52 商談成立
デモンストレーションをする為に何も塗っていなかった傷痕が露わになると、伯爵夫人が小さく息を飲んだ。
微かな憐れみの視線は感じるものの、夫人は余計な事は仰らないし、私を蔑む空気も感じない。
公爵夫人に情報提供をお願いする際に、私が自分で営業をかけると伝えてあったので、高圧的な態度の人や問題がある人は、名前を挙げる時点で予め省かれていたのだろう。
実際に何人かお会いした方々は、皆穏やかな性格の方ばかりで、とても営業がし易かった。
公爵夫人には、足を向けて寝られない。
自身の傷痕を使ってデモンストレーションを行うのは、相手の信用を得る為である。
カウンセリングの際にはお客様のシミやソバカスを実際に見て、使う色などのアドバイスを行うのだが、中には初対面の小娘にスッピンを見せるのを躊躇する方もいらっしゃる。
しかし、こちらの悩みを先に見せてしまえば、親近感が生まれるせいか、あちらも悩みを相談しやすくなるのだ。
それに、この国に今迄は存在していなかった得体の知れない商品を、いきなり自分の顔に塗るのは怖いと思う人だっているだろう。
だから、先ずは、私が自分の顔に塗っている所を実際に見せて、少しでも安心してもらおうという算段である。
普段自分が使っているコンパクトを開くと、中は水彩絵の具のパレットみたいな作りになっている。
手前の細長い溝に収められている、紅筆の様な小さな筆を取り出した。
メインの部分は三つに仕切られており、両端の仕切りには異なる色のリフィルが収まっていて、真ん中には何も入っていない。
「この、真ん中の空間は何?」
伯爵夫人は好奇心一杯のキラキラした表情で質問を投げかけた。
お母様と同じ年代のご夫人に対して失礼な表現かもしれないけど、とても可愛らしい。
「ここで左右の色を混ぜ合わせて、自分の肌に最も近い色を作り出すのです。
実際にやってみますね」
慣れた手付きで色を混ぜ、傷の上に軽く乗せる。
指先でトントンと優しく叩く様に縁を馴染ませ、薄く白粉をはたけば完成だ。
この大陸の人達の肌色の濃さは、国によってかなり違うので、『販路を広げる度に、その国に合わせた色を何色も作るのが大変だ』と従兄が愚痴ってきた。
そこで、この方法を思い付いたってわけ。
これなら基本的な色さえ抑えておけば、細かい調整は各自でしてもらえる。
詰め替えタイプなので、使い切った色のみを買い足せるのもポイントである。
コンシーラーとしてだけでなく、選ぶ色によっては少量を薄く塗り広げてシェーディングやハイライトとしても使用可能。
四色を収められる少し大き目のパレットも販売していて、そちらもなかなか好評となっている。
どんな製法で作られているのかは知らないが、前世の頃に使っていた物よりもしっかりカバーしてくれるのに、伸びが良いし崩れにくい。
私の従兄って、もしかして天才なのでは?
いや、商品開発チームの皆さんが天才なのか。
「あら、本当に消えたわ。魔法みたいね」
伯爵夫人は、メイクを終えた私の額を見て驚きの声を上げた。
「残念ながら、お化粧品の効果で一時的に隠しているだけなので、根本的な治療にはなりません。
ですが、夜会などで着飾る時だけでも、お悩みが隠れると気分が上がりますよ。
お肌に優しい成分で作られておりますので、その点についてもご心配は要らないかと」
「東のカヴァナー商会から売り出されているのでしょう?
ならば、信用できるわね」
ウチの従兄の商会は、どうやら我が国でもかなり評判が良いらしい。
デモンストレーションを終えたので、伯爵夫人付きの侍女をこの部屋へ呼び戻す。
ここからは、夫人の化粧を担当する侍女にも、使い方を覚えてもらわねばならないからだ。
六色展開しているリフィルをテーブルに並べて、夫人のお肌の色と見比べる。
「その、オレンジ色っぽいのと、青っぽいのは何に使うの?」
「オレンジ色は青みがかった隈を隠すのに、青の方は頬の赤みや、赤っぽい傷痕を隠したい時に使うのですが、夫人の場合はシミがお悩みとの事でしたので、普通にお肌の色に近いものを選びます。
色白でいらっしゃるので、こちらの二色が宜しいかと」
夫人の侍女に使い方を説明して、実際にやってみてもらう。
「白っぽい方の色を、もう少し多めにしましょうか」
「こんな感じで良いでしょうか?」
「そうですね、その割合を覚えてください」
「はい」
混ぜたコンシーラーを夫人のこめかみに乗せた侍女は、私の指示通りに器用に縁をぼかしていく。
予め『絵画を描く素養があったり、手先が器用な侍女の方が向いているかもしれません』と伝えておいたのだが、ピッタリの人材を用意してくれたらしい。
「とても上手ですよ。
一度で消えなかった場合は、同じ工程を繰り返して塗り重ねてみましょう」
「かしこまりました」
僅か数分後、すっかり悩みが消えた自分の顔を鏡で確認した伯爵夫人は、分かりやすくパァッと瞳を輝かせた。
顧客に喜んでもらえたと実感できる、この瞬間が堪らなく好きだ。
「素晴らしいわ!
こめかみに大きなシミが出来てから、サイドの髪を下ろして隠していたのだけど、あの髪型は私に似合わなくていつも憂鬱だったの。
屋外のお茶会では、風が吹く度にシミが見えるんじゃないかって気が気じゃなかったし。
今後はそんな心配もなくなるのね」
大満足した伯爵夫人は、新発売記念の限定デザインのコンパクトケース(蓋に宝石が付いていてかなり高額!)と、お試しでご使用いただいた二色のリフィルをお買い上げしてくださった。
しかも、歳の離れた妹君が、子供の夜泣きのせいで隈が消えなくて悩んでいるらしく、「今度紹介するわね!」と嬉しいご提案までいただいた。
「お嬢様、上機嫌ですね」
馬車の窓から流れ行く街の景色を眺めていた私は、無意識の内に下手くそな鼻歌を歌っていたらしい。
向かいの席に座るリーザに、クスクスと笑われてしまった。
「だって、私が提案した商品を気に入っていただけたのよ。
嬉しいじゃない。
私、意外と商売に向いているのかも。職業婦人を目指すのもアリかもね」
小さな事であっても、誰かに必要とされたり、何かの役に立ったりする事は、生きて行く為の大切な原動力となる。
この世界にとって『異物』である私が、何の為にここに生まれたのかは、未だによく分からない。
或いは、最初から意味などないのかもしれない。
そんな私でも、もしも誰かの役に立てるのなら、ここに生きていても良いのだと、ほんの少しだけ思えるから。
「職業婦人だなんて、またそんな事を仰って……」
リーザが苦い顔をしたので、軽く肩をすくめて口を閉ざした。
家族もそうだがリーザも、まだ私に『幸せな結婚』をさせる事を諦めてくれないらしい。
ともあれ、この時迄はまだ、私の断罪回避は上手くいっていると思っていたのだ。
安穏な日々など、悪役令嬢には不似合いなのだと思い知らされるのは、その翌日になってからだった。




