第十八話「軍師、大賢者に懸念を伝える」
統一暦一二一七年六月三日。
ゾルダート帝国東部、帝都ヘルシャーホルスト、モーリス商会帝都支店。大賢者マグダ
皇帝に話を付けた後、そのことを伝えるため、長距離通信の魔導具があるモーリス商会の帝都支店にやってきた。
既にマティアスから連絡を受けていたようで、支店長のヨルグ・ネーアーは驚くことなく、出迎えてくれる。
「おおよそのところはマティアス様より伺っております。既に大賢者様がご到着されたことはマティアス様に連絡しておりますので、三十分ほどで通信に出られると思います。その間、簡単な食事と飲み物を用意しておりますので、お召し上がりになりながらお待ちいただければと考えております」
「さすがはライナルトが帝都を任せるだけあって用意周到じゃな。では、遠慮なくいただこう」
そう言って応接室に向かう。
ワインと軽く摘まめるサンドイッチなどの軽食が既に用意されていた。
「助かるの。さすがに二千キロの移動は堪えるからの」
さすがに儂でもこれだけの距離を一気に移動したのは久しぶりで疲れておる。
座り心地の良いソファに身体を預けてワインを飲み、サンドイッチを摘まむ。ワインの香気が眠気を誘う。
しばらくすると、ネーアーが戻ってきた。
「マティアス様が到着されたそうです。こちらへどうぞ」
そう言って儂を魔導具のある部屋に案内する。
部屋に入ると、情報部に属する影が片膝を突いて頭を下げていた。
「マティアス様と繋がっております」
「うむ。よい手際じゃ」
褒めながら通信機の受話器を手に取る。
「マグダじゃ。聞こえておるか」
『マティアスです。はっきり聞こえています。お疲れのところ、申し訳ございませんが、状況をお聞かせいただけますでしょうか』
マティアスにしては余裕がないように感じた。魔窟がどの程度のものか、気になっているのだろう。
「うむ。まず神霊の末裔の塔じゃが、魔素溜まりによって壊滅しておった。じゃが、幸いなことに魔窟にはなっておらぬ。今は代行者たちが総出で抑え込んでおるから、魔素溜まりの方は何とかなるじゃろう」
儂の言葉にマティアスが安堵の息を吐き出したのを感じた。
部下たちを危険な魔窟に送り込むことに、忸怩たる思いがあったのだろう。その規模が想定より小さく安堵したようじゃ。
「問題は神狼が対応する前に飛び出した魔獣じゃ。神狼の話では災厄級の魔神が二体、天災級の魔獣が十体ほど出てきておる。この他にも災害級以下は数え切れぬと言っておった……」
『それほどの数が……』
彼にしては珍しく話に割り込んできた。それほど衝撃を受けたのじゃろう。
「そうじゃ。代行者が魔素の放出は抑えておるから、今以上に強くなることはないが、時を与えすぎると自ら魔素溜まりを作り出しかねぬ。じゃが、魔素溜まりが安定するには一ヶ月ほど掛かる。その間代行者らは動けぬということじゃ。儂も全力で討伐に当たるが、数が数じゃ。そなたらの助けが間違いなく必要になる」
『既に国王陛下の了解を得て、準備を命じております。皇帝の許可はいかがでしょうか』
「許可は得た。それを記した勅書もあるから、第三軍団とエーデルシュタインの南部総督府には儂が話をつけておく」
『助かります。ジークフリート陛下も現地で指揮を執られることになりましたので、まずは可能な限り早急にエーデルシュタインに入り、そこからツィーゲホルン山脈に向かいます』
その言葉に今度は儂の声が高くなる。
「ジークフリートが出張ってくるのか? 帝国領内の話じゃ、国王自らがいく必要はないじゃろう。それにあまりに危険じゃ、やめさせられぬか」
『私もそう考えましたが、陛下のお気持ちは固く、私も認めざるを得ませんでした。もっともエーデルシュタインから出ないようにしっかりと言い含めるつもりです』
「うむ……」
儂はグレゴリウスのことをどう言おうか迷ったが、マティアスには正直言っておいた方がよいと判断した。
「神狼が言っておったのじゃが、魔神の一体がグレゴリウスである可能性が高い。どうやら、神霊の末裔はグレゴリウスをどこかで見つけ、彼の者を実験に使い、暴走が起きたようなのじゃ。その際、ジークフリートと儂に対する強い憎悪の念が見えたと言っておる」
マティアスは儂の言葉に絶句しているようじゃ。
『……グレゴリウス殿下が実験に……憎悪ですか……』
そう呟いた後、確認してきた。
『魔人化した者は理性を失い、憎悪などの攻撃的な感情だけが僅かに残ると教えていただきました。グレゴリウス殿下が魔神となったとして、ジークフリート陛下を狙う可能性はどの程度とお考えでしょうか?』
「分からぬの。そなたの言う通り、魔人化した者は憎悪に支配される。知性のある魔獣に取り込まれた場合、グレゴリウスの意識と融合している可能性は否定できぬ。問題はグレゴリウスが管理者になる資格を持っておることじゃ」
『それはどういう意味でしょうか?』
管理者についてはマティアスにもすべては伝えていない。というより、千年以上前からの盟友であるシドニウスにすら全ては伝えておらぬ。
「詳しくは言えぬが、グレゴリウスが間違って覚醒する可能性があるのじゃ。もちろん、管理者として完全な力を得るわけではないが、それでも儂や代行者を凌駕する力を得かねぬ。力を得る前に処断せねば、この世界に大いなる災いを呼ぶじゃろう。最悪の場合はこの大陸が滅びることすらありうると儂は考えておる。その上でそなたに聞きたい。グレゴリウスのことをジークフリートに伝えるべきか否か、そなたの意見を聞きたいのじゃ」
マティアスは即答した。
『今はお伝えすべきではないでしょう。お伝えすれば、自らが囮となり、引き寄せて倒すという提案をされかねませんから』
「そうじゃの」
確かにその可能性は高いと納得する。
『もう一つお聞かせください』
「何じゃ?」
そう言ったものの、マティアスはなかなか話し出さない。
こちらから促そうと思った時、ゆっくりとした口調で話し始めた。
『神狼様であれば、魔素溜まりを抑え込みながらでも魔神を討ち取れたと思うのですが、グレゴリウス殿下が魔神に取り込まれたと知って、あえて見逃されたのではありませんか?』
「何が言いたい?」
最初は何が言いたいのか、意味が掴めなかった。
『ジークフリート陛下の覚醒を促すために、強大な力を得る可能性があるグレゴリウス殿下を討ち取らせようとお考えになった可能性はないでしょうか? 私にはあまりに不自然に感じました』
その言葉に衝撃を受ける。
(確かに儂も訝しいと思った。四聖獣の力であれば、魔神程度を討ち取ることは容易い。魔窟化させぬためという理由もしっくりこなかった……)
そんなことを考えていると、マティアスが更に話していた。
『今は緊急時ですのでこれ以上聞きませんが、もしそのような意図があるのであれば、非常に拙い状況です。このことは私より大賢者様の方がお詳しいと思いますが』
彼の言う通り、強制的に覚醒を促すような方法はジークフリートの人格を歪めかねず、分の悪い賭けじゃ。しかし、そのことをここで議論しても事態が好転するわけではないので、とりあえず警告に留めたのじゃろう。
「神狼には必ず問い質す。そなたには済まぬが、ジークフリートはできるだけ魔獣の前に姿を見せぬように配慮してくれぬか。グレゴリウスを乗っ取った魔神はもちろんじゃが、もう一体の災厄級の魔獣のことも気になる」
『承知いたしました。では私は明日の朝出発します。順調にいけば、十日ほどでエーデルシュタインに到着できると思います』
「よろしく頼む」
通信を切るが、儂はしばらくその場に留まっていた。
(神狼は真の管理者なら、この程度の障害は乗り越えられると考えたのじゃろうな。ある意味正しいが、今のジークフリートでは覚悟が足らぬ。潰れねばよいが……)
五分ほど宙を見つめて考えた後、儂は部屋を出ていった。
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