第8話 魔族と会話して常識がアップデートされる
エンド・マークの街を出る朝、空は低く垂れ込めた灰色の雲に覆われていた。 湿った風が荒野の砂を巻き上げ、石造りの門の周囲には、どこか落ち着かない静けさが漂っている。 僕たちが馬車に乗り込もうとしたその時、背後から急ぎ足の靴音が響いた。
「ミサキ様、せめて、我々を連れて行ってください!」
振り返ると、王国の衛兵服を纏ったカエルとレオンが立っていた。 彼らはもともと王国から送り込まれた監視役だ。しかし、彼らの目的は監視ではなく、純粋に護衛である。この数年、ミサキが街の人々のために尽くしてきた姿をずっと見てきた彼らなりの誠意だった。
「あんたらの気持ちは嬉しいけどな、これから行くのは魔王領の境やで? 本当に死ぬかもしれへんねんで」
ミサキの突き放すような言葉に、カエルは静かに首を振った。
「分かっています。でも……あなたを守らせてください。あの日、あなたが俺の妹を助けてくれた恩、まだ返せておりませんから」
念の為、僕はアイに命じ、彼らの心拍数と微かな筋肉の震えを計測させた。嘘はない。
「……いいんじゃないかな、ミサキさん。信じてあげていいと思うよ」
ミサキは「あんた、お人好しやなぁ」と困ったように笑い、二人の同行を許した。 こうして僕とハル、ミサキ、そして二人の衛兵という奇妙な一行は、魔王領へと続く『死の森』へと足を踏み入れた。森の奥へ進むほど、空気は粘り気を帯びて重くなっていく。 マナの密度が不自然なほどに高い。木々の隙間からは、見たこともない色彩の苔が毒々しく発光していた。
ふと、ミサキさんが手元のスマホを見て眉をひそめた。
「なぁ、シンくん。これ、気付いたらバッテリー100%まで回復してるんよ……いよいよ壊れたんかな?」
僕はアイにその理由を尋ねた。
(スマホのバッテリー回路に直接干渉し、マスターの体を通して『魔力ー電力変換』を行ってみました)
なるほど。それは助かるが、本当の理由を説明するとアイの存在を明かす必要が出てくる。今それは避けたい。
「僕の加護みたいな能力の影響のようです。僕の近くにスマホがあると、勝手に充電されるみたいです」
「すごっ!! あんた、人間充電器かっ!」
ミサキさんが僕の肩あたりを手の甲で軽くて叩いた(後に『ツッコミ』という、関西人のマナーであることを知る)、その時だった。
「……っ、魔族だ!」
レオンが短い悲鳴を上げ、反射的に剣を抜いた。 茂みの奥から姿を現したのは、黒い皮膚を持つ小柄な魔族だった。そいつはただ、こちらを不思議そうに眺めているだけのように見える。僕の「レオンさん、落ち着いて!」という声は届かず、恐怖に駆られたレオンの剣が、魔族の肩を切り裂いた。
「キシャァァァァッ!!」
森の静寂が、怒りの絶叫に塗り替えられる。
(仕方ない、止めるか)
僕は一瞬で間に割り込み、魔族の胸元を掌で突いた。衝撃を一点に集中させ、相手の意識を飛ばす。魔族は地面に崩れ落ち、動かなくなった。
「……シン! まだ来るわ!」
ハルが杖を構え、上空を見上げた。空から駆けつけた仲間のようだ。 森の奥からも複数の気配が感じられる。助けを呼んだのか?
ハルが集中し、得意の重力魔法を編み上げる。
「重力圧壊!」
激しい魔力の波動が周囲を襲う……はずだった。 けれど、魔族たちはわずかに身を竦ませただけで、平然と羽ばたきを再開した。
「……嘘。効かないの?」
「ハル、下がって! ……魔族には魔法耐性があるのかもしれない。……」
僕は混乱した。僕の知る魔法学の常識が、ここでは通用しない。 僕は「武術スキル」を全身に適用し、襲いくる魔族たちを次々に気絶させていった。何とか凌げた。
その直後、そんな僕を嘲笑うかのように、「圧倒的な重圧」を放つ者が現れたのだ。
空気が凍りついた。 現れたのは、重厚な鎧を纏い、背中に巨大な二対の翼を持つ男だった。 その頭上には、漆黒の角。
(……計測不能な個体です。マスター、まともに戦闘した場合、生存確率は1パーセントを切ります)
アイの声が警告を告げる。
「……ハル。ミサキさんを連れて逃げて!……僕がここで食い止める。」
「シンっ! その魔族、何か話そうとしてる! 翻訳できない?」
魔族の男を見ると、確かに何か話しているようだ。
「………………、……………………?」
寺院の重厚な鐘の音のように響く声。だが、僕たちの言語と違うため理解できない。
(アイ、禁書の中に魔族の言語に関する文献があった気がするんだけど、それを使って自動翻訳する術式を生成できないかな?)
(できます! 今実施中です。準備できました。……急ぎでしたので間に合わせの術式となりますが、魔族と我々の間に張った翻訳用の結界を通すと、お互いの会話が自動翻訳して相手に伝わる術式です)
さすが優秀な相棒。先程までの鐘の音のような重低音が、突然、はっきりとした「意味」を伴って響いた。
『――おい、ちょっと待て。戦う気はないと言っているんだ。ダメか。やはり我々の言葉は通じないのか……』
思いもよらないセリフに僕は面食らってしまった。
「……え? 戦う気はない……んですか?」
『何?! 君は我々の言葉を理解できるだけでなく、そこまで流暢に話せるのか?そんな人間には初めて出会ったぞ。いや、この透明な魔力の壁の効果か? いや、その前に。いきなり我が同胞に斬りかかっておいて、挙句の果てに逃がそうだの食い止めるだの。どういう状況か説明してくれないか?』
会話が通じて良かった。悔しいが、戦っていたら確実に全滅していたと確信が持てる……。僕は、突然切りかかったことを詫び、このあたりに異世界と通じる歪みがあるかもしれないのでそれを探しに来た、と事情を説明した。魔族の男は納得してくれたようだ。
『なるほどな。確かにこの辺りの空間は歪みが強いからな。勇者と呼ばれる者たちが召喚されたのも、確かこの辺りだったな……」
ミサキがビクっと反応したのを感じた。
『最初に言っておくが、そもそも我々は他の種族と争うつもりはない。ただ、静かに暮らしたいだけだ。……だが、それを脅かそうと攻撃してくれば反撃はする。それが魔王様の命であり、我々魔族に共通する考えだ。せっかくなので、君たちが落ち着いたら魔王領へ訪問してくれないか?色々と話をしてみたい。……それと、そこにいるのはミサキ殿ではないか?』
ミサキは突然名前を呼ばれて背筋をピンと伸ばした。相当驚いたらしいが、そこはさすがの『関西人』である。ちゃんとやり返す。
「な、何で私の名前を知ってんねん。自分からきちんと名乗れへん男はモテへんで!」
ミサキの関西弁は彼にどう翻訳されて伝わっているのだろうか。
『確かに。これは失礼した。私は魔王軍幹部、オニキスという。やはりミサキ殿か。威勢がいいな。蓮たちから聞いてるぞ』
「な、なんで……蓮の名前を? あいつらは魔族に殺されて喰われたんと思うてた……」
『フハハハハハ! 我々は人間を取って喰ったりするような野蛮な種族ではない。彼らは魔族領で元気に過ごしている。安心してくれ。それと、君とそちらのエルフのお嬢さんの名前を尋ねても良いか?』
「僕はシン、彼女はハルです。オニキスさん。魔王領にお招きいただき感謝します。僕たちも色々とお話ししたいことがあるので、近いうちに伺わせていただきます。」
『シン殿とハル殿か。承知した。すまん、今日はもう時間がなくてな。では、また会えるのを楽しみにしている』
そう言い残すと、オニキスは他の魔族たちを従え魔王領へ飛び去っていった。
ハルが腰を抜かしながら呟く。
「どういうこと?魔族ってああいう感じなの?私、180度イメージが変わっちゃった……」
オニキスの話とミサキの証言に食い違いがあるので、僕は疑問をぶつけてみる。
「ミサキさん……他の勇者たちは目の前で殺されたって言ってたよね?」
「あん時も今日みたいに、魔族を見た蓮たちは先制攻撃を仕掛けたんや。そして、魔族の反撃を受けて重傷を負ったのをはっきりこの目で見た。その後は……魔族たちに連れ去られて……当然、魔族たちに喰い殺されたんやと思ってた……でも、生きてる……生きてるって言ってた……」
ミサキは一筋の涙を流した。蓮たちの無事を知り、安心して涙腺が緩んだようだ。
魔族は温厚な種族で、人類の敵ではない。会話が可能なら和平も望めるのかもしれない。僕の心に大きな希望が芽生えた。
先ほどのやり取りを見て、未だに驚きと興奮を隠せないカエルとレオンに僕は声をかけた。
「カエルさん、レオンさん。魔族は恐れるべき相手ではないのはお二人もご覧になられましたよね?王国の上層部の方にこの事実をお伝えいただけますか?王国の未来が大きく変わるかもしれない。」
二人も同じことを考えていたようで、大きく頷いてくれた。
その時、僕の頭の中の大魔導士がアイに呟いていた。
(アイよ、念の為、あの衛兵二人に監視の術式をかけておいてくれんか)
(ジーク様、なぜですか?)
(念のためじゃ)
(……畏まりました。)




