第19話 王太子
「……ちょっと憂鬱ですね」
ブロワ伯の館。
与えられた部屋に入ると、つぶやくように言うレティシア。
「ロベル殿下との食事?」
「はい」
「ま、こういうのもやらねばならないことなのだろうが、何故私とレティシアが呼ばれたのか気になるな」
「面識はないのですよね?」
「私はな。ユーグは士官学校時代に知り合っていたようだが……。その話をされるとまずいな」
「知らないことですものね」
「さてさて、どうしたものか」
腕を組みながら天井を見上げる。
「何とかごまかすしかありませんね。私も話題を変えるように努力します」
「助かる。あまり深刻に考えないように、軽い気持ちでいかないとな」
「ええ。そうですね。ともすると、ニコラさまは二十五歳という年齢にしては、随分と年が上の方の物言いをされますので」
いたずらっぽく笑う。
「中身は六十手前だぞ?意識しないと、若々しくとはいかない」
「フフ、私の前ではそのままのニコラさまでいてください。話し方もユーグ様と一緒になってしまったら、本当に区別がつかなくなってしまいますもの」
「……そう、だな」
ドキリとすることを言われて、ニコラは中途半端な笑顔でレティシアに答えた。
長く続く廊下を並んで歩いているレティシアをちらと見る。
白のドレス姿。
既製品にしては、よく似合っている。
深く開いた胸元、驚くほど細い腰、そこから優雅に広がる裾と、どこをとっても即席のものとは思えない。
「ニコラさま?」
「ん?」
「エスコート、よろしいですか?」
そう言ってニコラの腕に自分の腕を絡ませた。
「ニコラさまとはこういった場は初めてですね」
「そう……なる」
多少固さのある返事。
夫婦としてロベル王太子の招きに向かうわけだが、実際のところ六十手前の男と二十代の女。
師と弟子という関係ではあるが、それが夫婦を演じるとなるとやはり緊張する。
が、レティシアの方と言えば、この状況に対して楽しんでいるようにも見える。
……戦をしているだけの方が、楽だったかもしれない。
考えすぎなのは分かっているが、どうふるまえばよいのかわからない。
もちろん、心沸き立つのは確かだ。
それはそうなのだが、もしそれがレティシアに伝わったとき、どう思われるか。
それが怖い。
もちろん、素直に聞けばいいのだ。
今のニコラとの関係をどう思っているのか。
どうしたいのか。
だが、できない。
軽蔑されるかもしれない。
今の関係が崩れるかもしれない。
そうなると、もう動けない。
そんなことを考えているうちに、扉の前に着いてしまう。
案内の者が扉を開けた。
長い机に純白のテーブルクロス。
食事のために用意された部屋だろう。
「ようこそ。お二人とも」
部屋の奥にいたロベル王太子が手を広げて招き入れてくれる。
「いえ、殿下。お招きいただきありがとうございます」
「感謝いたします」
ニコラが頭を下げ、レティシアも腰を少し落として礼をする。
「このような多忙な時に申し訳ありません。しかし、どうしてもニコラ殿から此度の戦の話をお聞きしたかったのです」
「いえ。こちらこそこのような機会をいただき、光栄に思います」
答えながら、目の前の二十七歳の青年を見る。
先日、戦いの前に感じた優秀であろう、という印象は変わらない。
しかも、これは王族特有なのだろうか。
笑顔にも底の知れない圧を感じる。
実際、本当のユーグであったなら気圧されていただろう。
座ることを促されてニコラとレティシアは並んで座り、ロベル王太子は向かい側に座った。
「……さて。ニコラ殿の今回の戦いでの働き、見事であったと父も申しておりました。セイルーズを落とされた件は、今回の戦いによって不問に付すとも」
「そのお言葉、ありがたく思います。しかし、今もセイルーズは奪われたままであり、あの領土、あの街を取り返してこそ、損なった責を果たせるものと考えております」
頭を下げながら答える。
「ニコラ殿。その決意、父に代わって礼を言います。是非にもその力、王国のためにも役立ててくれるよう期待しています」
「かしこまりました」
ニコラの返事にロベル王太子は一息入れると、給仕の者に合図を送る。
すぐに食事の準備がなされて、前菜からそれぞれの前に並べられた。
「では、戦時下です。あまり堅苦しくならないように、食事をしながら続けましょう」
「ありがとうございます」
「それにしても、ニコラ殿。敵本陣への突撃。どうしてあのようなことができたのか、教えてほしいものです。私は恥ずかしながら、今回、戦というものがよくわからないままに終わってしまった」
へりくだって聞く態度ではあるのだが、そこは王族。
余裕の感じられるロベル王太子の様子。
ただ、少しほっとした。
ロベル王太子に呼ばれた理由は、これを聞きたかったからなのか。
「それは……説明するのは難しいのですが、言葉にするとなると無我夢中であったということしか。逃れた先から戦いの場全体を見た時、帝国本陣までが偶然に何もなくなった。それだけのことです」
「とはいえ、寡兵をもって大軍に向かったわけですから。そんな決意、なかなかできることではないと、私でもわかります」
興味深げな視線を向けてくる。
「そうですね。……あの時はなぜか行ける、と思ってしまったのです」
「なるほど。直感であると?」
「直感……。直感なのかもしれません。敵本陣までの道が見えたような気がしました」
「ほう、道が見えるとは興味深い。実際に道があったわけでなく、可能性を感じられたということでしょうか?」
こちらを見る目。
ニコラにしてみれば三十近くも歳下の若造の目。
しかし、どちらかというと苦手な目だ。
「……そう思います」
「そういった直感も、貴方の父上から引き継いだものかもしれませんね」
「そこは……わかりかねます」
あまり触れたくない話題に、遠慮がちに答えた。
「なるほど。しかし、どのような心持であったのです?突撃のさなか、敵将アーネストとも渡り合ったと聞いています」
「すべてはその瞬間のことなので。考える暇さえありませんでした」
「ふむ……。そういうものなのでしょうか。ただそのおかげで、我らは混乱から立ち直る猶予をいただけた。まさしく、ニコラ殿に救われました」
「ほかの方々の奮闘があったればこそです」
「いや、もちろんそれはそうですが、それだけでは足りない。あなたの力があったからでしょう?」
「は、ありがとうございます」
遠慮しすぎても角が立つ。
一呼吸置くためにも食事を口に運んだ。
「……ロベル殿下?」
「はい、なんでしょう?レティシア殿」
「殿下は帝国の戦い、どのように捉えていらっしゃるのでしょうか?」
レティシアがこちらも話しやすい戦いの話題に変えてくれた。
「そうですね。冷静に見れば、王国の被害は大きい。帝国よりも。それは事実です。とはいえ、帝国も歩兵同士の戦いでは少なくない被害を出しております」
「帝国が追撃に入らず、一度セイルーズに引いたのはそれが原因とみているのでしょうか?」
「ええ。そう判断しています。しかし……レティシア殿はよく全体を見ておられる。私の側近ですら浮足立ってしまって記憶が飛んでしまっているものが大半なのですよ?」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げるレティシア。
一呼吸置けたニコラは、食事の手を止めると、
「……殿下。一度引いた帝国は、今後どのような動きをするとお考えでしょう?」
「さて、問題はそこです。戦いは終わったわけではない。帝国は援軍を待ち、再度の侵攻を準備するでしょう」
「では、防衛線を築かれることになりますか?」
「ええ。本来なら父がすぐにでも指揮を執るはずです……が」
言葉を濁すロベル王太子に、レティシアが遠慮がちに言う。
「父より、王が負傷されたと聞きました」
「やはり、漏れ伝わってしまっていますね。……他言無用でお願いしたいのですが、芳しくはありません。回復薬等を使って何とか小康状態を保ってはいますが、危ない状態と言わざるを得ません」
「それは……心配です」
「私も矢が降り注いだ時、なぜに父の前に立てなかったかと……」
「そのようなこと。殿下の身も無事であったからこそ、王国は規律を保っているのでしょう」
「フフ、うれしいことを言ってくれますね、レティシア殿」
飛び切りの笑顔をレティシアに向けたからか、レティシアは目を伏せる。
そのロベル王太子の笑顔から目を離さず、ニコラは聞く。
「今後はこのブロワ伯領で防衛線を築くのではないか、という話も聞こえてきております」
「ええ。今、ボドワン卿等と共に協議をしておりますが、モンフォール侯が亡くなられたのが痛かった。今残っているのは、戦争経験がない者ばかりなのです」
「……そう、なりますね」
将軍職の顔ぶれを思い浮かべる。
「そこでです」
すこし身を乗り出す。
「ニコラ殿、レティシア殿。今回の食事の目的の一つなのですが、貴方は先の英雄のニコラ殿の名を受け継いでいます。しかも今回の戦いで一番といってよい働きをした」
「それほどのことは……」
「遠慮なさらず。ニコラ殿。今の状況で、あなたの言葉を無視できる者は軍の中でそうはいません」
「それは……」
その通りかもしれない。
もともと政治は得意ではなかったニコラであるが、戦いでの実績が政治の場でも影響することは長く経験してきている。
「だからこそ、今後ニコラ殿には私を助けていただきたい」
食事をしていた手が止まる。
「助ける、とは?」
「難しく考えていただく必要はありません。ただ、相談に乗っていただきたいのです。今後、私は怪我をした父の代わりとして、軍を指揮せねばならないでしょう。先ほどあなたの仰られた直感。あれを私にも働かせてほしいのです」
即答はできなかった。
まさしく政治。
王国内は様々な派閥があり、これはロベル王太子の派閥に組み込まれるということ。
ブロワ伯が気をつけろと言ったのはこのことなのだろう。
価値が出た人物はすぐに手元に置こうとする。
その誘いだった。
「いかがです?」
「……私にそのような力があるとは思えませんが」
「謙遜を。今回の戦い、王国の命をつないだのはあなたなのですよ」
そう語るロベル王太子。
第一皇子であり、最大派閥だろう。
それだけでも仕えるに十分だとは思うのだが、ここでロベル王太子派閥に取り込まれて良いのかの判断がニコラであった頃からできていない。
以前と変わらない自分に思わず苦笑したくなる。
「ロベル殿下。現在私は義父であるブロワ伯預かりの身です。義父の意見も聞いてみたいと思います」
「なるほど。それは確かにその通りですね。では、後ほど私からもブロワ伯に申し入れましょう」
戦いでは即座の判断ができるのに、こういった場面では結局ブロワ伯を頼ってしまう。
しかし、それは間違いではないし、賢明な判断だろう。
無難なニコラの返事に、レティシアの表情が少し和らいでいた。




