教えることにもなります。その側近ですが、できれば貴族ではなく、騎士階級や平民から選んではどうかと考えています」
以前から考えていたことだが、これまでのような毎年戦争が起きるような激動の時代には難しいと思っていた。
しかし、皇帝が野心を抑え、大陸に平和が訪れるなら、ゆっくりと学ぶことができる。
「騎士階級か平民か……理由を聞いてもよいかの」
「様々な視点を持ってほしいからですね。私たちを含め、陛下の周りには貴族が多いですから」
本当の理由は別にある。
平和な時代になれば、平民である商人たちが力を持つはずだ。これは地球の歴史を見ても明らかだ。
当然、階級間の闘争が起きる。その時、一方の考えしか知らなければ、平民たちが不満を持ち、革命が起きかねない。
もちろん、そんなことが起きないようにするつもりだが、王の意識が平民に向かなければいつか暴発すると考えている。
それにもし管理者になるのであれば、貴族や平民という階級はあまり意味をなさず、対象は人族という括りになる。
そうであるなら、最も多い平民の考えを、身をもって知っておくことは有益だろう。
「そうじゃの。じゃが王に気兼ねなく話せるような者がおればよいが」
その点は私も懸念しているが、気長に探すしかないと思っていた。
そんな話をしていると、兵たちのところにいたイリスが戻ってきた。
少し酔っているようで顔が赤い。
「難しい話は終わりよ。今は楽しみましょ。大賢者様も一緒ですよ」
そう言って私の腕を引く。
「そうじゃの。このような場では無粋であった。許せ」
大賢者は苦笑しながら頭を下げた。
「では、私も兵たちのところに行きます」
そう言って妻と共に兵たちのところに向かった。
■■■
統一暦一二一七年六月二十一日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン郊外、帝国軍野営地内。大賢者マグダ
マティアスたちを見送った後、帰国前の打ち上げを楽しんでおるジークフリートに視線を向けた。彼は兵たちと楽しげに話しており、そこにマティアスらが加わった。
(管理者になってくれれば良かったのじゃがの……惜しいことじゃ……それにしてもマティアスは儂の予想を遥かに超えることをやってくれた……)
そんなことを考えていると、叡智の守護者の大導師シドニウス・フェルケが話し掛けてきた。
「陛下が管理者になってくれたらとお考えですか?」
「それもあるが、マティアスのことを考えておったのじゃ。あの坊と出会ったのは僅か二十五年前のことじゃ。あの時はこのようなことになるとは思いもせなんだの」
儂の言葉にシドニウスも感慨深げに頷く。
「本当にそうですね。マティアス君の優秀さはすぐに分かりましたが、まさかここまでとは思いませんでした。何とかグライフトゥルム王家を守ってくれればとは思っていましたが、まさか平和までもたらすとは想像もしていなかったですね……今でも信じられないくらいですよ」
「そうじゃの。それにジークフリートのこともある。候補者を指導してくれることに期待はしておったが、覚醒した管理者を援けただけでなく、これまでの最大の懸案であった魔素溜まりの封印方法まで編み出しておる。これには驚くより呆れたの」
世界が滅びに向かう最大の原因が魔素溜まりじゃ。魔素の継続的な流入により、この世界である具象界に魔獣が溢れ、人族を始めとしたこの世界の者たちの生存圏を狭めていた。
魔素溜まりを封じることは管理者だけでなく、この世界に住む者すべての悲願じゃ。歴代の管理者も何とかしようといろいろな方策を考えたが、流入を抑制することはできても完全に止めることはできなかった。
それをマティアスはいとも簡単に実現させたのじゃ。それも覚醒したばかりの未熟なジークフリートの力を使って。
「私も同じ気持ちです。どうしてこのような発想ができるのかと驚くことしかできませんでした」
「そうじゃの。驚くと言えば、あの者は代行者らの意識まで変えようとしておる。これも今までにないことじゃ。それによって、仮にジークフリートが管理者とならずとも、その後に期待できる。近い将来管理者が生まれることは間違いなかろう」
「管理者についてはそこまで楽観できるのでしょうか?」
シドニウスは管理者が不在の時代しか知らぬから懐疑的のようじゃ。
「マティアスが世界にとって必要じゃと思っておるのじゃから、必ず手を打つ。代行者の意識改革、大陸会議、ジークフリートの力の封印……ここまでやっておるのじゃ。儂では想像も付かぬことをやってくれるじゃろう」
「確かにこの件でも想像も付かないことをやってくれそうですね。大陸会議なんて私は考えたこともありませんでしたよ」
「儂もそうじゃ。最初に聞いた時には禁忌を冒す者が出て来ぬように人族に警告する場を設けるだけじゃと思っておった。それにこれほど深い考えがあるとは思ってもみなかったの」
大陸会議は世界を滅びに向かわせないため、管理者が定めた禁忌をより確実に守らせるために作られたと思っておった。
しかし、マティアスは代行者らがより世界に関与するために作ったのじゃ。
「いずれにしてもマティアスには今後も注視していかねばならぬ。目を離すと何をするか分からぬからの」
「全くその通りです」
儂の言葉にシドニウスが笑う。
(しかし、あのような天才が生まれてきたのは偶然かの? それとも神の計らいか……どちらにしても世界に希望が生まれたことは確かじゃ……)
儂はそんなことを考えながら、楽しく酒を飲んでおるマティアスらを見ていた。
あと一話で完結です。
感想、レビュー、ブックマーク及び評価(広告下の【☆☆☆☆☆】)をいただけましたら幸いです。




