第11話 秘密
「ブロワ伯には世話になるな」
与えられた部屋で、ニコラは窓際に立つ。
船で子爵領にたどりついたニコラとレティシアはそこで保護され、さらに隣のブロワ伯領に移動していた。
夕暮れ時。
館の窓から差し込む夕日がまぶしい中、レティシアも隣まで来て外を見る。
「ようやく一息付けますね。逃げてる間、アーネストの視線がいつまでも追いかけているような気がしていましたから」
「さすがに疲れた。レティシアは大丈夫か?」
「はい、何とか」
「そうか。しかし今回、アーネストを改めて見たが……あれは雰囲気がある」
「優秀ということですか?」
「優秀なのは当然だが、底が見えない。大戦中にああいう雰囲気がある人間を見たことはあるが、すべてある意味狂っていた。簡単に言えば、怖い」
「ニコラさまでもですか?」
「私でもというのはどうかと思うが、間違いないな」
そう答えたニコラを、レティシアはじっと見ている。
「……私からしますと、先生と同じタイプに見えました」
「私が?」
思わず聞き返す。
「ご自覚がないんですか?」
「どういうことだ?」
「敵から見れば、先生もかなり不気味に見えたはずですよ?」
「それは……」
思わず返事に窮した。
確かに、その通りかもしれない。
「……フフ、なるほど。これは盲点だったな」
「私は……心強く思いますが」
「確かに大戦中の私は戦いのことだけであったからな」
「……先生?」
こちらを見るレティシア。
「ん?」
「この後、王国と帝国はどうなりましょうか?」
「そうだな。帝国の侵攻の意図は明らかであろうから……」
「戦争になると?」
「そうなる」
「戦争、ですか。勝てましょうか?」
「ん……」
ニコラは窓の外へ視線を向ける。
レティシアも同じように外を見ながら、わずかにこちらに身を寄せた。
肩が触れるほどの距離に、一瞬戸惑う。
考えてみれば、外見について今のニコラはレティシアの夫。
……これも、大きな問題だな。
そう思いつつ、窓の外を指さした。
「……あちらがセイルーズの方向か」
「そうなります」
「帝国がセイルーズから進撃するとするなら、この先にニール平原がある。あそこは軍を展開させやすいし、ぶつかるならあのあたりだろう」
「噂では、王国はこのブロワ伯領に軍を集結させるつもりなのだと、先ほど兵が話しておりました」
「だとしたら、王国も帝国もニール平原を想定しているのだろう」
「では?」
「軍を並べての本格的な戦だな」
深いため息とともにいう。
「……王国は三十年ぶりのことです」
「逆にこの十年、帝国にとっては日常だろうな」
「厳しい戦いになりそうですね」
不安げな目でレティシアがこちらを見る。
「戦いは水物だが……。王国には先の大戦を経験している者が軍にほとんど残っていない」
「ずっと平和でしたから。それは良いことなのですが」
「で、あろうな。となると、あとはどれだけ数を上回れるか。帝国は遠征軍だ。数に限りがある。補給もこちらに比べれば難しい」
「先生が指揮を取れれば……」
「フフ、今のこのユーグの身ではな。何の経験もない若造だ」
「父に伝えてはいかがでしょう?」
「難しいだろう。頭がおかしくなったと隔離されることになる」
「それは……」
口ごもるが、レティシアもわかっているのだろう。
「とはいえ、ブロワ伯には従軍させてもらえないか頼んではみるつもりだ。もちろん、帝国の侵犯を許した罪を許されたら、だがな」
「罪に問われるのですか?」
「何もなしというわけにはいかないだろう。セイルーズを任されたというのは、国境防衛のための存在なのだから。アンジェ伯はそのための存在だ」
「でも、それは留守中であったからで」
「もちろん、そのあたりも考慮はされるだろう。なにより、私が死んでいる。戦ってな」
「私が、というのはニコラさまですか?」
「そういうことだ。最低限の、ではあるが、責務は果たしたと言っていいだろう。いずれ王の前で審判を受けることになるが、それも考慮はされるだろう」
「であるならば、許される公算は高いと?」
「と、思いたい」
通常であればそこまでの罪にはならない。
国境防衛はそこで必ず止めるという意味合いではない。
侵攻に備えるだけの時間を稼ぐことだ。
ただ、王の脇に仕える現宰相のボドワンはなかなか厳しい人物でもある。
実際のところ、どうなるかはわからない。
「少し楽になりました。これからの不安で押しつぶされそうになっていたのです」
「考えすぎるのもよくないだろう。一つ一つ、だな。できることは」
「そうですね。……でも、少し残念です」
「何が?」
隣のレティシアを見る。
先ほどまでの緊張の表情が少し緩んでいる。
「ニコラさまであったなら、その指揮での戦いが見られましたのに。大戦時のニコラさまの活躍は、話の上でしか聞いたことがありませんから」
「フフ、こればかりは無理な注文だな。……今の私はユーグなのだから」
「ええ。けれど、それは王国にとっては大きな損失です」
レティシアがこちらの腕に手を置いた。
一瞬どう反応していいのかわからず、そのままにして答えた。
「さて……どうだろう。私の経験も三十年前のものだ。そのままは通じまい」
そう答えると、レティシアがこちらを見た。
「何か感じられることがあるのですか?」
「いや、わからない。身体の違和感は大きいが、慣れつつもある。ユーグの存在は……今のところはっきりとは感じられない」
「どう……なっているのでしょう」
かすかに声に震えが混ざっている。
「これはもう、本当にわからない。時々、ユーグの記憶なのか、と思うこともあるが、それすらもわからなくなっている」
「そう……ですか」
レティシアはそう言いながら、視線も落とした。
「すまない。ユーグを守れず……」
「そのようなことを言わないでください。私は……。正直言いますと、自分の気持ちをどう整理すればいいのかわからなくなっています」
「……ユーグのことか?」
「はい。先生が生きておられたことがうれしい。ただ、ユーグ様への気持ちはどう扱えばいいのかわかっていないのです」
そうなのである。
これは現実として乗り越えないといけない問題。
「いつまで私がユーグの体にいられるかはわからない。もし抜けて、ユーグが戻ってくるのなら、それが一番自然であるし、正しいことだ」
「けれど!」
一瞬声を高ぶらせたが、レティシアは窓際から離れる。
そのか細い背中に手を伸ばしたくなるが、目の前にいるのは息子の妻である。
伸ばしかけた手が虚空をさまよい、下へと降りた。
……。
「まったく。おかしなことになったものだな」
なるべく明るい声を出す。
振り返ったレティシアも、作った笑顔を見せた。
「本当に。でも、現実ですものね。今のこの状況は」
「そういうことだな」
「でも……」
「ん?」
「……これは二人だけの秘密で」
そう言ったレティシアの瞳。
そこには深い色が宿っているように思えたのは気のせいなのか。
戸惑いつつうなずく。
「ああ。……でないと、狂人扱いされる」
「ええ、そういうことです。ですから、ニコラさまはユーグさまとして行動していただき、私のことも遠慮なく妻として扱ってください」
その言葉にうなずきはしたが、内心苦笑する。
そんな簡単に割り切れたら、苦労はない。
「……ユーグとして演じ続けろ、ということだな?」
「私もその妻として演じ続けます」
「そうか……」
うなずきはしたが、さてそれができるかどうか。
今でも、ニコラとしてレティシアと話してしまっている。
……戦をするより、難しそうだ。
自嘲ぎみに思ったところに、レティシアから手が差し伸べられた。
「ニコラさま、一緒にいかがでしょう?」
「何を?」
「踊りませんか?」
「突然だな」
「形の上とはいえ、夫と妻となるんですもの。それに昔、剣の修行ばかりではいけないと、ダンスを教えてくださったことがあったでしょう?」
「……そんなこともあったな」
「これから、夫婦でそんな機会も増えます」
一瞬迷ったが、その手を取ると、そのまま基本の動きを始めた。
剣のほかにはさして得意なことがなかったニコラだが、なぜかダンスだけは素養があったようだ。
腕を絡めたレティシアが小さな声で聞いてくる。
「どうですか?今の私は淑女になれていますか?」
「……もちろんだとも。どこに出しても誇らしい淑女だ」
なんとか不自然でないように答える。
「先生……。剣だけでは駄目だと、こうして教えてくださいましたね」
「ああ……。懐かしい。が、私と踊るために教えたのではなかったのだがな」
「ユーグ様の身体に、ニコラさまの意識」
「そうだな」
「いつまでもそのままなのでしょうか。それとも、変化する時がくるのでしょうか?」
ドキリとすることを言葉にされた。
「……わからない。ユーグの中に居続けるのか、いずれユーグが目覚め、私は消えていくのか」
その言葉にレティシアがふいに身を寄せるようにする。
「消えるなどということは言わないでください」
「……そうだな。しかし、私の身体が死んでしまったのは確かだ」
数日前にセイルーズで見た自分の遺体。
日に晒された遺体は腐敗が進み、既に処分されてしまっているかもしれない。
「私も、ユーグ様がどうなるのか、ニコラさまがどうなるのか、不安で一杯です」
ダンスを続けながら、二人だけの会話。
「私もわからない。……が、起こったことは受け入れざるを得ない。どうあれ、私は今こうしている」
「そうですね。……今はそれだけで十分です」
お互い、無言のまま静かに踊り続けた。
レティシアの手の温かさだけがはっきりと感じられていた。
どのくらい時間が経ったのか、ドアがノックされる。
ダンスの動きを止めて、絡めた腕をほどく二人。
ゆっくりと扉が開くと、初老の男が入ってきた。
見たことのある男だった。




