第9話 船上にて
「帝国兵が何かをさけんでいます」
レティシアが河岸を指さす。
「見つかったか?」
「ええ、こちらを見ているようです」
「もう少しで海に出られる。今から船を出したところで、追いつけないだろう」
「そうですか……。あれは、ダニエル?」
レティシアが指した指を少し移動させる。
その先に騎乗の男。
長身で大柄の男。
確かにダニエルに見えた。
「……確かにそのようだ」
その横にもう一人騎乗の男があらわれた。
若干細身。
アーネストか。
表情まではわからない距離だが、こちらを見ている。
ニコラも、アーネストを見る。
対峙した、ように感じた。
通じ合うわけではないが、お互い目を外せなかった。
緊張感のある時間。
しかし、小舟は確実に岸から離れている。
しばらくして、アーネストは馬首を返して消えていった。
ダニエルも、それに続いたようだ。
……何もさせない?
「ユーグ様。どうされましたか?」
黙り込んでいたニコラを見かねたのか、声をかけてくる。
「いや、なんでもない。……アーネストもいたようだな」
「はい。有能だとか?」
「だろうな。今回のセイルーズの陥落、悔しいがあのアーネストの策だろう」
「ダニエルを裏切らせたのも?」
「おそらくな。西方諸国は正面からの戦いだけではなく、ずいぶん調略でもやられたらしい」
「戦いだけではないと?」
「一番適切な方法をとるようだ」
「……厄介な相手、ということですね」
「まさしく、な」
視線を戻しながらうなずく。
「しかし、どのようにダニエル、レモンドを裏切らせたのでしょう?」
「……街の噂では、ダニエルが反乱を起こした理由、レティシア、そなたを狙ってのことだそうだ」
「まさか」
「私もそう思うが……。大丈夫であったか?」
レティシアを見る。
「ええ、何かされる前に助けていただきました」
「そうか。よかった……」
ほっと息をするこちらを見るレティシアの瞳。
以前と同じものを感じる。
「ユーグ様?」
「ん?」
「私を助ける決断をしてくださったこと、うれしく思います」
「当然であろう?」
「しかし、命がけのことになります」
「そなたを助けるのに命を懸けるのは、当然ではないのか」
「……当然では、ありません」
静かな返事だった。
「何か気になることでもあるのか?」
「いえ、ニコラさまが……」
「父か……。そうだな」
すぐに忘れてしまいそうになる。
今の自分はユーグであり、ニコラではない。
レティシアにとって、ニコラが死亡し、ユーグが生き残っている状況。
「ニコラさまをあのようなままにしておきたくはありません」
「そう、だな……。早々にセイルーズを奪還しなくては」
言われるまで気が付かなかった。
思いのほか、自分の元身体に執着していない。
そのことに少なからずショックを受ける。
「はい……。あの、ユーグ様?」
レティシアがこちらを見た。
瞬間、意識せずに身構えた。
かすかにレティシアの息がこぼれ、一瞬の溜めの後、はじかれたようにレティシアの腕が伸びてきた。
……突き!
喉元に伸びてくるレティシアの手刀。
後ろに倒れこみながら、手刀をかろうじてつかんで止める。
が、レティシアは勢いのまま、倒れこんだニコラに馬乗りになった。
「あなたは誰?」
手刀には相当の力がこもっている。
必死に抑えないと、喉をやられる。
「見ての……通りだ」
「ユーグ様にはこの手刀を避けられない。ユーグ様はあのダニエルの剣戟をかわして倒すことなどできない」
レティシアの瞳に炎が宿っているように感じられる。
冗談でやっている事ではない。
「……ユーグのはずだ」
「見た目だけだ」
その言葉にニコラは……観念した。
「……ニコラだ」
「ふざけたことを!」
その返事にレティシアの手刀にさらに力が加わる。
本気を出さないと、本当に殺されかねない状況だった。
ニコラは手刀を抑えていた手の力を抜いた。
突然抵抗を外されたレティシアは前につんのめるようにバランスを崩し、それを利用してニコラは身体をひねって上下入れ替わる。
今度はニコラが上からレティシアの身体を抑え込む。
「っぐ」
右肩から首、左手を抑えられ身動きが取れないレティシア。
お互いの顔が近づく。
「……レティシア、聞け」
「何を!」
ニコラは王都からの帰還途中、何があったのかをゆっくりと冷静に伝えていく。
次第にレティシアの抵抗が緩んでいく。
激しく揺れていた小舟が静かに海を進む。
詳細を伝え終わると、レティシアの瞳がこちらを見た。
「……そのようなこと、信じられません」
「私にもわからない。だが、現実としてこうなっている」
「そんな……」
ユーグの身体にニコラの意思が宿ってしまっていることを説明し、いくつかニコラとレティシアの共通の記憶も伝えた。
レティシアの抵抗は完全に止まっていた。
抑え込むためにやったことだが、かなりきわどい体勢。
「良いか?離すぞ」
ゆっくりとレティシアから離れて、レティシアも身体を起こした。
先ほどまでとは違う視線がこちらに向けられている。
小舟は潮に乗ったのか、静かに進んでいる。
「……今のあなたがニコラさまであるということは、信じられません」
「であろうな。私も今でも信じられない思いだ」
その返事にレティシアもうなずき、
「……ただ、何が起こったのかはわかりました」
「そうか」
「ですが、ユーグ様はどうなっているのです?」
妻としては当然の疑問だろう。
「あのとき、死んでいないことは確認した。しかし、ユーグの身体に入ってしまってからは、ユーグの意識は感じられない。眠っているだけなのか、何かをすれば戻ってくるのか、それすらもわからない」
「それは……そうなった場合、ニコラさまはどうなるのです?」
「わからないが、おそらく消えるのだろう。そもそも、私はあの時死んでいる」
その返事に、レティシアはこちらを見つめてきた。
その眼の色の深さに、戸惑う。
どういう感情でこちらを見ているのか。
「……ニコラさまはこれからその身体でどうするつもりなのです?」
「しばらくはユーグとしてふるまう他ないと思う」
レティシアはしばらく静かに考えていた。
「帝国と戦うのですか?」
突然、口を開いた。
「状況によっては。それまでに、ユーグが戻ればそれでよし。そうでなければ、王国のために動く」
「アーネストと戦うと?」
「だろうな。……あの男と一度は、戦ってはみたい」
「わかりました」
何かの決意を込められた返事、のように聞こえた。
続けてレティシアが言う。
「その間は、背中を守らせてください」
「……何を言っている?」
突然の言葉に、こちらが驚く。
「私はこれまでユーグ様の妻として生きてきました。しかし、その結果が今です」
「ユーグを守れなかったことは……」
「いえ、そうではありません。ただ、妻としてだけの人生ではいたくないのです。私にもニコラさまが与えてくれた力があります。ならば、それを使って守りたい」
「……死に急ぐことはあるまい」
「先生と一緒に死ねるのなら、本望です」
ゾクとした。
一人の女性が淡々と自分の死を述べ、それが本望だと言う。
確かに剣は教えた。
その中で、当然生死についても伝えている。
剣を学ぶ以上、ついて回る問題だからだ。
しかし、だからと言って死を覚悟させるまでのことは伝えていないつもりだった。
なんといっても、レティシアは伯爵令嬢なのである。
が、今目の前の女性は状況に混乱しつつも、自分の死を語る。
「……まずは脱出が成功してからだ」
「はい」
姿勢を正すと、レティシアはこちらを見る。
その強い視線を受け止めきれず、ニコラは岸を見ながら櫂を漕いだ。




