第四十九話「大賢者、奇跡を目の当たりする」
統一暦一二一七年六月十七日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン、上空。大賢者マグダ
儂はジークフリートが光の繭に篭ったまま出てくる気配がないため、喫緊の問題であるゾルダート帝国軍を襲う魔神たちに対処するため、現地に向かおうと町を出ようとしていた。
(何じゃ、この力は……)
突然強い力を感じた。
しかし、それは不快なものではなく、優しく温かな力じゃ。振り向くと、優しい光が町を照らしておった。
(何が起きておる……ジークフリートのいた辺りじゃな。戻るかの……)
総督府軍本部に急ぎ戻る。
建物の上には未だに光の繭があるが、そこから柔らかな光が周囲を照らしていた。
未だに屋上にいたシドニウスに話を聞く。
「何が起きたのじゃ?」
シドニウスは困惑の表情を浮かべて首を横に振る。
「分かりません。突然光を放って……」
そこまで言ったところで、ラザファムが叫ぶ。
「通信兵から報告が入りました! 負傷者が次々と回復しているそうです! 奇跡が起きています! 本当によかった……」
冷静な彼が歓喜の表情を隠そうともしない。
シドニウスに理由を聞くと、魔導師たちを派遣したものの、負傷者が多すぎて対応できず、多くの者が命を落とすのではないかと考えておったそうじゃ。
「ジークフリートがやっておるのじゃろうが……儂にはもちろん、歴代の管理者でもこれほどの奇跡は起こせなかったはずじゃ。何が起きておるのかの……」
思わず独り言が零れる。
管理者は神と同一視されるが、非常に強力な魔導師に過ぎぬ。無論、大量の負傷者を一度に癒す奇跡を行えぬわけではないが、魔導の知識がなければ難しい。
「グレゴリウスの魔導を防いだことといい、この奇跡といい、ジークフリートに何が起きておるのか……」
「よいのではありませんか? ジークフリート様が管理者となってくださるようですから」
シドニウスは“陛下”と呼ばず、名を呼んだ。ジークフリートが管理者になることが確定したと思っておるようじゃ。
「そうじゃな。治癒だけなら問題はない。儂は帝国軍のところに行く。何かあれば連絡を頼むぞ」
慌てて戻ってきたが、危険な兆候は見られないため、儂は魔神に襲われておる帝国軍を救いに行くことにした。
(ダグマーがまだ残っておればよいのじゃが、思ったより時間を食った。リヒトロットに向かわれたら厄介じゃな……)
管理者の力を持つ邪神の誕生という最悪の事態は回避できたが、神霊の末裔の大導師ダグマーに憑依した魔神が帝国軍を殺して力を得ておる。このまま人口の多い大都市に向かうことだけは何としても避けたい。
(対処ができぬとは思わぬが、犠牲は少ない方がよい。それにリヒトロットか帝都で虐殺が起きれば、魔窟ができることは間違いないのじゃ。それだけは防がねばならん……)
ダグマーに憑依した魔神なら二十万人の人口を誇る帝都ヘルシャーホルストの住民すべてを殺して力を得ても、儂や代行者には及ばぬ。
しかし、それだけの力が魔象界から取り出されれば、半径数十キロメートルは人が住めぬ魔窟と成り果てるじゃろう。
儂はそのことを考えながら、北東に向けて全力で飛んでいった。
目的地の方を見ると、激しく炎が上がっており、火災も先ほどより更に大きくなっていた。
(これではここも魔窟になるの……この辺りは比較的平穏であったのじゃがな……)
エーデルシュタインから北はこの大陸でも魔素溜まりが少ない土地であった。しかし、それも過去のものになると、暗澹たる気持ちになる。
(ダグマーらを倒したら代行者らを呼んで鎮めるしかないの……)
そんな気持ちを抱きながら北東に向かった。
■■■
統一暦一二一七年六月十七日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン北東、街道付近。皇帝マクシミリアン
余は軍と共にエーデルシュタインに向かったことを後悔していた。
(魔将や魔竜は人が敵う相手ではない。過去の伝承から分かっていたはずだが、ラウシェンバッハへの対抗心からここに来てしまった。エルレバッハの言葉を聞いておくべきであった……)
岩陰に隠れているが、耳をつんざくような爆音は絶えず、森が焼ける匂いが充満している。一度、更に森の奥に逃げようとしたが、悪魔が監視のために上空をうろついているため動けずにいた。
(打つ手がない。それどころか、いつあの強力な魔導がここに放たれるか分からぬ……あやつのように気が触れた方が楽だったかもしれぬな……)
横に転がる副官の姿を見つめる。
頻繁に近くで魔導が爆発することに恐怖し、喚き散らし始めたので、護衛の陰供が殺したのだ。
無様な姿を目の当たりにしたお陰で、余は正気を保っていられたが、恐怖で言葉を発することすらできずにいる。
(大賢者は我らを見捨てた。恐らくラウシェンバッハの提案に乗ったのだろうな。まあ、余が奴でも同じ提案をしただろう……)
大賢者が約束した以上、奴もこの機を利用して帝国の力を削ぎに来ることはない。しかし、合理的な判断であることは余にも分かっている。守るべき民が七万もいるエーデルシュタインと三万の第三軍団では、どちらを優先するかは自明であるためだ。
(だからと言って、見捨てられる方は堪ったものではない……)
恨み節が出そうになるが、仕方ないがだろう。
三十分ほど前に一度攻撃が止んだ。情報は入ってこなかったが、恐らく大賢者を見て逃げ出したと安堵した。
しかし、すぐに攻撃は再開された。
それも最初より激しくなっており、大賢者が戻って来ないことを確信したかのようだった。
(どの程度の兵を失ったのだろうか……)
そんなことを考えていたが、異様な力を感じた。
(何だ、この感じは……)
背筋がゾワリとするような気持ち悪い力で、護衛たちも周囲を見回している。
魔導による炎で照らされた森が揺らいで見えた。
(炎の揺らぎか? いや、違う!)
どす黒い力が地面から湧き上がってきたのだ。
そして、本能的に危険だと感じ、命令を出す。
「ここは危険だ! 南に向かう!」
陰供二名と共に遮二無二走る。
後ろから何かが迫ってくる気配は感じるが、振り返る余裕がない。
(何が起きている? だが、このままここで魔獣に食われて終わるわけにはいかぬ!)
心の中で自らを叱咤する。何度か転び、泥だらけになりながらも森の中を走った。
息が上がり、心臓が爆発しそうになる。
(もう走れぬ……)
限界を感じ、足を止めた。
そこであることに気づいた。
「魔導が止んでいる? どういうことだ?」
陰供に聞くが、彼らも首を傾げるだけだ。
「とりあえず、ここで休む。その方らは周囲を警戒しておけ」
そう命じた後、手近な大木の根元に背を預けて座る。
(余はもう少し人族に力があると思ったのだがな。これでは逃げ惑う子羊と同じではないか……)
心の中で自嘲する。
「悪魔らの姿が見えません」
表情を変えない陰供が珍しく困惑した表情で報告してきた。
「では、この場で待機する。その方らは引き続き警戒せよ」
理由は分からないが、敵が消えたことに安堵する。
(完全に魔導は止んだな。大賢者が来てくれたようだ。あと少ししたら、街道に戻るとしよう……)
魔神とその配下が大賢者に蹴散らされているのだと当たりを付けた。
(しかし、このような訳の分からぬことは二度とごめんだ……ラウシェンバッハはこの状況も想定していたのだろうか? これほどの災厄に対して、冷静に対処していたのなら、奴は人ではない……だが、奴が想定していたことは間違いない……)
ラウシェンバッハはエーデルシュタインに入り、防衛体制を構築すると共に、我ら帝国軍に対処する方法まで伝えてきた。そのことに今更ながら恐怖する。
(ならば奴と敵対することは破滅を意味する。いや、既に破滅に向かっているのかもしれぬな。この状況を読んでいたのなら、この先のことも当然見えているはずだ。魔神がいなくなれば、我が国に対して謀略しても問題ない。恐らく既に何らかの手を打っている。それに対して余は何もできない……)
そんなことを考えるほど、余は弱気になっていた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
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