第16話 開戦
全軍戦闘準備の合図。
「レティシア。私の後ろに」
「はい」
うなずいたレティシアを確認すると、面頬を下ろして槍を構える。
銅鑼がもう一度鳴り、その間隔が徐々に短くなっていく。
次第に連打になると最後に大きく一つ。
「前進!」
遠くから声が響き、各部隊が動き出した。
第一陣の数千の騎兵がゆっくりと前進を始める。
かすかに身体が震えた。
……なるほど。
武者震いというものか。
壮観。
響く馬蹄の音。
平野を覆う黒い巨大な塊が前進している。
前方の帝国兵はまだ動かない。
迎え撃つつもりか、両軍の距離が近づいていく。
ここで銅鑼が再び鳴り響く。
騎兵の列がわずかに速度を上げた。
常歩から速歩に。
前面に展開している帝国兵が迫ってくる。
両軍の間の密度が高まっていく。
さらにここで銅鑼が三度鳴った。
「突撃!突撃!」
第一陣が馬に鞭を入れる。
緊張がはじけた。
左翼大隊数百騎が敵陣に向かって突撃する。
「ニコラさま!」
後ろのレティシア。
「まだだ。われらは第二陣。次の銅鑼だ」
第一陣は速度を上げ、帝国兵に襲い掛かろうとしている。
が、敵陣において、まだ重装兵が騎乗していない。
……どういうことだ?
このままではただ帝国兵は蹂躙されることになる。
それをあのアーネストが許すとは思えない。
その思考がまとまらないうちに、銅鑼が鳴った。
一瞬ためらったが、動き出さざるを得ない。
「突撃!」
号令をかけると同時に、傭兵隊が動き始める。
ニコラの馬も走り始めた。
槍を持つ手に力を籠める。
凄まじい音。
前を行く馬の蹄が砂土を巻き上げ、それに耐えながら槍を脇に抱えた。
姿勢を低くし、前を見る。
相手が重装騎士の突撃をしてこない以上、歩兵を蹴散らせばいい。
この勢いのまま突撃し、歩兵の陣容を切り裂く。
乱戦になってしまえば弓兵も怖くない。
……弓兵?
弓矢も飛んできていいはずだ。
正面からの弓矢は効果が薄いが、まったくないわけではない。
撃たない理由がない。
不審に思ったその視線の先。
緩やかな上りに差し掛かり、先んじた重装騎兵第一陣の様子が目に入った。
乱れていた。
第一陣は歩兵を蹂躙しているはずだ。
それが馬が棹立ちになり落馬している者が続出している。
……何が起きている?
わからないが、突撃を止められているのは確かだ。
第一陣は混乱を極めていた。
すでに相当数が死んでいるはずだ。
これはまずい。
このままいけば、混乱した第一陣に第二陣が突っ込む形になる。
とはいえ、動き出してしまっている以上、すぐに止まることはできない。
たとえ命令を出したところで、突撃中に聞こえるわけがない。
それでも叫ばずにはいられなかった。
「止まれぇ!」
身体を起こし、手綱を引きながら何度も叫ぶ。
後ろのレティシア。
前を行くニコラの急速な減速に、馬を暴れさせている。
手を伸ばし、レティシアの馬の手綱を握って抑える。
無理な体勢に身体が悲鳴を上げたが、なんとか馬が落ち着いた。
「……ありがとうございます」
面頬をあげたレティシアが礼を言う。
「いや」
「何があったのでしょう?」
「わからないが、第一陣は突撃に失敗したようだ。傭兵たちも……」
その傭兵隊がうまく方向を変えると、徐々に速度を落としている。
……ベルナールか。
さすがに歴戦の傭兵隊長。
周りの状況が見えている。
しかし、他の第二陣は愚直に突撃を続け、第一陣同様に落馬し、さらなる混乱を招いていた。
混迷を極める王国軍。
それをニコラにはどうすることもできない。
今は戦場。
怒号と悲鳴。
刻々と状況は変わっていっている。
なんとか停止できたことに息を吐いた次の瞬間、傭兵隊が乱れ始めた。
馬が暴れ、落馬している者までいる。
風を切る音。
すぐ前の地面に矢が刺さる。
側面から矢が飛んで来ている。
小高い丘の上に弓兵の一団が目に入った。
「レティシア、盾を!」
上にかざした。
レティシアもそれにならう。
「馬を!」
手綱を引き絞り、馬を矢に対して正面に向ける。
馬の防具は正面に集中しており、横からの攻撃には無防備に近い。
盾が矢を弾く不気味な音。
周りから上がる悲鳴。
暴れる馬に巻き込まれる者。
レティシアを引き寄せ、二人で防備を固める。
側面から降り注ぐ矢の雨。
後手後手に回っている。
敵に振り回されていた。
しかし、今は矢が盾を貫通しないよう祈ることしかできない。
傭兵は装備が統一されていない上、盾を持っていない者もかなりいた。
馬が暴れ、矢をその身に受けた傭兵たちがバタバタと倒れていく。
ニコラはレティシアを抱えながら、盾を掲げ続ける。
ようやく敵が攻撃対象を移したのか、矢の雨が途切れた。
周りを見ると、相当数の被害が出ている。
……くそ。
完全に帝国の思うつぼである。
「ニコラ!」
こちらを呼ぶ声に顔をあげると、無事だったのか、ベルナールが盾を掲げつつこちらに馬を走らせてきていた。
「ニコラ。一旦、退却したほうがいい。すぐに歩兵が押し出して来る」
「ああ、同意する」
「ではすぐにも!」
退却の声をあげようとするベルナールをニコラは止めた。
矢は側面から撃たれていた。
大きく周りを見た。
帝国弓兵が広く左手側に展開していた。
当初、あんな位置にはいなかったはずだ。
こちらが突撃をしている間、弓兵は騎兵の弱点である側面に回り込んでいたということ。
もちろん、アーネストの指示だろう。
先を読んで部隊を展開させている。
だったら、この後退却することをアーネストが考えていないはずがない。
「……ニコラ!」
急かすベルナール。
「退却は……」
もう一度周りを見回す。
瞬間、三十年前、この平原でも戦った記憶がよみがえった。
「……あの、右後方の小高い丘に」
指をさす。
「しかし、それでは我が隊は孤立することになる」
「それでも、矢の雨に晒されるよりかは生き残る可能性が高い」
答えながら、馬に鞭を入れる。
レティシアが続き、納得はしていないがベルナールもついてくる。
動ける傭兵たちは隊長であるベルナールに続く。
その後方。
ようやく退却を開始した第一陣、第二陣の生き残りに対して、狙ったように矢が降り注いでいる。
地獄絵図が展開されている。
ニコラはレティシアがついてきていることを確認しながら、丘を上りきると林があり、そこに馬を入れた。
ついて来られた傭兵たちは八十騎ほど。
二割近くがやられるか動けなくなったわけだ。
レティシアが追いつき、馬を並べる。
「怪我はないか?」
「はい。なんともありません」
面頬をあげたその顔は、緊張と興奮で紅潮している。
「相当やられた……」
「はい」
ベルナールも丘を上りきり、傭兵隊をまとめ始めている。
「ひどいものだな、ニコラ殿」
「ああ、見ろ。馬を降りた重装歩兵に突撃を止められている」
ニコラが指さした先。
小高い丘からは戦場が見渡せる。
帝国の重装騎兵半数が馬を降りていた。
密集隊形をとった重装兵が槍衾をつくり、突撃してくる騎士を受け止めている。
というより、槍の穂先を恐れた馬が本能的にその脚を止めつつ前脚を跳ね上げる。
立ち馬により落馬した重装騎士たちに、帝国兵がとどめを刺している。
「あんな方法があるなんてな」
つぶやくように言ったベルナールが見下ろすニール平原での戦いは、まさに王国にとって悪夢だった。
右翼、左翼の騎兵は完全に停止。
しかも両翼の騎兵は今なお弓矢の攻撃にさらされており、その数をみるみる減らしていっている。
退却路にも弓矢が降り注ぎ、これでは逃げ切れる者はわずかだろう。
中央の歩兵は両軍がぶつかり、一進一退の攻防を繰り広げている。
しかし、今まさに左右に大きく展開した弓兵が徐々にその展開を引き絞り始め、歩兵にも弓矢が届き始めている。
かろうじて均衡を保っているが、時間の問題だろう。
このままでも王国は敗れる。
そう感じた時、ニコラは気が付いた。
……騎兵がいない。
敵陣にいるはずの馬から降りていない残り半数の重装騎兵の姿が見えなかった。
あれは最後、とどめの一撃のために温存しているものだと思っていた。
その時、平原の先。
木々の間から敵重装騎兵の姿がかすかに見えた。
「まずい」
「どうなされました?」
レティシアがこちらを見た。
「騎兵が側面に回り込んでる」
「騎兵は馬を下りて正面にいるだろ?」
「半数が別に動いている。弓はあるか?」
後ろに向かって叫ぶ。
弓を持つ兵がすぐにやってきた。
「警告矢を」
「はっ」
「撃て」
弓が引き絞られ、放たれた。
矢尻に仕込まれた火薬が赤い煙を吐きながら、矢が放物線を描く。
「……気が付くか」
しかし、反応はない。
「もう一度」
「はっ」
警告矢がもう一本、放物線を描いた。
その時、平原の端。
木々の間から帝国騎兵が姿を現した。
歩兵の側面から錐のように重装騎兵が押し込まれていく。
王国中央大隊の陣容が引き裂かれ、混乱が広がっていくのが手に取るように分かった。
「ニコラさま」
レティシアの声がふるえている。
それはそうだろう。
味方が敗れる様子を今その目で見ているのである。
「今、この丘を下りて行ったところで、ただ味方を減らすことしかできない」
「しかし……」
何かがしたいのだろう。
確かに、あの陣の中にはブロワ伯もいるのである。
前に出ようとするレティシアを止める。
止めながら、もう一度ニコラは戦場を見た。
三十年前の大戦の時とは違っていた。
戦い方が帝国に比べて完全に遅れている。
馬を下りた防御の高い重装兵でこちらの重装騎兵を押し止め、側面に展開した弓兵で矢の雨を降らせる。
混乱するうちに、重装兵の残りは騎乗し迂回をしながら歩兵の側面をつく。
動きのある戦い。
一つ一つの要素がつながっている。
対して、王国はただ突撃をしただけ。
各部隊のつながりなどなく、連携も取れていない。
数を頼りに前へ軍を推し進めただけ。
ニコラは帝国の本陣を見た。
おそらくはそこで満足げにうなずいているであろうアーネストの姿を思う。
この十年戦い続けた男との大きな差。
やはりこのままでは王国は敗れる。
眼下では、すでに帝国騎兵は王国本陣近くまでたどり着いている。
……見ていることしかできないのか?
もう一度敵本陣を見た。
本陣の前にいた予備兵までが王国中央大隊に向けて突撃をはじめている。
ただ、これは意外のことだった。
おそらくアーネストの指示ではないだろう。
戦功にはやった部下の独断かもしれない。
精緻なアーネストの軍に生じた歪み。
頭の奥で火花が散った。
今のこの場所から敵本陣。
距離はあるが、緩やかな下り坂。
林がせりだしてこちらの姿は見えにくいはずだ。
歩兵となった重装騎兵半分は王国騎兵を受け止め、その撃滅に専念。
残りは迂回挟撃。
歩兵は前面に押し出ている。
弓兵も左右に大きく展開していた。
そこへ予備兵までも前進している。
帝国本陣を守る兵は多くはなかった。
ここからまっすぐに伸びた先にアーネストがいる。
……できるか?
アーネストは戦いを流れの中で見ている。
だからこそ、このような大局から外れた八十騎程度の部隊など、今は意識の外にあるのだろう。
隣のレティシアを見た。
危険な戦闘行為に巻き込もうとしている。
が、待てと言われていうことを聞くレティシアでないこともわかっていた。
危険なことなど、戦争に参加する時点でわかっていたことだ。
ニコラはもう一度戦場を見渡す。
……いける。
確信を持って手綱を引き締めると、後ろを振り返った。




