117 香りの効果
※精神的な病に対して否定的な表現が出てきます。
架空の国の思想や文化を表す物で、その思想を肯定する意図はありません。
学園に向かう馬車の中。
私は今日もアイザックの膝の上に乗せられている。
彼は昨日も遅くまで仕事をしていたのだろうか?
目をシパシパと瞬かせて、ちょっと眠たそうに見える。
アイザックの頬に手を添えてこちらを向かせ、顔を覗き込む。
「ん? どうしたの、オフィーリア」
頬に添えた私の手に自分の手を重ねながら、優しく瞳を細めたアイザック。
その瞳の下には、薄らと隈が出来ていた。
「最近、お仕事お忙しいのですか?」
「んー、まあ、色々と」
言葉を濁したところを見ると、機密扱いの仕事を任されているのか……。
それとも、もしかしたらサディアス殿下の側近としての仕事だけでなく、私が襲われた件の調査とか、予知夢関連の対応とかもあって忙しいのかも。
「あの、やっぱり毎日送り迎えとかするのはやめませんか?
お疲れみたいなので、少しでも多く睡眠を取って頂きたいです」
「送り迎えはやめない。
それよりも、移動中にオフィーリアの膝枕で眠らせてくれたら、きっと元気になるんだけど」
「ひ、膝枕っ!?」
至近距離で妖艶に微笑むアイザックに、私の心臓がドクドクと煩く鳴り始める。
「そう。オフィーリアに触れていると安心するから、グッスリ眠れて疲れも取れそうな気がするんだ。
…………ダメ、かな?」
膝枕なんてやった事ないから恥ずかしいけど、そんなウルウルした瞳で見詰められたら、嫌だなんて言い難い。
「ゔ……、分かりました」
アイザックの膝から降りた私は、彼の隣に座り直し、自分の膝をポンポンと叩いた。
上機嫌で私の膝にポスンと頭を乗せるアイザック。
金色に輝く彼の髪を指で梳く様に撫でていると、余程疲れていたのか、直ぐに穏やかな寝息が聞こえ始める。
「お休みなさい。良い夢を」
そう呟くと、眠っているはずの彼が、ほんの少し微笑んだ気がした。
学園に到着した馬車が静かに停車する。
アイザックにゆっくり眠って欲しいと思っていたせいか、いつもより移動時間が短く感じられた。
折角熟睡しているのに起こすのは忍びないが、のんびりし過ぎると授業に遅れてしまう。
「アイザック、着きましたよ」
「ん……ぅん゛ん………」
小さく唸りながら目を擦り、ノソッと体を起こすアイザック。
ポヤンとした寝起きの顔は、いつもと違って可愛らしい。
「良く眠れましたか?」
「……うん。
やっぱりオフィーリアには、僕にだけ効く安眠効果があるみたい。
早く抱き締めて眠りたい」
「そーゆーのは、結婚するまでお預けです!」
「うん、分かってるよ。
……今一緒に寝たりしたら、色々我慢出来ないしね」
アイザックの呟きは小さ過ぎて、私の耳には届かなかった。
「え? なんて仰いました?」
「いや、何でもないよ」
そう言って綺麗な微笑みを浮かべながら、アイザックは私の髪をサラリと撫でた。
いつもの様にアイザックにエスコートされて馬車を降り、教室までの道を歩く。
さっきまで寝起きの顔だった彼は、もうすっかり貴公子然とした顔に戻っている。
切り替えが早い。
「オフィーリアはいつも良い匂いがするけど、今日は普段と違う甘い匂いが少しだけ混じっているね」
「ああ、コレのせいかもしれないですね」
私は制服のポケットから小さな皮袋を取り出した。
その中には、例のお香のサンプルが入っている。
皮袋に入れてあるので、殆ど匂いは漏れていないはずなのに、相変わらず警察犬並みの嗅覚だ。
昨夜、ユーニスが報告書とお香のサンプルを手に、私の部屋を訪れた。
「調査にお時間が掛かってしまい、申し訳ありません」
ユーニスの話によれば、蜂蜜とシナモンのお香を嗅いだ事があると言っていた人物が詳細を語りたがらなかったので、調査が難航したのだという。
確かに、ユーニスにしてはかなり時間が掛かった印象だ。
まあ、犯罪者から情報を聞き出すのならば強引な手段も使えるが、一般人の協力者が相手であれば、丁寧に説得するか取引を持ち掛けるしか方法がないのだから、手こずる事だってあるだろう。
問題のお香は、証言者である商家の跡取り息子が、心を病んだ母親の治療の為に訪れた他国の精神科病院で嗅いだ物らしい。
「ああ、だから詳細を話すのを渋っていたのね」
「その様です」
この国では精神的な問題は、病として認められていない。
理不尽な話だが、心を病むのは弱いからだとか、逃げているだけだと言われ、恥ずべき事とされているのだ。
それ故、ちゃんとした治療が出来る病院も、国内には存在しない。
心を病んだ者は、教会が運営する療養施設に入れられる場合が殆どだ。
勿論、そこでも治療らしい治療は行われていないのだろう。表向きは療養とされているが、体の良い隔離だ。
お金に余裕があれば、治療の為、秘密裏に国外へ赴く者もいると聞いた事がある。
一般的に『恥』とされている病に罹っている事を、他人に知られたくはないだろう。
評判が大切な商家のご夫人が患者ならば余計に。
前世の世界でも、古い時代には精神的な病への理解度が低かったと聞く。
こちらの世界の方が男尊女卑の思想も強いし、前世と比べて色々と遅れている部分があるのだろう。
そんな事を考えながら、私は報告書に目を通す。
「それで、お香の効果は……『自己肯定感を高める』??」
うーーーん……。
正直に言えば、『魅了』とか『精神支配』とか、もっと強い効果を想像していたのでちょっと拍子抜けだ。
でも思い返せばユーニスも、香りの正体がお香である可能性に言及した時に『薬に比べると効果が弱く、その代わり副作用も殆ど無い』と言っていたわね。




