第六十九話「皇帝、交渉に挑む:後編」
統一暦一二一七年六月十九日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン、総督府内。皇帝マクシミリアン
千里眼のマティアスとグライフトゥルム王国軍の戦死者に対する弔慰金について話し合っている。
その中で彼は我が国との不可侵条約の締結を仄めかしてきた。
四聖獣様の力を背景にした交渉に、余は大賢者に対して抗議を行った。
しかし、大賢者はラウシェンバッハが四聖獣の力を背景にしているわけではないと説明する。
「マティアスは世界を守るという使命のために、切り札を使ったのじゃ。もし、そうしなければ、エーデルシュタインの民は皆殺しにされ、巨大な魔窟ができたことじゃろう。これは儂の警告を受けて即座に民を避難させても同じじゃ。一週間ほどでは百キロも移動できぬからの。民の避難は王国軍が魔神たちを食い止めてくれることを期待しての要請だったのじゃ」
周辺の農村を含めれば七万人近い数の住民がいるが、老人や子供がいることを考えれば、一週間で百キロメートルという数字は最良の部類だろう。
そして、その程度の距離なら空を飛べる魔神や悪魔たちならほとんど意味をなさない。
そう考えると、護民官であるプレヴィンが聞いた、最初は森の中での遊撃戦を考えていたという話と整合が取れる。我が軍が南部街道でやられたように、身体能力に長けた獣人兵が悪魔たちを攻撃すれば、時間を稼ぐことは充分に可能だったはずだ。
プレヴィンによれば、王国軍は災害級以下の魔獣に対して完璧に対応できていた。遊撃戦であれば、魔神はともかく、魔将クラスでも翻弄できた可能性は高い。
「それだけではない。マティアスは帝国軍が生き延びるための策も授けておる。このことも理解しておるのではないかの」
このことも驚きだった。
余なら策など授けず、敵である我が軍を壊滅させたはずだ。この方法なら四聖獣様も文句は言えないし、確実に余を抹殺できただろう。
「伯爵の策に従わなければ、第三軍団が全滅し、余も命を落としていた可能性が高かったことは認めよう。だが、それと先ほどの話は別だ」
「マティアスの行動には明確な優先順位がある。第一に世界を守ること、第二に故郷であるグライフトゥルム王国を守ることじゃ。この順位に疑問の余地はない」
「言わんとすることは分かるが……」
以前にも言われたが、ラウシェンバッハは世界を守るという大義を重視しており、そのことを大賢者も四聖獣様も高く評価している。
「先ほどの話じゃが、不可侵条約の締結が不服なら断ればよいだけじゃ。儂もそうじゃが、代行者らも動くことはあるまい」
「だから四聖獣様を脅しに使ったわけではないと」
「そうじゃ。じゃが、そなたの言いたいことも理解できる。マティアスの恐ろしいところはそうせざるを得ないように巧妙に誘導してくるところじゃからの。もし断れば、代行者の制裁は受けずとも、国自体が滅びかねぬ」
大賢者の言う通りだと思わず頷いてしまう。
そこでラウシェンバッハが微笑みながら話し掛けてきた。
「この場で結論を出す必要はありません。独裁権をお持ちの皇帝陛下とは言え、これだけの案件ですから重臣方に諮らないといけないことは理解しています。また、力を落としたとはいえ、枢密院の承認も必要でしょう。それに私が見落としている画期的な策を思いつき、この状況を克服できるかもしれませんから」
これだけ雁字搦めにされて、逆転する方法など思いつくはずがない。仮に思い付いたとしても、それは奴の策の一環だろう。それを実行させて更に窮地に陥らせることすら考えているはずだ。
「不可侵条約を結べば、現在我が国に仕掛けている謀略をすべてやめると約束してくれるのか?」
「お答えしにくい質問ですね。我が国にとって国境を接する貴国が潜在的な脅威であることは間違いありません。そのような国を無条件に信じることが難しいことはご理解いただけると思います。先に言っておきますが、同盟国であるグランツフート共和国に対しても完全に信用しているわけではありませんよ。現在は友好関係にありますが、国境を接し、間に天然の要害が存在しない共和国は貴国と同様に潜在的な脅威であることに変わりはないのですから」
その言葉に驚く。
グライフトゥルム王国とグランツフート共和国との同盟関係は強固だ。特に共和国の守護神ケンプフェルトはラウシェンバッハと懇意で、元首であるハウプトマン議長との関係も良好だったと記憶している。
「共和国に対しても何かしているというのか!」
「今のところ何もしていませんよ」
さらりと言うが、“今のところ”という言葉に恐怖を感じた。
(共和国が敵対すれば、すぐに行動を起こせる体制が整っているということだ。ハウプトマンもそのことを感じ、友好的に接していたのかもしれぬな……)
そんなことを考えるが、よい情報を得られたと内心でほくそえむ。
「ちなみにこのことを共和国の方々に言っても無駄ですよ。議長閣下も元帥閣下も既にご存じですので」
「もう脅しているのか……」
「はい。ですが、問題はありません。我が国に敵対しなければよいだけですから。そのことは共和国の皆さんもよく理解されています」
ラウシェンバッハの笑みに恐怖を感じた。
魔神に対するものとは全く違う恐怖だ。例えて言うなら底なし沼にゆっくりと沈んでいくような、何をやっても無駄だという無力感に近いものだ。
「あなた、言い過ぎよ。マクシミリアン陛下がお困りになっていらっしゃるわ」
ラウシェンバッハの妻イリスが笑みを浮かべながら窘める。
「この件に関しては、私もイリス卿の意見に賛成だ。マクシミリアン殿をこれ以上困惑させる必要はないだろう」
ジークフリート王が笑いながらフォローするが、私に視線を向けて話し始めた。
「マティアス卿は警告を与えることはあっても、恫喝するようなことはしない。ハウプトマン議長もケンプフェルト元帥もそのことは理解している。それだけは分かっていただきたい」
その余裕に敗北感が募る。
(十八歳の若造にまで余裕を見せられている。これは完全にラウシェンバッハの手の平の上で踊らされているな。ペテルセンがいればもう少し対抗できたかもしれぬが、余ひとりでは無理だ……)
心の中で落ち込むが、それを無理やり抑え込み、余裕を見せるように微笑む。
「潜在的な脅威というだけであれば手を出さぬのなら、それで充分だ。貴国との関係については帝都に戻ってから家臣たちと相談するが、弔慰金についてはモーリスに依頼することにしよう。伯爵からも口添えを頼みたい」
「承知いたしました。私からもあまり厳しい条件にならないように頼んでおきましょう」
どの口が言うのだと思わないでもないが、ここでそれを口にしても益はない。
「よろしく頼む。先ほどの不可侵条約の話だが、締結すれば皇国軍の残党どもを使った破壊工作もやめると理解してよいのだな」
「旧皇国軍が独立運動を行っていることは理解していますが、我が国は関与していません。それとも関与している証拠がございますか?」
いけしゃあしゃあと言ってきた。そのことに苛立つ。
「卿が証拠を残すような下手を打つことはあるまい。だが、この件で最も利益を得ているのは王国だ。そして、これほど巧妙な策を実行できるのは卿しかおらぬ」
「それは違います。旧皇国領が不安定なのは貴国の占領政策の失敗が原因です。力で抑えつけても反発するだけですから」
「その点は認めるが、そうなるように仕向けたのではないか?」
認めるとは思えないが、言わずにはいられなかった。
「恒久的な平和を目指すのであれば、相互の不信は解消すべきです。皇帝陛下が真に平和を求めるのであれば、占領政策に対する助言もやぶさかではありません」
「助言だと……それは真か? 王国に有利になるように誘導するだけではないのか?」
火を点けた本人が消す方法を助言すると言ってきた。そのことに思わず睨みつけてしまう。
「我が国の安全保障上有利になるという点でおっしゃられているのであれば、その通りです。ですが、それと貴国を混乱させることはイコールではありません。双方にメリットがある提案は充分に可能だと考えています」
気負いもなく言ってきたが、この男なら可能だろう。
(完全に余の負けだな。ここで我を張っても我が国が立ち行かなくなるだけだ。それにしてもどこで間違えたのだ? 我が帝国は大陸を統一できるはずだった。それが小国であるグライフトゥルム王国に膝を屈しねばならんとは……すべてこの男にやられた……)
強い敗北感を抱きながら交渉を終えた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
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