第17話 転機
それは刹那の判断だった。
「戦闘準備!」
声を張り上げた。
「ニコラさま」
「レティシア、しっかりついて来い」
「はいっ」
さすがに何をすべきかレティシアはわかっている。
うなずくのみ。
「ニコラ!」
さきほどのニコラの声にベルナールが急いでやってきた。
「ベルナール、目標を敵本陣とする」
「嘘だろ?」
驚きの声。
「敵を倒す必要はない。ただ駆け抜ければよい。本陣が襲われれば敵も浮足立つ。なれば味方にも立て直す余裕ができよう」
「そんなこと……」
そう言って、ベルナールも眼下の帝国本陣を見た。
瞬時に状況を理解したようだ。
「……行けるか?」
「行ける」
「行くか!」
興奮を高めたのがわかる声。
「すぐにも。時間がない。今しか行けない」
「わかった」
ベルナールは素早い。
傭兵たちに突撃準備を始める。
ニコラは馬首を帝国本陣に向け、槍を構えた。
「もう一度言う。敵を倒す必要はない。ただ、駆け抜ければよい」
手綱を強く握る。
「いくぞ」
走り始めた。
レティシアが後ろに続き、さらに他騎兵が続く。
……気がついてくれるな!
そう願いながら、槍を構えたまま馬を走らせる。
林に沿って馬を走らせ、速度をあげる。
林が途切れ、こちらの姿を隠すものが何もなくなる。
帝国本陣の兵がこちらに気が付き叫び声をあげた。
しかし、もう突撃するしかない。
身を伏せ、槍を突き出し馬の速度を最高速まで高める。
そのまま慌てて対応を始める帝国本陣の中に突っ込む。
対応しきれていない。
その場で槍を構える者。
逃げ出す者。
完全に不意を突いた。
……いける。
そう思った時、本陣の中央。
ニコラのその目に、あのアーネストの姿が映ってしまった。
鎧もつけておらず平服のまま、あわただしく動き回る兵のその奥に立っていた。
馬ならば数駆けの距離。
だが、このまま突っ切らねばならない。
立ち止まっては囲まれる。
しかし、欲が出た。
ここでアーネストを倒しておけば、後の戦いが楽になる。
このニール平原の戦いは王国の敗戦になるだろうが、アーネストを殺すことができれば、痛み分け以上の成果となる。
「レティシア!このまま進め!」
前方を指して叫び、ニコラは手綱を引き絞ってアーネストへ向かう。
群がる兵を蹴散らし、アーネストに近づく。
混乱した兵は事態を把握できていない。
アーネストの表情が分かるほどの距離。
こちらをにらんでいる。
が、その体は襲撃に対して反応できていない。
「覚悟!」
馬上から抱えた槍を突き出した。
そのまま穂先が胸に吸い込まれる。
倒した!
そう確信を得た瞬間、その穂先が別の槍によって跳ね上げられ、折られた。
見覚えのある甲冑。
セイルーズのものだった。
「ダニエルか!」
いつの間にかアーネストを守るように立ちふさがり、ニコラの攻撃を防いでいた。
……まだだ。
折れた槍を捨てて剣を抜くと、アーネストに向かって振り下ろす。
しかし、ダニエルが再び立ちふさがり、アーネストには届かない。
どころか、ダニエルは槍を繰り出し、ニコラの馬の前足が跳ね上がる。
必死に馬を操り抑えたが、動きが止まってしまった。
「ユーグ……」
睨む目は炎でも宿っているかのようだ。
「ニコラさま!」
そこに、先を行っているはずのレティシアがいた。
「レティシア、行け!」
叫びつつ、そばに寄ったレティシアを守るように馬を操る。
馬上のニコラとレティシア。
徒歩のダニエルとその後ろにアーネスト。
兵が混乱する中、因縁めいた者たちが対峙する不思議な空間が出来上がった。
「……ユーグ・アンジェだな」
アーネストが声をかけてきた。
「貴様がアーネスト・カーライルか」
面頬を上げる。
「ユーグ。……いや、ニコラ・アンジェと呼んだ方がいいか」
目を見開いた。
……なぜ、知っている?
かすかに震えたのを見逃さなかったのだろう。
口元でかすかに笑う。
「さすがは先の大戦の英雄だ。ここまで来るとはな。……だが、王国の戦い方は古い。私には敵わないことはわかっているだろう?」
「……やってみなければわからん」
そう答えることしかできない。
「その考え自体が古いのだ。ニコラ・アンジェよ」
「先の大戦でも王国は緒戦は負けた」
「これから盛り返すと?」
「そのつもりだ」
「なるほど」
さも愉快そうに笑う。
「フフ、しかし、今のこの状況、どうする?」
アーネストは表情を変えると、
「捕らえよ!剣を奪え」
その声に反応して、背後で激しく動く気配がした。
身軽な騎士が複数人、ニコラに向かってくる。
そのまま槍が突き出された。
のけぞり、かろうじて繰り出された槍を剣で防ぎ、囲まれる前に馬を走りださせた。
しかし、さらなる槍の一撃。
……アーネスト!
アーネスト自らが槍を繰り出し、思いもかけないその鋭い一撃はニコラの持つ剣を弾き飛ばした。
武器を失ったニコラ。
しかし、すぐにレティシアがそばに来て、ニコラを守る。
そこへ軽装騎兵が飛び出し、レティシアに襲い掛かるが、レティシアは剣で槍を受けつつ流れるような動きで弾き飛ばした。
「……なかなかの反応だな」
すれ違い、素早く反転してこちらを見る身軽な騎兵。
女の声だった。
「ルイーゼ殿下。困りますな」
「私にも楽しませろ。その男、この状況で本陣まで攻め入るとは、なかなかのものなのだろう?それに後ろの甲冑。私と同じ女だな?名を何という?」
面頬をあげたその顔。
整ったきつい印象の女性。
殿下と言われたからには皇族なのだろう。
以前、聞いたことがある。
女性の皇族ながら、戦いに身を置いている者がいると。
「名乗れ。そなたらは私の獲物だ」
整った口を開き、レティシアに剣を向けた。
「レティシア・アンジェ」
「フフ、レティシアか。覚えた。私はルイーゼ・ハノーヴ」
「覚えておきましょう」
そのやり取りには凄味がある。
しかし、これ以上はここに踏みとどまれなかった。
周囲がこちらに集まりつつある。
混乱から敵兵たちが立ち直りつつあった。
「レティシア。行くぞ」
「はい」
馬を走らせて、本陣から駆け抜ける。
その時、アーネストの近習の一人が目の端に映った。
初老の男。
レモンドだった。
……やはり裏切っていたか。
そう思いつつも、今は一刻も早く敵本陣から距離をとらねばならない。
周囲を警戒しつつ、全速力で馬を走らせる。
後ろから追うな、というルイーゼの声が聞こえた。
自分の獲物だ、と言ったのは本気なのだろう。
ただ、今はそれに救われた。
しばらく馬を走らせた後、安全を確認すると面頬を上げて、レティシアに声をかけた。
「……大丈夫か?」
「申し訳ございません。命令に従わず」
レティシアも面頬を上げる。
「いや、いい。一人であったなら、殺されていた」
「そんなことは」
「間違いなく死んでいただろうよ」
ニコラも答えながら、先ほどの状況を思い返す。
真実、一人であったら殺されたか、捕らえられていた。
「……とりあえずは、助かったようだ」
「ええ。まだ少し震えています」
「こんな初陣とは、レティシアも運がない」
「いえ、ニコラさまを守ることができたのですから、それだけで満足です」
「フフ、そうか……。本当に助かった」
うなずき、前を行っているであろうベルナールを追いかける。
ニール平原の端に沿うように移動していくと、両軍の様子がよくわかる。
本陣を襲撃されたことで、王国中央大隊の突破を図っていた帝国は一時攻撃が緩んだのか、王国軍も立て直しつつあった。
もともと王国軍の方に数の有利があったことが幸いしている。
被害は大きいが、それでも立て直すだけの数がいた。
本陣への突入は功を奏したようだ。
日が暮れかかっている。
今はまだ攻撃を続けている帝国軍もしばらく後には止めざるを得なくなるだろう。
今日のところはお互いに引くことになる。
ただ、王国軍の被害はやはり甚大だ。
特に両翼大隊は壊滅と言っていいだろう。
王国側は敗残の兵をまとめつつ、再編成が必要だろう。
いったん、この戦場から退却せざるを得ないかもしれない。
あとは、アーネストがどう出るか。
すぐさま追撃戦に入るのか、それとも時間をかけてじっくりと攻めてくるのか。
「……今日のところは負けだな」
馬を走らせながら、レティシアに話しかける。
「はい。手痛い損害です」
「アーネストに古いと言われた」
「そんなことは……」
レティシアもそれ以上を言えなかった。
この現実を否定することはできないのだろう。
「まさしくアーネストにこの十年の蓄積を見せつけられた」
「何が違ったのでしょう?」
レティシアが馬の速度を調整して、すぐ隣を走らせる。
「剣技と同じだ。首筋への致命の一撃を与えるためには、誘いの動きが入る」
「相手が乗ってきたところを切り返して、首筋に」
「そうだ。その動きを軍全体でやっていた」
「……こちらは?」
「いきなり首筋めがけて斬りつけただけだ」
「それでは受け止められて終わりです」
「そういう戦いしかできていない」
そう答えると、レティシアも納得がいったようだ。
「変えられましょうか?」
「難しいだろうが、変えられなければ帝国との戦いは厳しいものになる」
「はい」
前を見ながらうなずく。
「とはいえ、今はこちらも退くことを考えなければな。今、帝国の部隊と鉢合わせたら、摺りつぶされかねない」
帝国本陣の追跡からは逃れられたとはいえ、まだ戦闘は継続しているし、ここはその真っただ中だ。
「そうですね……」
うなずくレティシアを引っ張るように馬を走らせる。
幸いにして追手はなく、偶発的な敵との遭遇もなかった。
ようやく傭兵隊の最後尾に追いつき、速度を合わせる。
「……疲れたろう」
ほっと息を吐きながらレティシアに声をかけた。
「いえ、そんなことは」
「初陣なのだ。疲れて当然だ」
「はい」
「手綱を握って、あとは馬に任せるといい」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
そう答えたレティシアを確認すると、馬に揺られながらニコラは前を見た。
その瞬間。
自分の身体が思い通りに動かず、硬直する。
慌てて意識をはっきりと保ったが、その時に思い浮かんだのはユーグの顔。
……ユーグの意識が戻ろうとしているのだろうか。
かすかに息をこぼす。
眠っていたユーグの意識が目を覚まそうとしているのかもしれない。
これから徐々にユーグの意識が戻っていくのか。
それともニコラのままなのか。
なるようにしかならない。
……ただ。
この戦いを見届けられないかもしれないのは、いかにも残念である。
今日の敗戦。
どうしたらアーネストに勝てるか。
気が付けばそれを考えている。
それに、もう一つ。
アーネストはニコラ・アンジェと呼んだ。
今はユーグの姿であるのに。
……どうしてなのか?
王都からの帰り、ニコラ、ユーグを襲わせたのがアーネストの指示であったとしても、ニコラが死に、その精神がユーグに移動したことなど、知りようがないはずだ。
それを知っていた。
今のユーグがニコラであることを知っていた。
ではどうしてアーネストは知っていたのか。
その疑問が解けないまま、ふと腰の剣を失ったことに気が付いた。
三十年相棒であった剣。
あったはずのものがない。
その大きな喪失感に、馬を走らせながら、ニコラはじっと腰の鞘を見つめた。




