第六十八話「皇帝、交渉に挑む:中編」
統一暦一二一七年六月十九日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン、総督府内。皇帝マクシミリアン
グライフトゥルム王国との交渉が始まった。
ジークフリート王は交渉をラウシェンバッハに任せた。
三億組合マルクは我が国の国家予算の四パーセントに相当する。既にモーリス商会に七十二億ツンフトマルク以上の借入金がある中、更に三億もの金が無為に出ていくことは、ただでさえ危機的な我が国の財政に止めを刺しかねない。
(ここが正念場だ。素直に支払えば、我が国の財政は破綻しかねぬ。ラウシェンバッハが認めるはずはないが、何としてでも譲歩を引き出さねばならん……)
余は戦死者に対する弔慰金について、領土の譲渡か、分割払いにしてほしいと伝えた。
ラウシェンバッハは小さく頷いた後、笑みを浮かべて話し始めた。
「土地の譲渡でも分割での支払いでも受け入れます。貴国の財政状況では致し方ないでしょうから」
「よ、よいのか!」
あっさりと認めたことに驚き、思わず声が上擦る。
ラウシェンバッハは「はい」と言ってもう一度頷いたが、条件を示してきた。
「領土については旧リヒトロット皇国領、具体的にはリヒトロット市とそれ以西のグリューン河流域にあるナブリュックなどの都市の割譲、もしくは永久的な租借権を求めます。分割の場合は年利二十パーセントの利率で、十年の元利均等払いでお願いします」
リヒトロット市から西でグリューン河の流域の都市となると、穀倉地帯からの輸送を完全に握られることになる。また、帝国の東部以外の物流を牛耳られることになり、軍の展開にも支障が出るだろう。
「それだけの領土を譲ることはできん。三億組合マルクが大金であることは理解するが、あまりに酷い条件ではないか」
足元を見られたと思った。
疲弊しているとはいえ、かつて大陸一の大国であったリヒトロット皇国最大の商業圏だった都市群を要求されたのだ。我が国の国家予算の四パーセントに過ぎぬ金で譲り渡すようなことはあり得ない。
「そのようなことはございません」
そう言って微笑み、理由を説明し始めた。
「当該の都市から貴国が得ておられる税収は年間一億ツンフトマルク程度のはずです。そのうち、必要経費を七割程度と楽観的に見積もり、利回りを通常の金利の半分である十パーセントと考えても、三十年では現在の二億九千四十マルクを回収することはできないのです。戦争で疲弊した旧皇国領の都市の査定としては充分に適切であると自負しております」
我が国の税収や必要な経費まで把握していることに驚くが、既に計算し、余でも頷きそうな説明を考えていたことにも驚いている。
(余がこのような条件を言うことを予想していたということか……)
そこで更に確認する。
「ちなみに年利二十パーセントの十年の分割では、年間どの程度の支払いになるのだろうか?」
「約六千九百三十万ツンフトマルクです」
ラウシェンバッハは即座に答えた。これも計算してあったようだが、その額に驚きを隠せない。
「年に約七千万……十年で倍以上になるということか」
「そうなります。もっとも年利二十パーセントは商人組合の標準的な金利ですから、暴利というわけではありません」
その言葉に苛立ちが募るが、二年程度で戦争に持ち込めば、出費は半額以下に抑えられると考え直す。
「では、その条件で……」
そう言おうとした時、ラウシェンバッハが遮ってきた。
「この弔慰金は世界を守るために戦死した兵士の遺族に支払うものです。これを反故にすることがあれば、四聖獣様に訴えることを考えています。既に聞き及んでいらっしゃると思いますが、鷲獅子様が兵たちの働きを褒めてくださったのです。鷲獅子様は正義を重んじる聖獣様です。そのことをお忘れなきよう」
その言葉で余は固まってしまった。
(確かに反故にすれば、四聖獣様の報復を受ける可能性は高い。それを見込んで鷲獅子様に称賛してもらったということか……してやられた……)
そこで大賢者が話に加わる。
「兵たちに報いることは鷲獅子だけでなく、他の代行者も認めておる」
余に向かってそう言った後、ラウシェンバッハに視線を向けた。
「マティアスよ。マクシミリアン帝も反故にしようなどとは思っておらぬはずじゃ。そなたも帝国の財政的に難しいことは分かっておろう。落としどころを提示してやってはどうじゃ?」
王国寄りの大賢者が助け船を出してきた。そのことに驚くが、表情に出すことなく、耳を傾ける用意があることを示すために小さく頷く。
「分かりました。大賢者様のお言葉ですのでこちらから代替案を提示しますが、本来貴国にて考えていただくべきことです」
「その通りだ。だが、余にはよい案がない。それに卿が示す案は現実的なものだろう。それを聞かせてほしい」
ラウシェンバッハのペースに乗せられていることに気づいている。しかし、奴が世界を救う策を考え実行したことは事実であり、四聖獣様を味方に付けている以上、こちらは弱い立場にならざるを得ない。
「モーリス商会を介し、金属資源、穀物、畜産物、木材加工品など貴国の物産を現金化して我が国に支払うのです。また、軍が開墾した大規模な農場の権利を売ってもいいでしょう。この辺りはライナルト殿と交渉していただければよいかと思います」
「モーリス商会が立て替えるのか……だが、それだけの額の物を譲り渡せば、我が国から物がなくなってしまう……」
モーリス商会なら三億マルク程度の金はすぐに用意できる。それに帝国内の主要都市に支店を展開しているから、産物だけでなく、不動産などの資産を譲り渡す条件でも承諾する可能性は高い。
しかし、我が国には輸出して金になる物が少ない。また、不動産関連も既にこれまでの借入金の担保となっているものが多く、商会が納得するものは少ないだろう。
そうなると、ある程度余裕があり余剰として売れるものは西部域の穀物くらいしかない。
「確かに物は減りますが、モーリス商会なら適正な評価をしてくれますし、分割払いにするより遥かに負担は減るはずです」
確かにモーリス商会なら適正な価格で取引をしてくれる。
しかし、今でも帝都では食料不足が深刻なのだ。この状況で更に穀物の流通が減れば、恐ろしいほどの物価の高騰を招くはずだ。
予測は難しいが、食料品価格が二倍以上になることは間違いなく、大規模な暴動が起きることは容易に想像できる。
「卿の案が合理的だということは分かるが、物価の高騰で民が喘ぐことは間違いない」
そこでラウシェンバッハは小さく頷いて微笑む。
「ならば、商人組合が懸念しているのは貴国がヴィントムント市を併合し、組合を解散させることです。彼らにとって重要なことは商売が自由にできることです。それを脅かす貴国は不安でしかありません。逆に言えば、その不安さえ解消できれば、商人たちも大陸最大の国家である貴国に投資するようになるので、物流も劇的に改善するはずです」
言わんとすることは分かる。
しかし、モーリス商会以外の商人組合所属の商会に声を掛けても見向きもされない。
「組合を納得させる方法がない」
「我が国、シュッツェハーゲン王国、グランツフート共和国と停戦し、不可侵条約を結べばよいのですよ。そうすれば、ヴィントムント市は安全になりますから、商人たちの不安も解消されるはずです」
「不可侵条約だと……それが狙いか!」
ようやくラウシェンバッハの狙いが見えた。そのことで思わず声に出してしまう。
「貴国が我が国の安全保障上の最大の懸念です。それが解消されるのであれば、敵対する理由はないですし、商人組合に協力を要請することもやぶさかではありません。組合も私からの要請を無視するようなことはしないでしょう」
自信に満ちた表情だ。確かにラウシェンバッハを敵に回したい商人はいないだろう。
だが、素直には頷けなかった。
「四聖獣様の力を背景に、余を脅しているつもりか?」
絞り出すような声で指摘する。
「それは違います。貴国が立ち行かなくなると言うのであれば、手を差し伸べる用意があると言っているのです。但し、我が国も敵に対して甘い顔を見せるつもりはなく、敵対しないという条件は付きます。当然のことではありませんか?」
「それが脅しだと言っているのだ。受け入れざるを得ない条件を提示し、拒否すれば四聖獣様の制裁を受けるしかない。大賢者殿、このようなことを許してもよいのか?」
大賢者はラウシェンバッハを一瞥すると、余を見つめながら話し始める。
「そなたは大きな勘違いをしておる」
「勘違い? ラウシェンバッハが脅してきたことは事実だが」
「マティアスは儂の要請を受けて、敵国である帝国を救援すべきとジークフリート王を説得した。本来であれば、今回のような非常識な行軍速度を見せることは王国にとって避けたいことだったはずじゃ。奇襲に使えるのじゃからの。そのことはそなたも分かっておろう」
突然話題が変わったが、大賢者の言いたいことは理解できる。
エーデルシュタインは我が国の重要な軍事拠点であり、ここを奪われることは帝国中部から西部に掛けての兵站の崩壊を意味する。
「それは理解している。切り札を見せたことに驚きがあったことは事実だ」
エーデルシュタインに近いザフィーア湖西岸にいた第三軍団でも間に合わなかった。それが千数百キロメートル離れたグライフトゥルム王国の軍の方が間に合ったのだ。
その情報を聞いた時、これだけの軍事的な優位をあっさりと捨てたことに驚きを隠せなかったほどだ。
そう考えると、ラウシェンバッハが何を目指しているのかと疑問を持った。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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