第10話 ダニエル
セイルーズ城内。
地図が広げられたテーブルをアーネスト、レモンド、ダニエルの三人が囲んでいた。
椅子に座ったアーネストが深くため息をつく。
「……まさか逃げられるとはな」
声をかけられたダニエルはその青白い顔を上げた。
「申し訳ございません。まさかあのような抜け道があろうとは……」
その返事にアーネストは口だけで笑う。
「いろいろと言いたいことはあるが、ま、それについてはよかろう。相手の準備が周到であっただけのことだ」
そこで区切り、雰囲気が変わる。
「……ただ、父親のニコラであるならともかく、息子ユーグは剣も握れない青瓢箪ではなかったのか?」
「それは……確かにユーグの腕は大したことはなかったはずなのですが」
自分の言葉ながら、言い訳めいていると思う。
「なるほど。そのユーグに敗れるとは、そなたの腕は言葉ほどにはないようだ」
「いえ……」
返す言葉もない。
「どうなのだ、レモンド」
アーネストはダニエルの横で腕を組んで座っているレモンドに目を向けた。
「さて……。私の目にもユーグ様の剣の腕は、息子ダニエルに届くとは思いませなんだ。幼き頃はニコラ様もユーグ様に剣を教えていたようですが、成長してからはもっぱら本ばかりでして。……ニコラ様も苦笑していたのを見ておりますし、剣など使えなくとも、今のこの世の中にはあっているのかもしれん。そう言っていたのも覚えております」
「では、親子そろってそなたたちに剣の腕を隠していたということになる」
「それは……わかりませぬ」
ゆっくりと首を振る。
「なるほど。しかし、そうだとすると、ニコラ、ユーグ親子はそなたたちを言うほど信じていなかったのではないか、という疑念がわいてくるが、どうだ?」
「……そんなことはないはずです。ありえませぬ」
語気強くレモンドが否定した。
一瞬、張り詰めた空気にかわりかけたが、アーネストのほうが緩める。
「よかろう。お前たち親子の言動はこの街の陥落で証明されている。その点については今更疑うまい。しかし、ユーグがダニエル、お前を上回る剣技を見せたのも確かだ」
「は……」
冷汗が背中を伝うのを意識しながら、手をこれ以上ないほどに握りしめる。
……ユーグめ。
あのとき、なぜあれほどに奴は動けたのか。
これまでの訓練でその実力はわかっていた。
幼き頃から剣を合わせてきたのである。
力を隠していたのはこちらであったはずなのだ。
それが完膚なきまでに叩きのめされ、逃げ出すことになった。
あの屈辱。
握りしめた手が震える。
それに気が付いているのか、アーネストが軽く笑う。
「フフ、まあいい。何も剣の腕だけを買ってお前たちに声をかけたわけではない。それに、逃げたのは息子のユーグだ。なによりもこちらはニコラを殺せたのだ。目的は達成できているし、そなたたち二人の働きには感謝している」
「ありがたきことでございまする」
レモンドが頭を下げる。
あわててダニエルもそれに従った。
「しかし……これで王国には先の大戦を経験した者はほとんどいなくなったな、レモンド」
「はい。軍全体の指揮を任せられるような者はもうほとんどおりますまい。残りは戦の仕様も知らぬような小僧ばかりです」
「良い傾向だ。とはいえ、油断はしまい。王国は近いうちにある程度の軍を編成し、こちらに向かってくるであろうな?」
「おそらくは。だとするならこの先にあるニール平原で迎え撃つのが最適かと。このセイルーズは王国側からの攻撃には備えがございませぬ。さらに、ニール平原は王国軍側からは緩やかに上る地形になっております」
「うむ。実質的には王国との初戦となる。全力をもって叩き潰すとしよう。だが……」
アーネストは地図を見た。
「その軍を破ったとしても、すぐに王都には向かえぬか……」
「さすがにそれは。王都レントは城壁高く、食料もよく蓄えられております。簡単に落とすことはできませぬ。充分な準備が必要になります」
「で、あろうな。だとするなら、各都市を落としていくしかないか……」
地図の各地をとんと指で刺す。
「その上でもう一度平地に引っ張り出して、撃滅する。それが必要となりましょう」
「わかった」
うなずくと、アーネストは二人に鋭い視線を向けた。
「では、これからの戦いについて各将たちと詰める。レモンドはついてまいれ。ダニエルは下がってよい」
その言葉にカッとなる。
大切な軍議に参加させてもらえない。
「そうだ、ダニエル」
アーネストが足を止めて振り返る。
「はっ」
「先日の依頼、どうであった?」
「ニコラの持っていた剣の行方、でしょうか?」
「ああ」
「未だ見つかりません。やはりユーグが持って行ったのではないかと」
「……なるほど」
アーネストがかすかに笑った気がした。
しかし、こちらを安堵させる笑いではない。
「さらに詳細に調査させます」
「いや……よい。ユーグが持って行ったのだろう。……なるほど、そういうことか」
もう一度薄く笑うと、アーネストはレモンドを引き連れて部屋から出て行った。
止めていた息が一気に出る。
アーネストへの緊張と、ユーグへの憎しみが一気にあふれた。
「ぅ……がぁっ!」
ダニエルは足で床を思い切り踏みつける。
……くそっ!
すべてユーグのせいだ。
本来であれば、父ではなく自分がアーネストの相談役となり、これからを取り仕切るはずだった。
そのために王国を裏切り、ニコラ、ユーグ親子の殺害に協力したのだ。
それなのにあのユーグは生き残り、さらには自分を剣で圧倒した。
あのユーグが。
レティシアを妻としているユーグが!
もう少しだった。
もう少しであの髪に、あの指に手が届くところだった。
……レティシア。
身分差をこえて、手に入れられたはずだ。
自分には機運が向いているはずなのだ。
アーネストからの接触。
最初はただのあいさつの手紙だけであった。
しかし、次第にこちらの不満を指摘してくるようになった。
お前が我慢しているからこそ、アンジェ家は治まっている。
認められた、と感じた。
帝国で異常な立身出世をし続ける男から声をかけられ、さらに忠告までしてくれた。
レティシアを手に入れる、唯一の方法。
それは、王国ではなく帝国で出世をすること。
……レティシアと見合うだけの身分となれる。
もちろん、これが敵国からの甘言だということは十分に承知だ。
だが、現実的にダニエルがレティシアを手に入れる方法は王国にいてはない。
それに、ニコラが国境を守っているのなら、アーネストに対抗できるかもしれない。
しかし、ユーグでは無理だ。
アーネストからの侵攻があれば、ダニエルは死ぬことになる。
レティシアも死ぬだろう。
……だったら。
今裏切ることは、レティシアを救うことになる。
父のレモンドについては心配をしていなかった。
現実的に物事を考える父である。
ユーグが後を継ぐことに懸念は示していたし、なによりすでに後に引けない状況であることを伝えれば、最終的には協力してくれるはずだ。
実際、ダニエルの思惑通りに事は運んだ。
アーネストは迅速にアンジェ伯領セイルーズに軍をすすめ、ダニエルが城門を開放することでセイルーズの街、城の占領は容易く成功した。
アーネストは同時にニコラ、ユーグの殺害も計画し、ニコラについては殺害に成功する。アーネストにしても帝国にとっても、ニコラ殺害は非常に大きな成果であっただろう。
しかし、ユーグは生き延びた。
……どれだけ運がいいのか。
単なる生まれと運の良さだけでレティシアを手に入れた男。
その男に、再びレティシアを奪われた。
身が焦げるほどの怒りと嫉妬。
……殺してやる。
初めてレティシアがセイルーズに来た時のこと。
十代中ごろであったか。
運命を感じた。
自分の横に並び立つ女性。
それがレティシアだと感じた。
それをユーグが奪った。
さらに、自分のものであるはずのレティシアを、もう少しで手に入るところであったレティシアを、再び奪っていった。
血が沸騰する。
血が出るほど強くこぶしを握り、壁に向かって突き出そうとした。
が、息を大きく吐く。
冷静さを失ってはいけない。
嫉妬、不満はある。
アーネストの自分への扱い。
レティシアの視線。
ユーグの生存。
しかし、正直なところアーネストが自分を軽んじるのは仕方ない。
まだ自分は戦争の経験がない。
人も殺したことがない。
剣の腕を磨き、軍学書も穴が開くほど読み込んだ。
ただ、経験がない。
そんな男を実戦でたたき上げてきたアーネストが重用するわけがない。
小僧程度に思っているはずだ。
対して、父のレモンドは古いとはいえ、かつての大戦で十分すぎるくらいに戦い抜いている。
この経験ばかりは仕方ない。
おそらくは近いうちに大きな戦いがあるだろう。
そこで経験を積む。
それを繰り返せば、アーネストも無視できない存在になるはずだ。
剣についても同様だ。
初めて人と斬りあった。
今から思えば、ユーグの剣技と自分の剣技。
さして差はなかったように思う。
しかし、ユーグの踏み込み、振るう剣はまさに人を殺す意志が込められていた。
それに比べ、自分の剣は腰が引けている。
人を殺すことにためらいがあった。
さらにこぶしを強く握る。
これで経験した。
この敗北を糧としなければならない。
そうして積み重ねれば、レティシアを手に入れられる。
結果として帝国で爵位を手に入れ、レティシアにふさわしい男になる。
その才能が自分にはあるはずだ。
それを邪魔するユーグは必ず殺す。
息を細く時間をかけて吐く。
ダニエルは腰の剣を引き抜くと、その刀身をじっと見つめた。
そう。
自分がやるべきことは、怒りを爆発させることではない。
剣の腕を磨き、経験を積む。
そうすることで、地位を手に入れ、レティシアも手に入れられる。
これからあるはずの自分の栄光の未来へ沈みこんでいった。




