第十九話「軍師、最速で帝国領に向かう」
統一暦一二一七年六月四日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ伯爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵
私と妻のイリスは夜明け前に屋敷を出発した。
朝一番の船でヴェヒターミュンデ城に向かうためだ。
当面の目的地であるゾルダート帝国中部のエーデルシュタインまでは、約一千百キロメートル。海路と水路がほとんどだが、これだけの距離を十日以内で移動する計画だ。
これほど短期間で移動しなければならない理由だが、魔獣たちがどの程度の速度で移動できるのか分からないためだ。
魔獣が発生した神霊の末裔の塔から最も近い大都市エーデルシュタインまでは直線距離で四百キロメートルほど離れている。飛行可能な魔獣なら数日で到達可能な距離だが、魔獣の移動に関するデータがなく、最速で対応するしかない。
ちなみに塔の南五百キロメートルほどの場所に、シュッツェハーゲン王国の王都シュッツェハーゲンがあるが、ツィーゲホルン山脈を迂回する必要があるため、北に向かう可能性が高いと見ている。万が一、南に向かった場合は打つ手がない。
港で海軍の高速船に乗り込む。
同行者は妻の他に護衛である影五名、黒獣猟兵団十名だ。
六月初旬ということでまだ暑いわけではないが、早朝の海風が心地よく感じる。しかし、私たちにのんびりと船旅を楽しむ余裕はない。
出港後、船室に篭り、部隊の移動計画を妻と二人で立てていく。
「先行するのは一個連隊としても、残りの船ではラウシェンバッハ師団の物資の分だけでも厳しいわよ」
水軍基地があるリッタートゥルムからエーデルシュタインまでは約五百キロメートル。そのうち、陸路は八十キロメートルほどだ。つまり、ほとんどの行程でシュヴァーン河を使っての輸送が可能ということだ。
水軍には大型船であるガレー船が二十隻、小型船であるカッターボートが百隻ある。ガレー船には漕ぎ手の他に五十名の兵士と必要な物資が、カッターボートには十五名の兵士と必要な物資が載せられる。
計画ではガレー船で先行部隊であるラウシェンバッハ師団の第一連隊を送り込み、カッターボートでシュヴァーン河沿いの街道を進むそれ以外の兵士の補給物資を先行で輸送することにしていた。
「物資の輸送はユリウスに頼んであるから、ギリギリ間に合うはずだ。最悪の場合、遡上する水軍が並走して補給を行う形でも仕方がないと思っているよ」
この時期のシュヴァーン河は増水期であるため流れが強いが、比較的追い風である西風が吹くため、オールだけでなく帆にも期待できる。そのため、一日当たり百キロメートルほど遡上できるはずだ。
既に昨日のうちに守備兵団長のユリウス・フェルゲンハウアー中将に物資の先行輸送を依頼してあるから、我々が到着するまでに半分程度は輸送が終わっていると思っている。
「そうね。魔獣の数が分からないから何とも言えないけど、近衛連隊と突撃兵旅団は少し待機してもらうことになるわ。もったいないけどね」
今回の作戦ではラウシェンバッハ師団五千、突撃兵旅団二千、近衛連隊一千が出陣する。
今回は魔獣が相手ということで、戦術を駆使するようなこともなく、攻撃力に特化した突撃兵旅団も強力な戦力として期待をしている。
「仕方がないよ。優先順位は可能な限り短期間で、かつ最大戦力をエーデルシュタインに送り込むことだからね。掃討作戦は現地の状況を見てから考えるしかない」
正直言って、これほど情報がない状態で戦いに挑むのは初めてだ。
せめて敵の数や主力となる魔獣の種類くらいは知っておきたかったが、それらに関する情報は全くないと言っていい。
「これで我が軍の移動能力が帝国にバレてしまうわね。今後警戒するでしょうから、奇襲作戦がやりづらくなるわ」
彼女の言う通り、今回の作戦ルートは前回の後方撹乱作戦で使ったものと同じだ。前回はどの程度の準備期間があったのか、帝国には知られていないが、今回はどの時点でスタートしたのか知られることになるため、移動能力がもろにバレてしまう。
「まあいいんじゃないかな。脅威に思ってくれれば、エーデルシュタイン付近に戦力を残さなくちゃいけなくなるんだし、牽制には十分なるからね」
そんな話をしながら作戦計画を立てていった。
二日後の六月六日、国境の要衝ヴェヒターミュンデ城に到着する。
ハルトムートは一昨日に草原に向かっていた。
翌日、東部方面軍第一師団長グスタフ・フォン・ヴェヒターミュンデ中将と合流し、リッタートゥルム城に向かう。
その日の夕方、リッタートゥルム城に到着した。
ユリウスがいつも通りの不愛想な感じで出迎えてくれる。
「命令通りに物資の輸送は行っている。川の状況も悪くはないから、明日以降も計画通りに移動できるだろう」
彼の後ろには弟のヘルマン・フォン・クローゼル中将がいた。その後ろには四人の連隊長が直立不動で立っている。
「もう到着したのか? もしかして命令を受ける前に出発したのか?」
私が出した命令は出陣準備だけで、大賢者マグダからの要請を受けてから、出陣命令が出される予定だった。
「師団長権限でリッタートゥルム街道での行軍訓練を行っていました。そこに命令書が届きましたので、そのままリッタートゥルムに向かったのです」
少しばつが悪そうな表情で説明をしているが、悪くない判断だ。
「よくやってくれたわ。これで一日以上早めることができたのだから」
妻が満面の笑みで褒める。
「私もイリスと同じ意見だ。私が気づけばよかったのだが、よい判断だよ」
「ありがとうございます。結構無理をしていますが、明日出発でも問題ありません」
その言葉に私は小さく頷いた。
「第一連隊は私たちと共に明日水軍の船で出発する。ヘルマンは明後日、残りの師団を率いて陸路でエーデルシュタインに向かってくれ。君たちが明日出発できることは理解しているが、物資の輸送が間に合わなかったからね」
一応出発自体は可能だが、ここまで三百五十キロメートルを駆け抜けてきたので、強靭な肉体を持つ獣人族といえども疲れは溜まっているはずだ。物資の輸送を理由に休養を命じたのだ。
「了解しました」
国王の補佐を命じられた私まで明日出発するのは帝国軍との軋轢を懸念しているためだ。大賢者は皇帝の勅書をもって帝国軍と中部総督府に説明すると言っていたが、私の忠実な部下だと思われているラウシェンバッハ師団だけを先行させれば、嫌がらせでは済まない可能性が高い。
その点、大賢者から直接依頼を受けた私が行けば、帝国軍の上層部や総督を黙らせることができる。
その後、師団が駐屯している城の西側に向かった。
兵士たちに訓示を行うためだ。
私が到着すると、ラウシェンバッハ師団の兵士たちはきれいに整列して待っていた。
「この短期間で移動を終えてくれて感謝する! 我が領の兵以外にこれほどの強行軍は不可能だろう。しかし、まだ先は長い! 第一連隊は明日、私と共に船で出発するが、他の者たちは明日一日身体を休め、エーデルシュタインまでの行軍とその後の魔獣との戦いに備えてほしい……」
全員がやる気に満ちた顔で頷いている。
「今回の戦いはこれまでにないほど厳しいものになる! 大賢者様のお話では災厄級の魔獣二体、天災級十体に加え、災害級以下は数えきれないほどだそうだ。大物は大賢者様が相手をしてくださるが、我々はその他の数えきれないほどの魔獣を相手にしなくてはならない! 今回守るのは我が国の民ではなく、帝国の民だ。しかし、これは我ら人族の存亡を賭けた戦いだ! 諸君らの奮闘に期待する!」
そこで私は右手の拳を左胸に当てる王国軍式の敬礼を行った。
私の敬礼に全員が同時に敬礼する。
誰一人タイミングを外すことはなく、その練度の高さに満足げな笑みを浮かべた。
「さすがは王国軍一の精鋭、ラウシェンバッハ師団だな。我が師団も鍛えているが、まだまだ足元にも及ばん」
グスタフが感心していた。
その日の夕方、長距離通信の魔導具で情報収集を行い、翌六月八日、エーデルシュタインに向けて出発した。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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