121 婚約者の上司
大勢の招待客が集まる広いホールは静まり返り、壇上に登ったヘーゼルダイン公爵の挨拶だけが朗々と響く。
私とアイザックは会場へ続く扉の外で、それを聞いていた。
「本日お集まり頂いた皆様に、嬉しいお知らせがございます。
既にご存知の方もいらっしゃるでしょうが、この度、私共の嫡男であるアイザックの婚約が目出たく成立いたしました。
お相手はエヴァレット伯爵家のオフィーリア嬢です。
若い二人の門出を共に祝福して頂ければ幸いです」
公爵の言葉に割れんばかりの拍手が巻き起こる。
「さあ、行こうか」
「ええ」
壊れ物を扱うみたいに丁寧なエスコートを受けながら、会場に足を踏み入れた。
壇上にアイザックと並んで立ち、招待客に向かって礼をすると、拍手が更に大きくなる。
お母様と公爵家の皆様は満面の笑みだが、お父様とジョエルはちょっと目元が赤い。
まだ婚約段階でそんなに淋しそうにされると、結婚する時にはどうなってしまうのだろうかと少し心配だ。
会場を見渡すと、ベアトリスとメイナードは勿論、ニコラスやハリエット、他にも大勢の友人達の姿が見えて、胸が一杯になった。
隣のアイザックを見上げると、彼もこちらに視線を向けて幸せそうに微笑む。
今日のアイザックの装いは、私とは反対に紫色の生地に水色の刺繍が施された礼服だ。
お互いの色を使った揃いの衣装で並んでいれば、どう見ても仲の良い婚約者同士にしか見えないだろう。
そんなペアルックの効果が出ているのか、招待客達が纏う空気は思ったよりも温かい。
今回のパーティーには、クリスティアンやプリシラを支持していた貴族家は招待されていないので、トラブルが起こる確率は低いだろう。
しかし、やはり次期公爵夫人の立場を狙っていた人は多いみたい。
年若いご令嬢からは、たまに刺す様な眼差しを感じる。
アイザックもそれに気付いたのか、一瞬だけそちらへ冷ややかな視線を向けると、私の背中を優しく撫でた。
「あんなのは気にしなくて良い。
オフィーリアの美しさに嫉妬しているだけなんだから」
いつもなら、ただの社交辞令としか思えずに苦笑いを返す場面だが、凄腕の侍女達に磨かれたのだから、あながち間違ってはいないかもしれないと思えた。
「今日だけは、そう思う事にします」
微笑みを浮かべながらそう答えると、水色の瞳が柔らかく細められた。
自分に自信がつくと、自然と背筋が伸びて表情も明るくなる。
『美しさは女性にとって武器であり、盾でもある』
エイダの言葉の意味を噛み締め、私に武器を授けてくれた彼女達に深い感謝の念を抱いた。
「婚約おめでとう。
オフィーリア、とっても綺麗だわ」
メイナードにエスコートされたベアトリスが私達に歩み寄り、祝いの言葉を掛けてくれる。
「ありがとうございます」
「アイザックは、ちょっと顔が緩み過ぎね」
揶揄われたアイザックは、微かに眉根を寄せた。
その時、急に会場の入り口付近が騒がしくなる。
何が起きたのかと訝しく思ったが、その原因は直ぐに判明した。
自然に人波が割れて、姿を現したのはサディアス殿下だったのだ。
私達の前で立ち止まった殿下に、アイザックは苦虫を噛み潰した様な顔をしながらも臣下の礼をとる。
私もそれに倣った。
「堅苦しい挨拶は要らないよ。二人とも顔を上げて」
その言葉を受けて姿勢を戻すと、ニッコリと笑い掛けられた。
初めて間近で対面したサディアス殿下は、思ったよりも線が細く、少し垂れ気味の赤い瞳からは優しそうな印象を受ける。
アイザックが言っていたみたいな冷酷さは微塵も感じられないが、もしかしたら、その容姿を利用して相手を油断させるのが殿下の作戦なのかもしれない。
「どうして此処へ?」
冷ややかな声で問うアイザック。
「祝いに来たに決まってるじゃないか。
招待してくれただろう?」
「常識的に考えると、上司を招待しない訳にはいかないですからね。
ですが、出席のお返事は頂いておりませんでしたし、お忙しい殿下がいらして下さるとは夢にも思っておりませんでした」
社交の笑みを浮かべながら吐き出されたアイザックの言葉を意訳すると、『義理で招待しただけだ。こんな所に来てる暇があったら仕事しろ』って感じかな?
「だってアイザックをメロメロにしているのがどんなご令嬢なのか、気になるじゃないか」
結構失礼な事を言われているのに、サディアス殿下は楽しそうに微笑んだまま。
思っていた以上に二人は親しいのかもしれない。
臣下であるアイザックの不敬とも取れる態度を許してしまえば、周囲で見ている者達にも侮られてしまうのではないかと思うけど……。
やっぱりサディアス殿下は、態とご自身を『御し易い人間』に見える様に演出しているのかな。
「僕達の事は気にしないで下さい」
にべもなく切り捨てたアイザックに、サディアス殿下の笑みが苦笑いに変わる。
「紹介もしてくれないなんて、心が狭いな」
「ならば伺いますが、サディアス殿下は、もしも妃殿下に興味を持った男性がいたらどうなさいますか?」
「そうだな……。
取り敢えず、ぶん殴って記憶を飛ばすかな」
妃殿下を溺愛してるって噂は聞いていたけど、なかなか強いヤンデレ臭がするわね。
「僕も今、同じ気持ちです」
いくら気心が知れた間柄でも、王太子をぶん殴っちゃダメよ。我慢して!
「成る程。
だが、心配するな。私は君の婚約者に女性としての興味を持っている訳じゃない」
「それでも出来るだけ近付かないで頂きたいですね」
「埒が明かないから、自己紹介してもらえる?」
痺れを切らしたサディアス殿下に促され、私は口を開いた。
「この度、アイザック様と婚約をさせて頂きました、エヴァレット伯爵家が長女、オフィーリアと申します」
「よろしく、エヴァレット嬢。
アイザックの事は子供の頃から良く知っているが、まさかこんなに嫉妬深いとは思わなかった」
呆れ気味に笑うサディアス殿下に、曖昧な微笑みを返す。
多分アイザックは、予知夢の件などもあるから殿下と私の接触を警戒しているのだ。
単純な嫉妬などではない……と、思った瞬間、アイザックに強く腰を抱き寄せられた。
んーー、やっぱり嫉妬かも。
「殿下、そろそろ戻りませんと……」
サディアス殿下の斜め後ろに控えていた側近らしき人物がそっと耳打ちすると、殿下は小さく頷いた。
「名残惜しいけど時間切れみたいだ。
またね、エヴァレット嬢」
ヒラリと手を振り踵を返すサディアス殿下を見送り、ホッと息を吐き出す。
どうやら自分で思っていたよりも、緊張していたみたいだ。




