122 恋の予感は突然に《アイザック》
サディアス殿下が立ち去った後。
近くで気配を殺していたベアトリスが、再び本日の主役である二人のもとへと戻って来た。
「ねぇ、流石にさっきのはサディアス殿下を雑に扱い過ぎじゃないかしら?
いくらオフィーリアの事が大好きだからって、あんなにあからさまに威嚇しなくても……」
呆れ顔でアイザックを窘めるベアトリス。
その後半の言葉に照れたのか、オフィーリアがほんのりと頬を朱に染めた。
(僕がオフィーリアを大好きだって事は、既に良く知ってるはずなのにね)
可愛らしい反応を見せてくれた婚約者の髪を撫でると、大きなアメジストの瞳がアイザックへ向けられる。
(あー、このまま寝室に連れ去りたいなぁ……)
「ちょっと!
注意されているそばから、甘ったるい空気を振り撒かないでちょうだい」
妄想の海に旅立とうとしていたアイザックは、ベアトリスの声で急激に現実へと引き戻された。
「煩いなぁ。
ベアトリスこそ、逃げただろ?」
捕まるとちょっと面倒な相手であるサディアスの登場に、いち早く存在感を消して他の招待客に紛れやがった幼馴染に、アイザックは胡乱な視線を向ける。
「さあ? 何の事かしら?」
素知らぬ顔で、スッと目を逸らしたベアトリスだが、何かに視線を奪われてピタリと動きを止めた。
(何だ?)
気になって彼女が凝視している先を辿ると、そこにはある人物の姿があった。
淑女教育の賜物でベアトリスの表情はあまり変わらないが、瞳が少し潤んで仄かな熱を帯びている様に見える。
(ふーん、成る程ね)
アイザックは彼女の気持ちを正確に把握した。
オフィーリアも同じ結論に達したらしく、アイザックへと意味ありげな視線を投げてくる。
(自分の事には鈍い癖に、他人の事には意外と敏感なんだな)
初めて知った婚約者の一面に、心の中で苦笑しながら小さな頷きを返すと、オフィーリアはパァッと瞳を輝かせた。
アイザックとオフィーリアは今、友人が恋に落ちる瞬間を目撃したのだ。
そして、ベアトリスをエスコートしているメイナードもまた、二人と同じ様に姉の想いを察したらしい。
彼は軽くかぶりを振って溜息をつくと、石像みたいに動かなくなってしまった姉の肩をポンと叩いた。
「……姉上」
その呼び掛けにハッと我に返った様子のベアトリス。
次の瞬間、彼女の顔は一気に真っ赤になった。
「……この会場、なんだか暑いわよね。
ちょっと風に当たって来るわ」
上気した頬を両手で隠し、謎の言い訳を残したベアトリスは、バルコニーの方へと足早に去ってしまった。
姉を心配したメイナードはアイザック達にペコリと頭を下げて短く辞去の挨拶をすると、慌てて彼女の後を追う。
まあ、ヘーゼルダイン家のパーティーで、馬鹿な事をやらかす輩は居ないとは思うが、多くの人が集まる場で若い令嬢を一人にするのは、あまり好ましくない。
「先程ベアトリス様がご覧になっていた方は、どなたなんですか?」
去り行くアディンセル姉弟の後ろ姿を見送りながら、オフィーリアはアイザックに聞いた。
その人物はあまり社交の場に顔を出さないから、面識が無くても当然である。
おそらくベアトリスも、子供の頃に会った事があるかもしれない程度だったのだろう。
「ん? 彼はね……」
その名を耳打ちしてやると、オフィーリアは「ああ」と頷いた。
「私も間接的にお世話になった方だったのですね」
「いや、逆にお世話した方だろ」
アイザックの言葉に照れ笑いを浮かべたオフィーリアは、ふと真面目な顔になってポツリと呟く。
「残念ながら、ニコラス様は完全に失恋ですかねぇ……」
彼女の眼差しは、少し離れた場所で友人達と談笑しているニコラスを捉えていた。
いや、『談笑』と呼ぶには些かニコラスの表情が乏し過ぎるかもしれない。
「あー……、まあ、ニコラスはベアトリスのタイプじゃないみたいだから、仕方ないよね」
「ですね」
婚約破棄を祝う為に集まった際、女性陣が盛り上がっていた恋バナの中で、ベアトリスは自身の理想の男性について語っていた。
曰く、『強くて、頼り甲斐があって、包容力がある男性が好み』なのだそうだ。
ずっと婚約者の尻拭いに奔走する日々に耐えてきたベアトリスは、逆に自分をフォローして甘やかしてくれる大人の男性を求めていたのかもしれない。
『強い』に関してはニコラスも楽々条件をクリアしているけれど、その他の部分が全く駄目だ。
辛うじて『頼り甲斐』については、物理的に守るという意味ならば当て嵌まるかもしれないが、おそらくベアトリスが求めているのはそれじゃないと思う。
一方、先程ベアトリスが熱視線を送っていた人物は……。
物理的にも強いし、落ち着いた大人の男性である。
妻や婚約者はいない。
家格のバランスも丁度良いし、敵対する派閥でもない。
少し年齢は離れているが、貴族同士の婚姻では親子ほど歳が離れた組み合わせも珍しくないのだから、それに比べれば全く問題無いだろう。
「まあ、相手の気持ちも大事だが、ベアトリスが望むのなら、この組み合わせは意外と悪くないかもしれないな」
アイザックとて、友人の一人であるニコラスの恋を応援する気持ちがない訳ではないが、同じ様にベアトリスを応援する気持ちもあるのだ。
しかし、アイザックが一番に関心を寄せている相手は、いつだってオフィーリアである。
そんな彼にとって、愛する彼女が未だに心配そうな顔でニコラスを見詰めている今の状況は、非常に面白くない。
「さぁ、ベアトリスの話はこれくらいにして、そろそろ僕の事だけを考えてくれないか?
今日は僕達の記念すべき日なんだから」
「フフッ。そうでしたね」
拗ねた様な台詞を吐くアイザックを見上げて、オフィーリアは楽しそうに笑った。




