118 香りの出所
まあ、薄ぼんやりとした効果しかなかった事を喜ぶべきなのかもしれないわよね。
『嗅いだ人間が皆んな強い力で操られてしまう』みたいな効果だったら対応が非常に難しくなるだろうから。
「落ち込みの激しい患者に対して処方されるらしいですね。
気鬱が緩和された事によって、お香を提供してくれた相手に好感を覚える場合もあるみたいですが……。
どちらにせよ、劇的な効果が出る物ではなく、意志の強い人間には効かないそうです」
ユーニスの説明を聞きながら、攻略対象達とお香の効能について考察する。
『自己肯定感を高める』お香。
アイザックは勿論、ニコラスにも必要なさそうな気がする。
言い方は悪いけど、ニコラスはあまり物事を深く考えないタイプだから。
となると、ニコラスから香りがしたのは、誰かからの移り香なのか、それとも香を焚く場に同席していたのか……。
それに対して、心に闇を抱えている設定のリンメル先生なら常用していてもおかしくない。
そして、その程度の効能のお香でも、使い方によっては心理的に支配する事が出来るかも。
クリスティアンは、一見すると根拠の無い自信に満ちている様に見えるが、意外と拗らせているし、使わないとも限らない。
「このお香は、ウチの国でも合法なのかしら?」
「違法薬物には指定されておりません」
「輸入はされているの?」
「本格的な輸入はされていない様ですが、個人的に取り寄せている人はいるみたいですね。
でも自分や家族に使う為に取り寄せている場合が殆どなので、市場には出回っていないと思いますよ。
ただ、原料はこの国でも簡単に入手出来る物ばかりなので、器具とレシピさえあれば調合する事も可能だと思います」
「うーん、それだと入手経路から使用者を特定するのは難しいわよね……」
「ええ、残念ですが。
取り敢えず、サンプルとして一回分を入手したのでお渡ししておきますね。
このままの状態でも香りはしますが、焚かなければ効果は殆どないとの事です」
小さな皮袋に入ったサンプルをユーニスから受け取り、袋の口を縛っていた紐を解いて香りを嗅いでみる。
仄かに蜂蜜とシナモンの美味しそうな香りがした。
「如何ですか?」
「うん、多分これで間違い無いと思う。
ありがとう。助かったわ」
「お役に立てて光栄です。
では、私はこれで失礼しますね」
深々と礼をして、部屋を出て行くユーニスを見送り、その後少し遅い時間まで報告書を読み耽った。
そして、今朝。
私はアイザックやベアトリスに、このお香について心当たりが無いか訊ねようと考えて、サンプルを持って登校したのだ。
「それは何?」
アイザックは私がポケットから取り出した小さな皮袋を、キョトンとした表情で見詰める。
「中に入っているのはお香なんですが、ちょっと嗅いでみてもらえません?」
「良いけど」
頷いてくれたので、袋の口紐を解いて手渡す。
スンと中の匂いを嗅いだアイザックは、微かに眉根を寄せた。
「この匂い……」
「何処かで嗅いだ事がありますか?
先日の『紅葉を愛でる会』の時に、クリスティアン殿下からもコレに似た匂いがしたのですが……」
「いや、僕はそれには気付かなかったが、何となく覚えが…………」
まあ、あの時クリスティアンから感じたのは、本当に微かな香りだったから……。
いや、だけど、さっきは私が持ってる皮袋の中のお香の匂いにも気付いたわよね?
私の匂いの変化だけ敏感に察知するって、どんな特殊能力なの? ちょっと怖い!
まあ、その件については後で考えるとして……。
他のシチュエーションで嗅いだ記憶があるのなら、是非とも思い出して頂きたい。
渋面を作って考え込んでしまったアイザックが次の言葉を発してくれるのを固唾を飲んで待っていると、彼は急に「あっ!!」と大きな声を上げた。
「びっくりしたぁ……。
何か思い出しました?」
「ああ、ちょっと……。詳しい事は帰りの馬車で話すよ」
アイザックは険しい顔のままで、そう言った。
人に聞かれるとまずいのだろうか?
思ったよりも深刻な話なのかもしれない。
「分かりました」
「それで、このお香は一体何なの?」
「自己肯定感を高める効能があって、他国では精神的な病の患者に処方される物らしいのです」
「そう。自己肯定感、か……。
で、どうしてそれを僕に嗅がせたの?」
「この国では殆ど流通していない物なのに、以前クリスティアン殿下やニコラス様からこれと同じ匂いがしたので、どこで入手したのかと気になりまして……」
私のその言葉を聞いて、アイザックが不機嫌そうに目を眇める。
「ふーーーん。
他の男の香りを気にするって、なんか面白くないけど……まぁ、良いや。
今日は昼食時にニコラスも合流するって言ってたから、本人に聞いてみたら良いんじゃないかな?」
「あ、そうでしたね」
ごめん、すっかり忘れてたよ。ニコラスの存在。
『婚約破棄を祝う会』以降、宣言通りにニコラスとベアトリスは友人に戻った。
毎日ではないが、私達のグループと昼食を一緒にとる事もあるし、最近では私とも世間話程度の会話をしてくれる様になった。
言葉が足りなくて無表情なのは相変わらずだけど。
そんな風に、現在は以前と違って険悪な関係ではないのだから、やっぱり本人に確かめるのが一番だよね。
昼食後に話があると予め宣言しておいたので、食事が終わると自然に皆んなでカフェテリアへ移動する流れとなった。
「それで、どんな話なのかしら?」
テーブルを挟んで私の向かいの席に着き、コテンと首を傾げるベアトリス。
彼女の両サイドには『出来の良い弟』と『出来の悪い弟もどき』がそれぞれ座っている。
ゲームの中では険悪な仲だった攻略対象に挟まれて、ニコニコしているベアトリスの姿は、何度見てもとても温かな気持ちになる。
「オフィーリア?」
全然関係ない事を考えてしまっていた私は、ベアトリスの呼び掛けでハッと我に返った。
「あぁ、済みません。
実は、とあるお香の出所を探しておりまして。
ちょっと皆さんにこの袋の中身の匂いを嗅いでみて頂いて、何かお心当たりがあれば教えて欲しいのですが……」
「何だ、そんな事?
良いわよ。ちょっと貸してみて」
私から皮袋を受け取ったベアトリスは、袋の口に少し顔を寄せ、手の平でパタパタと風を起こしながら軽く息を吸い込んだ。
「んー、甘ったるい中にエキゾチックな香りが混じってるわね。
私は初めて嗅いだ香りだけど、なんだか美味しそう」
「どれどれ」とメイナードも鼻を近づけ、「ああ、確かに」と頷いた。
「メイナード様も覚えはありませんか?」
一応確認するが、彼は「残念ながら、ないですね」と答えた。
最後に本命であるニコラスの手に皮袋が渡る。
「ああ。これなら、以前俺も使用した事があるぞ」
有力な証言が得られるのではと期待していたが、まさかそんなに直接的に『使用した』と言われるとは思わなかった。
「どうして使用する事になったんですか?
どこで入手したのですっ!?」
矢継ぎ早に問うと、私の勢いに押されたのか、ニコラスが軽くのけ反った。
「学園の救護室で、処方されて……」
「オフィーリア、ちょっと冷静になって。
ニコラスが引いてる」
隣に座るアイザックが、宥める様にポンポンと背中を叩いてくれて、少し落ち着きを取り戻した。
「す、済みません。気が急いてしまって……。
それで、救護室で処方されたって事は、養護教諭の先生からですか?」
そう質問すると、ニコラスの口からは予期せぬ人物の名が飛び出した。
「いや、リンメル先生に処方された」
「……え?」




