第六十七話「皇帝、交渉に挑む:前編」
統一暦一二一七年六月十九日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン、総督府内。皇帝マクシミリアン
エーデルシュタインの南部総督府に入った。
建物の中を歩きながら、先ほど見た王国軍のことを考えている。
(王国の者たちの余裕は何なのだ。魔神の攻撃を受けたのではないのか……)
ジークフリート王を始め、グライフトゥルム王国軍の将兵はいつもと変わらぬようにしか見えなかった。
一方の我々だが、未だに魔神の襲撃の恐怖を引きずっていた。
余の護衛大隊は比較的損害が少なかった部隊で、定数五百人に対し、戦死者は百人ほどだ。しかし、生き残った四百人のうち、百人ほどが心を病み、使い物にならなくなっている。
護衛大隊に選抜された者たちも、夜を迎えるたびに恐怖が蘇るのか、睡眠不足で士気は最悪だ。僅か三日の行軍であるにもかかわらず、同僚とトラブルを起こし、懲罰を受けた者が二十名以上いる。
他の部隊でも心を病んでいる者が多く、生き残った一万二千のうち、まともに戦えるのは五千ほどではないかと、軍団長のキューネルは頭を抱えている。
そんな兵士たちに対し、余は何も言えない。
夜になると僅かな物音にも身体が反応し、飛び起きそうになっているからだ。
それなのに王国の者たちは笑みを浮かべる余裕すらあった。
豪胆なことで知られるラウシェンバッハやエッフェンベルクはともかく、まだ十代の若造に過ぎないジークフリートや女性であるラウシェンバッハの妻まで自然体だった。
(本当にここで戦いがあったのか? いや、プレヴィンが偽りを申すはずがない。だとすれば、王国との関係を見直す必要があるかもしれぬ……)
護民官であるエリク・プレヴィンは第一軍団の騎士長だった男だ。
師団を率いる能力はないが、精鋭である第一軍団で連隊を率いるだけの能力を持つ有能な男で、名将マウラーも評価していたと記憶している。
そのプレヴィンが一時総督府軍本部まで魔神や魔獣たちに攻め込まれ、王国軍にも大きな被害が出たと報告している。魔神による襲撃が実際に起きたことは疑いようがない事実だ。
総督であるアンドレ・サイツとプレヴィンを呼び、昼食を摂りながら情報のすり合わせを行っていく。
「王国の要求については変わっていないという認識でよいな」
余の問いにサイツが答える。
「そのご認識で間違いございません。王国軍の戦死者二千九百四名に対する弔慰金について、一人当たり十万組合マルク、計二億九千四十万ツンフトマルクとラウシェンバッハ伯爵より聞いております。いささか過大な要求だと思いますが、王国ではジークフリート王が即位してから、この金額を戦死者の遺族に支払っているとのこと」
約三億ツンフトマルクは我が帝国の国家予算の四パーセントに当たる。
ジークフリートが即位してから戦が続いているが、グランツフート共和国から十億ツンフトマルク以上の防衛協力金を得ているという情報が入っており、実際に支払っている可能性が高い。但し、一括で払っているわけではなく、複数年の年金という形らしい。
「確かに過大な要求だな。だが、実際に支払っているなら、我が国が拒否することも難しい。下手に減額の交渉をすれば、そのことをもって余が吝嗇であるという宣伝に使われかねぬからな」
「小職もそのことを懸念しております。特に鷲獅子様が王国軍の働きについて、直々にお褒めの言葉を発しておられます。この状況で減額の交渉をすれば、四聖獣様に逆らうのかと言われかねませんでした」
鷲獅子様がここエーデルシュタインに来て、ジークフリートと王国軍の働きを褒めた話は聞いている。確かに大賢者が魔神を倒すまでの時間を稼いだことは事実だが、神に等しい四聖獣様を味方に付けたラウシェンバッハの狡猾なやり方に怒りを覚えている。
「弔慰金については余が直々に交渉するしかあるまい」
そう言った後、プレヴィンに視線を向ける。
「王国軍の実力について、そなたの意見が聞きたい。余もグラオザントで戦ったが、ラウシェンバッハがいる王国軍は見ておらぬからな」
「正直なところ、私では彼らの実力を読み切ることができませんでした。ただ、ラウシェンバッハ伯爵の作戦立案能力に加え、エッフェンベルク侯爵やイスターツ男爵らの指揮能力は脅威です。精鋭であるラウシェンバッハ師団や近衛連隊とは戦いたくないという思いは強く持ちました」
「歴戦の卿でも戦いたくないと思うほどか……ラウシェンバッハの思惑通りに進んだと余は考えているが、卿の意見はどうか?」
「王国から襲撃に間に合うように移動しただけでなく、災害級の魔獣に対しては完璧な対応を見せておりました。事前に周到な計画が練られていますし、そのことを伯爵自身が認めています。但し、ここでの防衛計画は急遽作られたものです」
プレヴィンの言葉に疑問が湧く。
「急遽作られた? その割には住民の被害は驚くほど少ないが?」
「伯爵は住民が残っていたことに驚いていました。そのため、防衛計画を一から作らざるを得ず、我が軍も情報と資材を提供しております。直接聞いたわけではありませんが、伯爵は森の中での遊撃戦を想定していたようです」
そこでサイツが下を向く。
大賢者から警告を受けたのに一週間以上放置し、その結果、住民が残ることになったためだ。
「余も聞いた時には驚いたが、さすがの“千里眼”も卿の行動を読めなかったか。フフフ……」
サイツを見ながら笑うが、急遽作られた計画であってもほぼ完璧に住民を守っており、そのことに驚きを隠せない。
「おおよそのところは理解した。午後にジークフリート王らと会談する。プレヴィンは同席し、王国軍の要請を確認せよ」
「御意」
プレヴィンが答えた後、サイツを見る。
「卿は第三軍団の受け入れ準備を行え。恐らく二日後にはここに到着するはずだからな」
この男がいても役に立たない。それならば、できることをさせた方がよいと考えたのだ。
「御意」
サイツは余の目を見ることなく、頭を下げる。
昼食を終えた頃、総督府の文官が現れた。
「会談の準備が整いました。王国側の出席者は予定通り、ジークフリート陛下、エッフェンベルク侯爵、ラウシェンバッハ伯爵、ラウシェンバッハ伯爵夫人の四名です。大賢者様も既に応接室に入られました」
余はその言葉に頷いた後、立ち上がる。
プレヴィンと二名の執政官を引き連れ、応接室に向かった。
総督府の応接室に入ると、最初に大賢者に向かって大きく頭を下げる。
「大賢者殿には我が国を救ってくれたこと、感謝してもしきれない。本当に助かった」
「うむ。軍団については大きな被害が出たと聞く。やむを得ぬことではあったが、魔神討伐に時間が掛かったことを詫びよう。この通りじゃ」
大賢者はそう言って頭を下げた。
「いや、謝罪には及ばない。エーデルシュタインを優先したことは正しい判断だ」
実際、もっと早く来てくれたらと思わないでもなかったが、ここで文句を言えば、住民より軍を優先するのかと勘繰られると口に出さなかった。
そこで視線をジークフリートに向ける。
「先ほども申したが、ゾルダート帝国皇帝として我が臣民を守ってくれたことに感謝する」
「感謝のお言葉、受け取りました。私としても住民の被害が少なく済み、安堵しています」
彼は気負いもなく、そう答えた。
国王に代わり、エッフェンベルクが話し始める。
「我が軍は貴軍に引継ぎ後、速やかに帰国する予定です。その際、シュヴァーン河沿いを移動しますので、その許可をいただきたい」
今更許可でもないだろうと思わないでもないが、鷹揚に頷く。
「もちろんだ。食糧等の物資が必要であれば、こちらで用意する。千里眼殿がいるから、既に手配は終わっているだろうがな」
ラウシェンバッハほど補給の重要性を認識している者はいないから、手配が終わっていると確信していた。
「ご配慮いただき、ありがとうございます。ですが、必要な量は確保しておりますので、問題ございません」
予想通りの答えをラウシェンバッハが言ってきた。
「それでは本題に入りたい。貴軍の戦死者に対する弔慰金だが、支払うこと自体に否はない……」
大賢者がいる以上、鷲獅子様が賞賛した王国軍の要求を呑まないという選択肢はない。
「だが、三億組合マルク、我が国の通貨、帝国マルクで言えば、六億にもなる大金だ。これほどの金額は我が国の支払い能力を超えている。申し訳ないが、別の方法を検討してもらえないだろうか。例えば、シュヴァーン河東岸の土地を譲渡することも可能だし、分割という手もある」
土地を譲渡することは軍の支持を失いかねない方法だが、我が軍なら取り返すことはそれほど難しくない。
分割払いにする方法も、王国が我が国に敵対すれば、それを理由に反故にできる。
「マティアス卿、卿に任せる」
ジークフリートはラウシェンバッハに交渉を任せるようだ。
「御意」
ラウシェンバッハはそう答えると、笑みを浮かべたまま、余に視線を向けた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
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