第七十話「軍師、敗残兵に同情する」
統一暦一二一七年六月十九日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン、総督府軍兵舎内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵
ゾルダート帝国皇帝マクシミリアンとの弔慰金に関する交渉を終えた。
この件に関しては全面的に受け入れることなり、調印も行われている。
細々とした調整を終え、王国軍の宿舎になっている総督府軍兵舎に戻ってきた。
「マティアス卿のお陰であの皇帝から全面的な譲歩を勝ち取れた。犠牲になった兵たちの価値には遠く及ばぬが、遺族のためにできるだけのことはやれたと思う。感謝する」
「ありがとうございます。調印まで持っていけたのはよかったですね。今のマクシミリアン帝は精神的に参っていますが、落ち着けば巻き返してこられた可能性もありましたから」
私の言葉にラザファムが首を傾げる。
「そうなのか? 弔慰金を減額する交渉は四聖獣様に逆らうことになる。いくらあの皇帝でもそのようなことはできないだろう」
そこで妻のイリスが説明する。
「そうでもないわ。弔慰金を支払うという行為を否定しなければ、四聖獣様もお怒りにはならないはずよ」
「そうなのか?」
「そうよ。例えば、兵士たちに対する感謝の気持ちはあるが、帝国の基準に照らせば明らかに過大な要求だと訴えて、帝国の弱体化を狙った謀略に利用されていると言えば、四聖獣様も納得されるはずよ」
「だが、我が国の基準に照らしておかしくないのだから、その言い訳はできないのではないか?」
ラザファムはまだ納得できないようだ。
「仮にそうだとしても、帝国だけが負担するのはおかしいと訴えればいいのよ。世界を守るために命を落としたのだから、我が国はもちろん、共和国やシュッツェハーゲンも負担すべきだと」
妻の言う通り、帝国だけが負担する必要はないと言われたら、譲歩せざるを得なかった。
その場合でも半分以上は帝国に負担させるつもりだったから、弱体化を狙うという目的からしたら大きな違いはない。
そのために領土の割譲でも過大な要求を行い、分割払いでは倍以上の負担になると認識させたのだ。
計算自体は合っているが、明らかに過大な要求だった。
我が国でも現在価値で一人当たり十万組合マルク分を遺族に支払っているわけではないからだ。
我が国の弔慰金は遺族に対して年額一万ツンフトマルク、日本円で約百万円を年金として支給している。我が国の都市部の平民の平均年収は一万二千ツンフトマルク、農村部で五千ツンフトマルクだから充分に手厚い額だ。
しかし、ここに金利分は入っていない。
このことを皇帝が知っていたら、同じように十等分した金額を毎年払うという交渉をされかねなかった。幸い、そこまで情報を持っていなかったことと皇帝が冷静さを失っていたから気づかれなかった。
ちなみに年金の形にしているのは原資を確保するためだ。
レヒト法国との戦いでグランツフート共和国から防衛協力金として二十億マルクを得ているが、これを年利十五パーセントほどでヴィントムントの商人に貸し付けて運用している。
この利息だけで元本はほとんど減っておらず、国庫に穴を空けることようなことは起きないはずだ。
「話は変わるが、不可侵条約の件は共和国やシュッツェハーゲンと早急に話さなくてはならない。卿はこの後のことをどう考えているのだろうか?」
国王の問いに答える。
「グランツフート共和国に我が国とシュッツェハーゲン王国の代表団を送り、そこで協議することになると思います。その後は三ヶ国の代表団が帝都を訪問して詳細を詰めた上、調印の運びとなるでしょう。移動に時間が掛かりますから、三ヶ国間の交渉で一年、帝国との交渉で二年は掛かると考えています。ですので、次回の大陸会議で調印に持ち込めればよいのではないかと思っています。もっとも外交は外務省の管轄ですから、帰国してから詳細を検討していくことになりますが」
「その帰国だけど、第三軍団が到着してから出発ということでよいのかしら? 分散して船を使った方が早いわ。軍の一部を先行させてもよいと思うのだけど」
「そうだけど、第三軍団に我が軍の状況を見せつけておきたい」
皇帝の護衛大隊の兵士の様子を見る限り、魔神の攻撃を受け、心的外傷後ストレス障害、いわゆるPTSDになっている者が多いと感じた。
我が軍は城壁と城門で戦ったが、彼らは暗い森の中を逃げ回っただけだ。
そのため、敵が見えている我が軍の兵士より、心理的な負担が大きかったのではないかと思っている。
そんな状況の帝国兵に王国軍の威容を見せつければ、我が国と戦いたいと思う兵士は減るはずだ。そのことが帝都で噂になれば、不可侵条約の締結にもプラスに働く。
それに王国軍は三千名近い犠牲者を出し、五千人ほどに減っている。水軍での移動は一度に二千五百人ほどだから、二往復で移動は終わる計算だ。そのため、そこまで急ぐ必要はないだろう。
「今後のことを考えるという意味もあるが、皆で一緒に凱旋したい。彼らの奮闘を国民に知らしめたいからだ」
「私もそれがよいと思います。世界が救われたこと、そのことを鷲獅子様に褒めていただいたことを兵たちの前で民衆に伝えたいからです」
私の言葉にラザファムたちも頷いている。
それから皇帝と何度か協議を行った。
意気消沈しているためか、野心家という印象が薄れ、話し合いには真摯に対応してくれた。
六月二十一日の夕方、帝国軍の第三軍団がエーデルシュタインに到着した。
我々も出迎えるために整列していたが、その姿に衝撃を受けている。
兵士たちは薄汚れ、隊列もまともに組めていない。また、武器を持っていない者も多かった。
それ以上に驚いたのは兵たちの表情だ。
以前なら世界最強の帝国正規軍団の一員という誇りに満ちていたが、キョロキョロと周囲を窺う顔は暗闇に怯える幼子のように見えたほどだ。
そんな姿を見て、エーデルシュタインの市民たちも声を掛けられないのか、目の前を通っていっても黙って見送っているだけだ。
そのことが余計に敗軍の帰還という印象を強める。
「完全に敗残兵だな。精強さを誇った帝国正規軍団の面影などまるでない」
「本当にそうね。私たちも一つ間違えたら、あんな感じになっていたのかしら」
九ヶ月前に第三軍団と矛を交えたラザファムとイリスが感慨深げに話している。
(私の提案を蹴って戦っていたら、ここまで酷いことにならなかったんだろうな。まあ、そうなったら全滅していたんだろうけど……)
敵わなくとも勇敢に戦っていれば、絶望的な戦いであっても戦士としての矜持は保てただろう。しかし、戦うことなく逃げろという命令を受けたことで、その矜持が失われた。その結果、心が折れたのではないかと考えている。
「彼らが兵士として復帰することはなさそうだな」
ハルトムートが小声で私に言ってきた。
「そうだね。あんな風になったら兵士としてどころか、生きていくことも大変そうだよ。敵だったとはいえ、帝国政府が適切に対処してくれることを望むよ」
強いトラウマを抱えているから、退役するにしても通常生活も難しそうだと同情する。
(ベトナム戦争の帰還兵のように、退役した兵士が犯罪を起こしたら、私の謀略だと言われるんだろうな……私としては最も生存率が高い方法を提案したつもりだったのだが……)
第三軍団の兵士たちはそのまま総督府軍の兵舎に入った。
本来なら皇帝が演説を行うところだが、それすら難しいと判断したようだ。
総督府軍の宿舎を明け渡したため、我々は城外にある帝国軍の野営地に移動した。本来なら援軍である我が軍が宿舎を使うべきだが、あまりに悲惨な姿にこちらから譲渡を提案したのだ。
野営地では普段陽気な兵士たちが静かだった。
イリスが言っていたように、一歩間違えれば自分たちも帝国兵と同じような状況になっていたかもしれないと考えたからだろう。
そんな空気をハルトムートが変える。
「明日は国に向けて出発するんだ! 羽目を外せるのは今日だけだぞ! エーデルシュタインの市民から差し入れがあるんだ! 飲んで憂さを晴らそうぜ!」
彼が言うように明日の朝、王都シュヴェーレンブルクに向けて出発する。
最後の夜ということで、昼頃からモーリス商会のエーデルシュタイン支店を始めとする有志たちが酒やつまみを差し入れてくれた。
「ハルトの言う通りよ! 私たちは勝ったの! 盛大に祝いましょ!」
イリスもそれに乗り、宴会が始まった。
国王はビールの入ったジョッキを手に、兵たちの間を積極的に回っている。そのため、「我らが国王陛下に乾杯!」という陽気な声がいろいろなところで上がっていた。
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