53 彼女が我儘だから《プリシラ》
プリシラ・ウェブスターにとって、学園の入学式は、針の筵の様だった。
皆んなが遠巻きにプリシラを眺め、ヒソヒソ、クスクスと噂話に花を咲かせる。
品定めでもされているかの様な眼差しは、純朴な人達ばかりに囲まれて生きて来た彼女にとって、非常に大きなストレスとなった。
『周囲の見る目が変わる』
『自由に生きる事が出来ない』
ふと、魔力測定の時に言われた兄の言葉が頭をよぎる。
(お兄様の言っていた事が、少しだけ分かった気がするわ……)
それでも、もう後戻りは出来ない。
プリシラは、気を抜けば俯いてしまいそうになる視線を、意識して前に向けた。
長い式典を終え、皆が我先にと講堂から出ていく中、一人の男性がプリシラに声を掛けてきた。
「君が、プリシラ・ウェブスター嬢かい?」
振り向いたプリシラは息を呑んだ。
まるで絵本の中から抜け出してきた王子様みたいに美しい人が、淡い微笑みを浮かべてこちらを見ていたから。
───まあ、このすぐ後に、彼が本物の王子だと判明するのだが。
「あ、えっと……は、はい……。そう、です」
名を問われたのだから、肯定すれば良いだけだったのに、緊張のあまりしどろもどろになってしまった。
(田舎者だと思われたかしら?
どうしよう、恥ずかしいわ……)
熱が上がった頬をさりげなく手で隠し、少し俯いた。
呆れられてしまったかもというプリシラの心配を他所に、男性はポツリと呟く。
「可愛いな……」
「えっ?」
「あ、いや、何でもない」
フッと視線を逸らした彼の耳が、少しだけ赤くなっているのに気付いて、プリシラの心臓はドキドキと早鐘を打った。
今思えば、この時プリシラは恋に落ちたのだ。
孤立無援の状態にある中で、唯一優しく声を掛けてくれた見目麗しい男性に心が動くのは当然であろう。
だが、それが叶わぬ恋なのだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
男性の正体はクリスティアン第二王子。
男爵令嬢のプリシラとは身分が違い過ぎるし、何より彼にはベアトリス・アディンセルという完璧な婚約者がいたのだから。
「後ろ盾、ですか? 私に?」
入学から数日後。
学園長室に呼ばれたプリシラが、部屋の主から告げられたのは、思いもよらない提案だった。
「教会側からの要請でね。
聖女候補である君の安全を確保するための措置だ。
規定では、王族以外の生徒が学園内で護衛を侍らせる事が禁止されている。
そこで、権力を持つ生徒と仲良くなってもらう事で、君の存在を良く思っていない他の生徒達の攻撃から、君を守るのが最善だろうという話だ」
「……はぁ、それはどうも」
たかが男爵令嬢である自分を守る為に、権力者の力を借りる。
なんとも大袈裟な事態に、軽い目眩を覚えた。
もう普通の男爵令嬢としての生活は出来ないのだと、改めて実感させられる。
確かに、他生徒から剣呑な眼差しを感じる事は多々あったし、中には嫌味とも取れる発言をする者がいたのも事実だ。
今の所、物理攻撃には遭っていないけど、それも時間の問題かもしれない。
だからといって、規定を変更してまで護衛をつければ余計に反発を産むのは自明の理である。
(それで、誰かに庇護してもらうのか……)
「本当ならば、同じクラスの女子生徒にお願いするのが望ましいのだが……」
学園長の言葉に、ピクッと微かに肩が跳ねたのは、前述の『嫌味を言ってくる生徒』が、まさに同じクラスにいる伯爵令嬢だったから。
「……残念ながら、適任者が居なくてね」
頭に思い浮かべた人物の名前が出なかった事に、プリシラは密かにホッと息を吐いた。
だが、続く学園長の言葉に、彼女は何とも複雑な気持ちになる。
「仕方がないので、クリスティアン殿下にお願いする事になった。
男子生徒だけでは色々と問題があるから、彼の婚約者のベアトリス・アディンセル嬢と二人で、君の保護役となってもらう」
「ご婚約者様と、二人で……」
後日、学園長から紹介されたベアトリスは、噂通りの完璧な令嬢だった。
人形の様に整った顔立ちと、真っ白な肌。
手足はスラリと長く、羨ましい位にたわわな胸に細い腰。
普通ならば華やか過ぎる真っ赤な髪も、彼女にはとても良く似合っていた。
気高い彼女は、勿論、同じクラスの伯爵令嬢とは違って、プリシラに嫌味を言ったりはしない。
ただ───、
口元には絶えず微かな笑みが浮かんでいるにも拘らず、黒曜石の瞳はいつも冷ややかな光を放っていた。
そして口調は事務的で、言っている内容は優しいのに、人間らしい温かみが感じられない。
プリシラはベアトリスと居ると、どうしても居心地の悪い気分になった。
プリシラのベアトリスに対する人物評は、半分は客観的な事実だったが、もう半分は思い込みによる物だった。
ベアトリスの婚約者であるクリスティアンに恋をしているプリシラは、無意識の内に罪悪感を抱いていた。
そのせいで、彼女の認知には歪みが生じているのだ。
しかし、プリシラ自身はその事に気付いていない。
やがて、クリスティアンはプリシラがベアトリスに対して萎縮している様子を見咎め、度々ベアトリスに苦言を呈する様になる。
それにより、ベアトリスがアッサリと保護役を降りた時、プリシラは正直ホッとした。
二人きりで行動する事が増えてくると、クリスティアンの口からは、折に触れてベアトリスの愚痴が零れる様になる。
曰く、『仕事は出来るが冷たい性格で、一緒にいると息が詰まる』。
性格の合わない婚約者と結婚しなければならないクリスティアンを憐れに感じたプリシラは、せめて学生でいる間だけでも、一緒に楽しい事を沢山経験出来ればと思った。
だが、クリスティアンは第二王子としての執務に忙しく、自由に使える時間が少なかった。
どうやら最側近になると目されていたヘーゼルダイン公爵令息が、側近候補を降りた事が原因らしい。
彼が候補を降りたのは、懇意にしているエヴァレット伯爵令嬢が悪影響を与えたせいだと聞いた。
一度、公爵令息本人にそれを指摘したのだが、当のエヴァレット伯爵令嬢が隣にいたせいか、全く話を聞いてもらえなかった。
(なんとか二人を引き離す事が出来れば……)
そんな中、とある人物から有益な情報が齎された。
「エヴァレット伯爵令嬢には、かつてとても仲の良い婚約者が居たのですよ。
でも、彼女が不幸な事故によって顔に傷を負ったせいで、二人は泣く泣く別れる事になってしまったそうです」
「まあ、そんな事が……? お可哀想に。
でも、じゃあ、その元婚約者と縒りを戻す事ができれば……」
「そうですね。
再婚約が結ばれれば、他の異性……つまりアイザック・ヘーゼルダイン公爵令息との交流は、自然と少なくなるでしょう」
だから、クリスティアンに相談して、クレイグ・ボルトンとの仲を取り持ってあげたのに───。
オフィーリアは拗ねているのか、それとも照れているのか、あまり良い反応を示さなかったみたいだ。
因みに、それを相談した時のプリシラとクリスティアンの会話を聞いていた側近候補達は、そんな暇あるなら書類の一枚でも処理しろよ! と苛立っていたのだが、我が道を行く二人がそれに気付くはずもない。
久し振りに魔法のテキストを開いていたプリシラだったが、オフィーリアの件が気になってしまい、全く集中出来ずにいた。
(エヴァレット伯爵令嬢が素直になって元婚約者を受け入れれば、皆んなが幸せになれるというのに……。
本当に、《《我儘なんだから》》)
最近は何もかもが上手く行かない。
私物が失くなったり、壊されたり、机に紙屑が詰められたりという軽微な嫌がらせも始まっており、プリシラの心を暗く沈ませた。
学園側に相談したが犯人はまだ判明していない。
憐れな孤児院の子供達の為に行っていた慈善活動も、何故かクリスティアンを介して王太子殿下からのストップがかかってしまった。
(『無闇に贅沢させちゃいけない』ですって。
意味が分からないわ。孤児はお菓子を食べちゃいけないの? そんなの可哀想じゃない!)
子供の頃に母がしてくれた様に、バターや卵を贅沢に使った美味しいお菓子を食べさせたかっただけなのに。
(意味が分からないけど……、王太子殿下のご命令なら、きっと仕方がないのよね。
それと、エヴァレット伯爵令嬢については、また《《あの人》》に相談してみようかな)
彼女は溜息をつきながらテキストを閉じて、ソッと席を立つ。
あの押し花の栞は、半月前と同じページに、ずっと挟まったまま。




