第2話 引退
完結済み。
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「よく私が引退を決めたこと、わかったな」
ソファに座ったニコラ。
向かい側には白くなった口髭を蓄えた家老レモンドが座っている。
「何年一緒にいると思っておられる?」
「フフ、確かに」
「長ごうございましたな」
「なつかしいな。……私もそなたもそろそろ六十の峠を越えようとしている」
「はい……」
一瞬、昔を懐かしむ空気が流れる。
「十分であろう?お互いに良くやった」
その言葉にレモンドは厳めしい表情を緩めた。
「……そうですな。ニコラ様とともに先の大戦で帝国に打ち勝ち、このアンジェ伯領を受領し、繁栄をもたらした」
「立派すぎる功績だ」
「フフフ、確かにその通りです。若いころの自分を思えば、出来すぎです。伯領の筆頭家老など」
「私も下級貴族がよくも成り上ったものだ、伯爵とはな」
「よい人生でした」
「ああ。心残りはないか?」
「そうですなぁ」
レモンドはひげを触ると、
「一つだけございます」
「なんだ?」
「それは……」
言いかけた時、ダニエルが静かに部屋に入ってきた。
ニコラは声をかける。
「よくきた。待っていたぞ」
「は……」
相変わらず、表情に変化がない。
引退の宣言をしてから数日。
徐々にだが、その準備が整いつつある。
「ダニエル」
「はっ」
「これからユーグを支えてくれるか?」
「生まれたときより、そのように育てられておりますので」
「……そうか。先日にも言ったとおり、これからはユーグが伯爵となってこの地を治める。次の世代はユーグとともにそなたがこのアンジェ伯領を導いていくことになる」
話を止めて、ダニエルを見た。
こちらをちらと見たが、すぐに視線を落としてしまう。
有能かそうでないか判断に迷うが、レモンドによると、王都への伯爵位移譲手続きはそつなくこなしたらしい。
「年齢はいくつになった」
「二十七にございます」
「妻はまだであったな?」
レモンドを見る。
「はい。まだ早いというばかりで、一向にもらう気配がございませぬ。ニコラさまからも言っていただけると助かるのですが」
「そうだな。探しておこうか」
そう言いながらダニエルの表情をうかがうと、静かに首を振り、
「まだ早いと思っております。ユーグ様に仕え、なおかつ妻を持ち、子を持つにはまだ未熟でありますので」
その返事にレモンドもあきれ顔を作ると、
「この通りでして」
「ま、考えておこう。そなたの家も続いていかねばならない。で、あろう?ダニエル」
「……は、確かに」
静かにうなずくダニエルの様子にレモンドと顔を見合わせ、お互いにため息をついた。
「では、ニコラ様、ユーグ様が王都に向かわれている間の留守は、安心して任せていただきましょう」
「ああ、頼む。私も最後の仕事だ」
「それは私にとってもです」
「そうだな」
うなずき、立ち上がりかけた時、ダニエルの視線がこちらから外れた。
どこを見たのかとつられてダニエルの視線の先を見ると、扉が開いてレティシアが現れた。
ニコラに近づいて軽く礼をする。
「義父さま。お呼びとお聞きしましたが」
「ああ、すまない。呼び立てして」
「いえ。私の方は構いませんが」
チラとレモンドとダニエルを見る。
「レティシア様と話があられるか?」
「ああ」
「では、われらはこれで」
レモンドが立ち上がり、ダニエルと一緒に部屋を出ていく。
そのダニエルの背中を視線で追った。
……よくも気が付いたものだ。
レティシアの気配にニコラは気が付かなかった。
ダニエルのみが気が付いていたようだ。
「話の途中でしたのに、大丈夫でしたか?」
二人を見送ったレティシアが、こちらに顔を向ける。
「ああ。もう終わったところだ」
「はい。それで私への話はどういったことでございましょう?」
「そうだ。これを」
立ち上がって腰の剣を外すと、鞘ごとレティシアに渡す。
「これは……義父さまが大切にされていた剣でございましょう?」
「そうだ。抜いてみるがいい」
うなずいたレティシアは慣れた様子で剣を抜きはらった。
「……美しいものですね。傷一つない」
ため息がこぼれる。
「勝手に直ってしまうからな」
「古代王国の剣」
「いわゆる遺物だな。先の大戦で、帝国の騎士が持っていたものだ」
「義父さまが戦ったという騎士でしたね。相当に強かったと」
「あれほどの敵は生涯出てこないだろう」
「それにしても……美しい」
レティシアは切っ先から柄までをずっと見て、息をこぼす。
「構えるがいい」
「この剣で?」
「ああ」
うなずきながら、ニコラも予備の剣を手に取ると正眼に構える。
「久しぶりに稽古といこうか」
「……何年ぶりでしょうか。義父さまとこうして相対するのは」
ロングドレスのスリットから美しい脚がのぞく。
その構えは、堂に入っている。
「よい剣です」
そう言うなり、踏み込むレティシア。
流れるような動きから転じての突き。
こちらも受け流すと、その剣を跳ね上げつつ、返す剣で袈裟懸け。
レティシアもぎりぎりでかわす。
素人が見れば、本当に斬りあっているようにも見える。
口に笑みがこぼれた。
かつて、自分も剣で身を立てるのだと必死に訓練に励んだ。
そのことを思い出しながら、踏み込んでくるレティシアを見る。
裾がひるがえった。
一瞬、対応が遅れる。
レティシアの剣が顔の横をすんでのところで通り抜けていく。
かろうじてかわせたものの、危なかった。
……いつになっても男というのはしょうがないな。
苦笑するが、気を引き締め、レティシアと対峙する。
数合、斬り結んだところでお互い正眼の構えに戻った。
「……腕は落ちていないようだ」
「先生こそ剣聖の名は伊達ではないと改めて感じます」
笑顔で答えたニコラへの呼びかけが、以前のものに戻っていた。
「先生か、なつかしいな」
「今、私先生と言っていましたか?」
「ああ」
「剣を持つと、いけませんね。どうしてもすでにユーグ様の妻だということを忘れてしまいます」
「フフ、確かにレティシアはそれだけ腕がある」
笑いながら、剣を収めた。
レティシアも同じく剣を鞘に納めると、ニコラに戻す。
それを受け取ると、ソファに座りつつ、
「迷ったのだがな、私が死んだらこの剣はレティシアに譲ろうと思う」
「それは……」
向かい側のソファに座ったレティシアが、息を呑む。
「亡くなるなどおっしゃらないでください。それに、私には受け取る資格がございません。古代王国の武具は国の宝ともいえるものです。オレアン王国にも王家と公爵家に一つずつ。あとはこの剣のみです」
「もちろん、ユーグに譲ることが本筋であろう。しかし、ユーグではこの剣を扱えまい。しかし、レティシア。そなたなら使える」
「しかし……」
ためらうレティシア。
「図らずも私は剣聖などと呼ばれてはいるが、治める領邦もあり、この剣を受け継ぐ者は作らなかった。唯一の弟子がレティシア、そなただと言っていい」
「……楽しい日々でした。先生のもとで五年。剣を学べたことは私の中で唯一無二の宝です」
「だからだ。この剣は飾り物ではない」
「それはそうですが」
なおも躊躇するレティシア。
国宝に匹敵するものを引き継げと言われて、即答できる者はいないだろう。
「……レティシア。そなたとは深い縁がある」
「と、言いますと?」
「そなたの父、ブロワ伯とは先の大戦で一緒に戦い、戦後は政治の中でも共闘した」
「父から聞いております。戦場で何度も先生に救われたと」
小さくうなずく。
「そうだな。私の人生にブロワ伯は欠かすことのできない人物だが、その娘がこうして目の前にいる」
「父が私を連れて先生のもとを訪れた日のことを、今でも忘れません」
当時を思い出しているのか、笑顔が浮かぶ。
「剣を私から学び、そのうえ息子の妻となった」
「はい」
「運命……というものがあるとしたら、このことなのだろう」
レティシアも迷っていたようだが、それを振り切るように顔を上げた。
「……わかりました」
「そうか、引き継いでくれるか」
「はい、謹んで……」
「よかった。伯爵位も片が付き、これのみが気がかりだったからな」
ほっと息を吐く。
「先生のお言葉。うれしく思います。ユーグ様の妻としてこの家に入ることができたのは、私にとって幸運以外の何物でもありません」
「それはこちらにとっても同じ事だ」
「ありがとうございます。……でも本当は、少しですけど先生の弟子として戻りたかったというのは、ユーグ様には内緒にしてくださいね」
いたずらっぽく笑うレティシア。
思わずこちらも笑ってしまう。
「まさしくそなたの剣は本物であった。あと数年学べば、私など及びもつかぬ領域にたどり着いたであろう」
「ありがたきお言葉ですが、私は女です。先生ほどには」
「いやいや、先ほどの突き。危うく受けるところであったぞ?」
そう言って、腰に戻した剣をポンとたたく。
一瞬返答に迷ったように見えたレティシアだが、ゆっくりとうなずく。
「久方ぶりの先生との稽古。楽しくありました」
「よければいつでも立ち会おう」
「よろしいのですか?」
身を乗り出す。
「もちろんだ。ユーグにも許可を取っておこう。これからはあいつが領主だ」
「ありがとうございます」
本当に喜んでいる様子。
「では、また後日。しばらく王都に行かねばならない」
「ユーグ様とともに、でしたね」
「留守はレモンドに頼んである」
「無事のお帰りを……お待ちしております」
柔らかい礼をすると、レティシアは部屋から出て行った。
それを見送った後、深くソファに座りなおす。
……王都か。
そう思ったとき、突然の眩暈。
ふらつき、ソファに倒れこんだ。
目の前に、あの白昼夢での光景。
よりはっきりと自分の死の姿と、レティシアの拘束された姿が頭の中で映像として浮かぶ。
……何なのだ、これは。
額に冷たい汗が流れるのは感じていたが、腰の剣がかすかに揺れていたのをニコラは気が付かない。




