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第6話 侵入

日が傾いた夕暮れ時。


見張りの兵がまもなく夜間担当と交代する。

日中に続いた緊張が、ようやくの交代に気が緩む時間帯である。


街はずれの人気のない堀の前。

油紙で慎重にくるんだ着替えと剣を抱えてニコラはゆっくりと水に入っていき、首までつかった。


幸いこの時期は温暖な気候。

川の水も冷たすぎることはなく、ニコラは流れに逆らって泳ぎはじめた。

夕暮れの光が川面に反射し、ニコラの姿を隠してくれる。


そのまま慎重に進み、対岸の石垣に取り付くと一息ついた。


……さすがに緊張する。

 

自然と笑みがこぼれた。

久しく忘れていた感覚。

命を危険にさらす行為というものは、若いころ日常であった。


それが軍の中で出世、領地経営で失われてしまっていた。

しかし、これこそが自分の中で求めていたことだと気が付いてしまった。


周囲を見て、誰にも気が付かれていないことを確認する。

 

この城郭はニコラが伯爵位を得て、この国境沿いの領邦を与えられたときに自身が建設したものである。

その際、いざという時のための脱出路を作っておいた。


……もう何十年前になるのか。


ブロワ伯に城を建設することを相談したとき、誰にも知られず、城から出る通路を作っておくように言われた。

念を押されたのは、自分が逃げるためのものではない。

家族を逃がすためのものだ。


……自分は城を枕にして死ね、だったか。

 

その時はまさか使う時がやってくるとは思わなかった。

石垣を伝いながら角までたどり着く。


……ここだ。


目印の石垣がある。

ここだけ不規則な石の積み方になっていた。


一度息を吐いて、それから大きく息を吸うと、水の中に潜る。

水中は汚れていてよくは見えないが、石垣をたどっていくと大きな穴があった。

ニコラは手探りでその穴の中に入り、進んでいく。


水中の狭い通路を数メートル進んだところで、広い空間に出たため、そのまま水を掻いて水面から顔を出した。

そこで大きく息を吸う。

かび臭い空気。


だが、それは人の出入りがないことの証であり、まだこの通路が誰にも知られていないことを感じさせてくれる。


息をゆっくり吐く。

これだけ長く息を止めたが、呼吸が乱れていない。

身体への違和感はすぐに慣れるものではないが、六十に迫るニコラの身体であったら、しばらくは呼吸を整えるために動けないだろう。


その身体に感謝すると同時に、ユーグのことも気にかかる。

ユーグの意識はどこにあるのか。

再びこの身体に戻ることがあるのか、それとも消えてしまったのか。


考えつつも、首を振った。

集中しなければならない。

これから危険に飛び込み、その中でレティシアを探さなければならない。

そのうえ、二人で脱出するとなると、幸運に幸運を重ねなければならないだろう。


だが、もう後戻りはできない。


ニコラはなるべく音を立てないように水から上がると、包んだ服と剣を取り出して着替えをした。


準備を終えると、そこから壁沿いにある螺旋状の階段を上っていく。


夕暮れの今はいくつかある小さな小窓から光がこぼれているが、もうすぐ完全に暗くなってしまうだろう。

そうなる前にすべてを終わらせなければならない。


慎重に階段を上りきり、その奥にかすかに光がこぼれている箇所がある。

この先にあるのはニコラの居室。

領主の居室に隠し扉があり、そこから家族を逃がす算段になっていた。


……レティシアいてくれればいいが。


そこから中を覗くと、部屋の一部が見えている。

部屋の明かりはついていない。

夕暮れの差し込む光のみだが、部屋の様子は確認できる。

息をかすかに吐いた。


人の気配がまったくしない。

ここでレティシアが見つかればよかったが、そう簡単にいくはずがない。


音をたてないようにゆっくりと奥の壁を横にずらした。

部屋の本棚がずれて、中に入れるようになる。

顔だけをのぞかせて中を確認するが、人はいない。


一瞬、緊張を解くが、ここからである。


レティシアがどこにいるか?

一番可能性があるのは、ユーグとレティシアの居室。


囚われているのなら、別の部屋かもしれないが、まずは夫婦の部屋だろう。

そこにたどり着くためには、廊下を進まなければならない。

当然、見つかる可能性が出てくる。

見つかれば、斬らざるを得ない場面も出てくる。


一段意識を切り替えながら、部屋の出入り口の扉に耳を当てた。


……少なくとも、扉の前に兵がいることはなさそうだ。


音を立てないように扉を引くと、やはり誰もいない。

顔をわずかにのぞかせ廊下を確認すると、静まり返った夕方の薄暗い廊下。


そのまま移動を始めた。

廊下の角まで行き、その先に誰もいないのを確認すると音をたてないように移動する。


鼓動が高まっているのを自覚する。

見つかり、兵が集まればいくらニコラとて簡単に捕まる。

兵が集まってしまえば、それで終わる。


いつでも剣を抜ける準備をしつつ、廊下を進んで立ち止まった。


視線の先にユーグ、レティシアの部屋のドアがある。

その前にも誰もいない。

緊張で止めていた息を吐く。


……巡回の兵すらいないか。


状況から察するに、この居住区全体に人の気配がないように感じられた。


おそらくここが陥落してからまだ数日。

帝国兵の大半は日中、セイルーズ市街や街道を占領下に置くことに注力しているのだろう。

城内にまで兵を割く余裕はまだないようだ。


その点は安堵できるが、時間もない。

日がかなり傾いてきており、沈んでしまえば城内は暗くなる。


ニコラは警戒を緩めないままユーグ夫妻の部屋のドアの前に立つと、耳を当てて中の様子をうかがう。


感覚も、鋭くなっているように思う。

人の気配は感じられず、ゆっくりとドアを開けた。


部屋は静まり返っていたが、テーブルの上にインクとペンが乱雑に置いてあった。

誰かが使っているのかもしれない。


……しかし。


唇をかむ。

ここにいないとなると、どこにいるか。


気を失ったレティシアを抱えていたのはダニエル。

考えたくはないがダニエルの部屋か。


わからないが、探すしかない。

救い出すと決めたのだ。


再び行動を起こそうとして、脚が止まった。


……誰か来る。


身体が一瞬にして緊張し、身構える。

足音は廊下の先から。

しかも複数。

息を殺し、カーテンの裏に隠れた。

そのままこの部屋の前を通過してくれることを願ったが、足音がドアの前で止まる。


ドアが開き、人が複数入ってくる音。

二人。


……やれるか?


ニコラは気配を消して剣の柄に手をかけた。

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