147 巻き込まれる運命
「アイザックも、捜索や捕縛に立ち会うのですか?」
少し心配になってしまい、つい握った手に力が入る。
捕縛については王宮騎士が行うのだと思うが、現場に赴くのであれば、危険がないとも限らない。
そんな心中を察したのか、アイザックは私の髪を優しく撫でた。
「サディアス殿下は中央教会の方へ行くけど、僕は療養施設の方の捜索に立ち会う予定だ。
事情を知らない職員が多いから、そんなに危険は無いと思うよ。
でも、多分今日の帰りは迎えに行けないから、エヴァレット家の馬車を出す様に手配しておいた」
「私の事はお気になさらず。
そんな事よりも、無茶はなさらないでくださいね」
「僕は君の方が心配だよ。
絶対に、危険には近付かないで」
そう言った彼は、ゆったりとした動作で私の額に口付けを落とした。
それは、まるで大切な人の無事を願う、神聖な儀式みたいで───。
今日ばかりは、向かい側の席に座る侍従さんの生温かい眼差しも、全く気にはならなかった。
登校した私は教室へと足を向ける。
廊下ですれ違う生徒達の話題は、専ら間近に控えている夏季休暇の過ごし方であった。
学園内には普段と変わらぬ日常が流れているのに、私の心だけは日常と乖離していてソワソワと落ち着かない。
なんだか自分がこの場にいてはならない異質な物にでもなってしまった様な心地であった。
それは、自分が転生者であり、この世界がゲームと酷似しているのだと気付いた頃の、忘れかけていた疎外感を思い起こさせ、余計に私の心を騒めかせた。
教室へ入ると、既に登校していたベアトリスは自席に着いていた。
「ベアトリス様、」
声を潜めて名を呼ぶと、彼女は小さく首を横に振る。
きっと彼女も宰相閣下から話を聞いているのだろう。
『普段通りに』というベアトリスの無言の指示を察した私は、何気無い風を装って彼女の隣の席に座り、当たり障りの無い話題を口にした。
「夏季休暇の予定は、もうお決まりになりました?」
「領地に混乱が残っているから、メイナードと一緒に行って来ようかと思って。
ほら、お父様はあまり王都を離れられないから」
「でも、思ったより早く感染拡大が終息しそうで良かったですね。
ご婚約者様も、まだアディンセル侯爵領にいらっしゃるのでしょう?」
「ええ。
まだ暫くは後処理を手伝ってくださるらしくて。久し振りにお会い出来そうよ」
そう言ったベアトリスは、仄かに頬を染めて幸せそうに微笑んだ。
それが起こったのは、一限目の授業の最中であった。
廊下の方が明らかに騒がしくなり、教室内にも動揺が広がる。
「何? 何かあったの?」
「なんか、叫び声が聞こえるぞ」
数人の生徒が立ち上がり、座ったままの生徒もキョロキョロとしている。
訝し気な顔をした教師は様子を確認しようと扉を開けた途端、「ゲホッ、コホッ!」と口元を手で覆って咳き込んだ。
目や鼻などの粘膜が、微かにピリピリと痛む。
(なんか空気が辛い気がする。もしかして、催涙系の何か?)
私は咄嗟に換気をしようと窓際へ向かった。
嫌な予感がした。
リンメル先生が、例えば唐辛子みたいな催涙効果がある素材を扱っている時に、騎士が踏み込んだのだとしたら……。
悪役令嬢の私は、どうしても事件に巻き込まれてしまう運命でも背負っているのだろうか?
そんな事を考えている間にも、バタバタと忙しない複数の足音と、「逃げるな」「捕まえろ!」などの怒鳴り声が近付いて来る。
入り口に立つ教師がドンッと押し退けられ、姿を現したのは、やはりリンメル先生だった。
調薬の時に使う物なのだろうか? ゴーグルみたいな眼鏡とマスクを着用している。
彼は教室の最前列に座るベアトリスを視界に捉えた。
(まずい)
そう思うと同時に、勝手に足が動いていた。
「オフィーリア様っっ!?」
いつの間にか隣に出現していた制服姿のユーニスが、悲鳴の様な声で私を引き留める。
分かっている。
いくら護衛が優秀でも、警護対象が無謀な行動をしたら守り切れないって事くらいは。
それでも、じっとしていられなかったのだ。
リンメル先生とベアトリスの間に立ち塞がると、彼は迷わず私へとターゲットを変更した。
背後から抱き締める様に肩の辺りを拘束し、片手に持った小さな注射器を、私の首筋に突き付ける。
(ひぃっっ!! 何が入ってるのよ!?)
キャーーッとか、ウワァッとか、複数の悲鳴やら叫び声やらが響き、教室に居た生徒達が蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した。
ベアトリスとユーニスだけは、私に手を伸ばそうとしてくれたけど、リンメル先生の「退がれ」の声にピタリと動きを止め、少しずつ後退る。
リンメル先生は私を抱えたまま、ジリジリと窓際へ向かう。
三年Aクラスの教室は一階にあるので、窓から逃げようとしているのかも。
鼻水と涙を流した王宮騎士や、騒ぎを聞きつけた騎士科の生徒が教室に入って来たけど、私を人質にした先生に「動くな」と命じられれば、それ以上無闇に近付く事など出来ない。
入り口付近に固まる騎士達を警戒しながら、後ろ向きにゆっくりと動いていた先生は、どうやら机に行く手を阻まれたらしい。
ほんの一瞬注意が逸れた隙に、私は素早く腰の短剣を引き抜き、先生の太腿に振り下ろした。
ザクッと肉を突き刺す嫌な感触が手に伝わってくる。
「ぐあっっ!!」
呻き声が上がり、拘束が少し弱まったのを見て取ったユーニスが、私の手を強く引っ張り腕の中に囲い込んだ。
その瞬間、
───ドゴッ!!
派手な音が響き、そこに居たはずのリンメル先生が吹っ飛んだ。
死角から忍び寄っていたニコラスが、リンメル先生の腹に強烈な蹴りをお見舞いしたのだ。
蹴り飛ばされたリンメル先生は、床に崩れ落ちたまま動かなくなった。
まさか、ニコラスに助けられるとは思わなかった。
「オフィーリア様、ご無事ですか!?」
「オフィーリア!!」
今頃になって震えが止まらなくなった私の体を、ユーニスとベアトリスが泣きそうな顔で摩り続ける。
力が抜けた手の中から血塗れの短剣が滑り落ち、カシャンと小さな音を立てた。
床に転がっていた注射器の中身は、最初から空だった様だ。
リンメル先生は、捕縛の気配を感じて事前に逃亡準備をしていた訳ではなく、手近にあった脅しに使えそうな物を咄嗟に手に取って逃げただけなのだろう。




