第四十五話「ジークフリート、叫ぶ」
統一暦一二一七年六月十七日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン、護民官公邸前。国王ジークフリート
グレゴリウス兄上の姿をした魔神がいると聞き、私は総司令部がある総督府軍本部の建物に向かった。
兄は剛毅な人であり、魔神に乗っ取られたことをよしとしていない可能性がある。だから、その心に訴えれば、何とかなるのではないかと思ったのだ。
もちろん無駄かもしれない。
しかし、ハルトムート卿を失ったかもしれない状況で、更にマティアス卿たちを失うかもしれないという焦りが強く、身体が勝手に動いたのだ。
護衛である影のヒルデガルトは私を止めようとしたが、その時、兄が信じられないほど強力な魔導を放とうと力を溜めた。
素人の私でも地下に逃げても無駄と思えるほどで、私は身体強化を最大限に掛けて兄の下に走った。
私の能力では間に合わないと諦めそうになったが、奇跡が起きた。
いつも以上の力を感じ、ほとんど飛ぶような勢いで移動できたのだ。その速度に凄腕のシャッテンであるヒルダですら付いてこられない。
「グレゴリウス兄上! やめてください!」
渾身の力を込めて叫んだ。
その声が届いたのか、魔神である兄は魔導を発動することなく、私を見降ろしていた。
「ジークフリートか。よく出てきてくれた。探す手間が省けたぞ。フハハハハ!」
禍々しい力を感じるおぞましい声で笑いだす。
「殺戮をやめてください! お願いします!」
「やめろだと? 馬鹿なことを言うな。ここで力を得なければ、大賢者に殺されるのだ」
「大賢者殿には私が説得します! だから……」
兄は私の言葉を遮った。
「愚かなことを言うな!」
そして、顔を醜く歪めて嘲笑する。
「奴は貴様を王にしたかったのだ! だから邪魔な俺を叔父や母ごと、ラウシェンバッハたちに排除させた! そんな奴が俺という存在を見逃すはずがない!」
兄の周りの力が更に強まっている。そのため、配下であるはずの一つ目巨人たちですら恐れ、少しずつ後退っているほどだ。
そのことに焦りを覚えていた。
「何を言っているのですか! 大賢者殿は私を王にしたいと一度も言っていません!」
「本当におめでたい奴だな、お前は」
そう言って嘲笑した後、話を続ける。
「確かに辺境の城にお前を逃がしたのは父だったが、精鋭の影に守らせて叔父たちの目を誤魔化したのは奴だ。それにラウシェンバッハを自ら育て、お前の側近にした。これでも大賢者がお前を王にしようと考えていなかったと言えるのか!」
そんなことは一度も考えたことはなかった。
(確かにお膳立てされたと言われれば、そうかもしれない。大賢者殿からマティアス卿たちの話は何度も聞いている。だとしたら兄上の言っていることは正しいのかも……)
そんなことを考えてしまったため、次の言葉が出てこない。
「これ以上議論は無用だ! せっかく出てきてくれたのだ。半分とはいえ、俺と同じ血が流れているお前に、俺が神になる瞬間を見せてやろう」
そう言うと、兄は一瞬にして私の目の前に移動し、私の身体を魔導で浮かせる。そして、ものすごい勢いで上昇した。
気づくと私は、総督府軍本部の屋上より更に三十メートルほど高い空中にいた。
屋上の物見塔は完全に破壊されていた。そのすぐ近くにはラザファム卿やシドニウス大導師がいるが、呆然とこちらを見つめているだけだ。
更にその下ではイリス卿がマティアス卿を抱えるようにして、建物から離れようとしていた。
マティアス卿の額からは血が流れており、大怪我をしていることは明らかだ。
「ジークフリートよ。よく見ておけ。この下にいる七万を超える人族を殺し、俺が神なる瞬間をな。ハハハハハ!」
「やめろ! 兄上は狂っている! こんなことで得た力で神になんてなれるはずがない!」
「黙れ! お前のように恵まれた奴には分かるまい。叡智の守護者の全面的な支援を受け、優秀な側近を用意されて即位したお前にはな!」
「私は王になどなるつもりはなかった!」
正直な思いを口にする。
「まあいい。これ以上話していると大賢者が来る。もう間に合うまいがな」
イリス卿が驚愕の表情で空を見つめ、ヒルダが何か叫んでいる。
しかし、私には守りたいものを守ることもできず、ただ叫ぶことしかできなかった。
「嫌だ! こんなことは認めない!」
そこで私の意識は途絶えた。
■■■
統一暦一二一七年六月十七日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン、総督府軍本部。イリス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵夫人
総督府軍本部の建物から脱出しようと階段を下りている時、突然建物が大きく揺れた。
私とラウシェンバッハ師団の参謀五名は東方系武術を学んでいるため、よろける程度で済んだが、身体を動かすことが苦手な夫は手すりに掴まったものの耐えきれず、階段から落ちていった。
「マティ!」
夫の名を呼びながら近づくが、揺れは収まるどころか激しくなり、彼の上に瓦礫が降り注ぐ。
それでも彼に近づき瓦礫を退けていくが、打ち所が悪かったのか、頭から血を流し、意識がなく呼吸も止まっているように見える。
「マティ! マティ!」
私はそのことでパニックになり、彼の名を呼ぶことしかできない。
「イリス様、まずはマティアス様を安全な場所にお連れいたしましょう」
私たちに同行していた参謀の一人、ディアナ・フックス大佐が冷静な声で話しかけてきた。
彼女は遊撃軍の参謀長を務めていた人物だが、ラウシェンバッハ師団に復帰していたのだ。
彼女の声で私も少しだけ冷静さを取り戻す。
「そうね。まずはこの建物から出て、できるだけ遠くに行く必要があるわ」
私はそう言いながら、身体強化を掛けて彼の身体を抱えるようにして持ち上げる。
揺れる階段を何とか降り切ると、ディアナが外の様子を確認した。
「一つ目巨人がいますが、今なら通用口から脱出できます」
「分かったわ。ディアナ、あなたが先導して。行先は西の兵舎よ」
目的地はどこでもよかった。とりあえず、ここから離れないといけないと思い指示を出したのだ。
(巨人の動きが止まった? なぜ?)
そう思ったものの、この好機を逃すわけにはいかないと、通用口から出ていく。
外に出ると、異様な力を感じた。
「イリス様! 上空に魔神が!」
ディアナの焦った声で思わず空を見上げる。
三十メートルほど上空に、グレゴリウス王子の姿をした魔神が浮かんでいた。更にジークフリート陛下もその横にいることに驚く。
「どうして陛下まで……地下に逃げられたのではなかったの……」
兄様の指示で下水道に向かったはずの陛下が魔神と一緒にいることに驚くが、すぐに危険な状況にあると気づき焦る。
「あの力は危険よ! 逃げなくては!」
膨大な魔素が魔神に集束していた。
一つ目巨人たちが建物への攻撃をやめた理由をはっきりと認識した。奴らは魔神が解放する力に巻き込まれることを恐れ、逃げ出そうとしていたのだ。
逃げなくてはいけないと思うものの、身体が動かない。
「どこに行ったらいいの? 無理よ……」
私は諦めていた。
あまりに大きな力であり、逃げ出すことも隠れることもできないと悟ったためだ。
同じようにディアナたちも立ち尽くしている。
彼女たちにもどうしていいのか分からないからだろう。
「誰か助けて……神様……この人を守って……」
無力な私は祈ることしかできなかった。
そして、真昼のような強い真っ白な光が私たちを包んでいく。
「マティ、愛しているわ……」
私は彼を強く抱きしめ、最期の瞬間を迎えることにした。
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