第6話 モブを蹴散らして旅をコンティニューする
王都を離れる馬車は、石畳を叩く馬の蹄の音と共に規則的なリズムで揺れていた。
視野の端、視覚を邪魔しない絶妙な位置に、アイが投影する「広域図」が浮かんでいた。そこには、数日前に僕がその手で解除したはずの、あの断崖の祠が記されている。
(……あれ? ジーク、あの結界、また復活してる。中身は空っぽのはずなのに)
僕が意識の中で呟くと、脳内の白い書庫、特等席のソファーで寛いでいた老人が、悪戯が成功した子供のような顔で笑った。
(ガハハ! 当たり前じゃ。あの場所は観光で食っておる者も多いからの。空っぽの祠に、ワシが前と同じ結界を張り直しておいてやったわい。中身は空じゃが、誰も気づくまい。むしろ、以前より少しだけ輝きを増しておいたぞ)
ジークの豪快な笑い声が、僕の脳内を心地よく揺らす。アイもそれに続いて、事務的ながらもどこか楽しそうな補足を入れた。
(マスター。ジーク様のあの術式を解ける者はこの世界に存在しません。たとえ中身が空っぽだとしても、人々はそこに「伝説」という名の幻想を見て、これまで通りお金を落とす。経済的な重要拠点という意味では、何も変わっておりません)
「……最強の壁に守られた空っぽの宝箱か。皮肉だけど、それがこの世界の『最適解』の一つの形なのかもしれないね」
僕は窓の外を流れる、整備された王都の街並みを眺めた。 美しく整えられた世界は、その裏で誰かが意図的、悪戯、或いは優しさで作り上げた、思いもよらない真実によって保たれているのかもしれない。その中の一つの真実に関わったことに、僕は少しだけ冷ややかな優越感を覚えていた。
そういえば、さっきからハルが疑いの目を僕に向けている。
「あのさ、シン。さっきのヴィンスとの戦い方なんだけど……。身体強化だけじゃ、あの動きは説明がつかないよね?何かやったでしょ!」
さすがハル。この学園随一の秀才エルフ様は何でもお見通しのようだ。
「バレた? アイの力を借りたんだ。例えば武術の文献とか、ジークがこれまでに対峙した格闘家や魔族との戦闘の記憶とか、あらゆる情報から体術のエッセンスを抽出して、僕の体に適用できるスキルセットとしてストックしてあって、さっきはそれを使ったんだ」
「え、そんなのアリ?! シンに勝てる人なんているの?」
「うーん、どうだろう。人間の中では一番かもしれない。他の種族だとどうかな……。でも僕は世界最強を目指してるわけじゃないし、僕にしかできないこともハルにしかできないこともあるから、これから協力してやっていこうよって話」
「ええー!なんかはぐらかされた気がするけど、そういう事にしておきます。」
(私にしかできないことか……)
ハルは、頼もしくなったシンへの想いが強くなるのと同時に、この旅における自分の役割は何か?を真剣に考え始めた。
/* ===== few hours ago ===== */
ハルを僕の『白い図書館』に招待し、 カフェを後にした僕たちの前に、その男は立ちはだかった。
「……待てよ、シン。どこへ行くつもりだ?」
ヴィンス。 学園での成績はハルに次ぐ第三位。魔力ゼロの僕を軽蔑し、僕がハルと仲が良いことを妬んでいるらしく、いちいち僕に突っかかってくる奴だ。
仕立ての良い上質な服を纏い、先端に大粒の魔宝石を埋め込んだ、明らかに値の張りそうな杖を携えている。その背後には、金に物を言わせて雇ったであろう、かなりの手練と見える二人の屈強な護衛が控えていた。典型的なお坊ちゃま。僕の苦手なタイプである。
「ヴィンス。……悪いけど、急いでいるんだ。道を開けてくれないかな」
「成績トップの二人が揃って退学だと? 冗談じゃない。お前のような、魔力の欠片もない寄生虫がハルを連れ回すのは見ていられないんだよ。……無理矢理にでも、彼女を連れ戻させてもらう」
ヴィンスが杖を構える。その先端に、高価な既製品の攻撃術式が急速に展開されようとしていた。
「ヴィンス、ちょっと落ち着けよ。僕が君に何をした?」
「前から気に食わなかったんだ。もう学園の生徒じゃないなら、僕に不敬を働いた民間人を処分したということにできる。目障りだから死んでくれ」
ここで殺されたとしたら、彼のいう通りの筋書きで処理されるのだろう。それも、後に世界の最適解の一つになるのか?というどうでも良い疑問が頭を過ぎる。でも、そんな裏表のストーリーは美しくない。それに、ここで返り討ちにしておかないと、お手本のような悪役モブキャラを演じてくれているヴィンスに申し訳ない。
僕の視界には、その術式の「構造」が、血管のように赤裸々に透けて見えている。 ヴィンスが全魔力を杖に込めようとしたその瞬間、僕は一瞬で距離を詰め、杖の魔力が集中する術式の『穴』を指先で弾いた。
溢れ出そうとしていた熱量は、行き場を失って霧のように消え去った。
「な……!? 不発だと?」
「構造上の欠陥だよ、ヴィンス。魔法が使えないなら、これでおしまいかな?」
「ふ、ふざけるな! 魔法がダメなら、力ずくだ! お前ら、やれ!」
ヴィンスの叫びに、二人の護衛が動いた。一人は無骨な剣を引き抜き、もう一人は逆手に持った短剣で僕の死角へと回り込む。プロの動き。挟み撃ちか。ハルが反射的に身構える。けれど、僕はそれを制するように彼女を背に隠した。
(近接戦の体術を読込み)
目を凝らすと、世界がスローモーションに切り替わった。 僕はわずか数センチ体をずらして剣を回避すると、吸い込まれるような動きで男の懐に入り込んだ。掌を相手の顎に添え、最短距離で衝撃を叩き込む。大男は声も出せず、糸の切れた人形のように石畳へ崩れ落ちた。
背後から迫る短剣使い。あらかじめ発動していた空間把握魔法により、彼の位置をミリ単位で特定している。僕は振り返ることなく、体重移動だけでその一撃をかわすと、後ろ回し蹴りを男の急所へと食い込ませた。男はあまりの痛みに泡を吹いて失神した。マナによって強化された一撃は無慈悲だったか……。でも、完全に僕を殺しに来たのだから、相応の報いは覚悟して欲しい。
一滴の汗もかかず、制圧完了。 かつては懸垂の一回もできなかった僕が、老練な格闘家のような動きを再現している。自分でも少し不気味になるほどの「チート感」だった。ヴィンスは恐怖のあまり腰を抜かしたらしい。
「……う、嘘だろ。本当に、あのシンなのか……」
「まあ、色々あってさ。……じゃあ僕はハルと旅に出るから、もう邪魔しないでね。バイバイ」
僕は、呆然と腰を抜かすヴィンスを一瞥し、別れの挨拶を済ませるとそのまま歩き出した。
/* ===== few days ago ===== */
馬車は数日の旅を終え、ついにその場所へと辿り着いた。 辺境の街、エンド・マーク。 そこは「王国の終点」と呼ぶにふさわしい、荒涼とした風景だった。かつては魔王領への遠征拠点として賑わったのだろうが、今の街を支配しているのは、潮風と砂埃、そして人々の諦念が入り混じった重苦しい沈黙だ。
石造りの建物はどれも灰色に汚れ、屋根の隙間からは雨漏りを防ぐための腐った布が垂れ下がっている。道ゆく人々の肩は落ち、その瞳には王都で見かけるような未来への期待は欠片もなかった。
「……ひどい。ここ、本当に王国の一部なの?」
馬車を降りたハルが、不安そうに周囲を見回した。 泥にまみれた子供たちが、異質な身なりの僕たちを遠巻きに眺めている。
「王国からはほぼ見放されているんだろうね。政治的に放置され続けた結果、スラム化してしまった街みたいだね……」
僕はアイから得た街の情報をハルに伝える。
(アイ。ミサキさんの居場所を特定できる?)
(マスター。この街には王国の監視術式が幾重にも張り巡らされています。直接的なスキャンは『検知』されるリスクが高いです。……まずは、聞き込みなど一般的な情報収集をお勧めします)
アイの冷静な助言に従い、僕たちは街の中へと歩みを進めた。 人々に聞き回るうち、僕たちは一つの奇妙な事実に気づく。この絶望的な空気の街で、ミサキという名が出た瞬間、住人たちの沈んだ瞳に微かな「温度」が宿るのだ。
「ああ、ミサキ姉ちゃんのこと? あの人は恩人なんだ。俺の親父の脚も、彼女が治してくれたんだ。あんなに明るくて、変な喋り方をする人は見たことないけどね」
「ミサキ様は……私たちの希望です。王国に捨てられた私たちを見捨てずにいてくれるのは、あの方だけですから」
ミサキ。 異世界から無理やり召喚され、仲間を失い、王国に裏切られた女性。 彼女は自分がこの世界の「異物」であることを誰よりも自覚している。けれど、元の世界に帰る道が閉ざされていることもまた、彼女は理解していた。 だからこそ、彼女はこの棄てられた街で、自分にできること——癒しの術と、持ち前の明るさ——を、実直に、泥臭く注ぎ続けていたのだ。
/* ===== few hours ago ===== */
街の北端、ひっそりと佇む古びた邸宅。
風に乗って、馴染みのない匂いが漂ってきた。 何かが焦げたような、香ばしく、どこか塩気を帯びた香り。
「……何、これ。シン、すごい匂い。パンの匂いとも違う、もっと濃厚で……お腹が空く匂い」
ハルが鼻をひくつかせた。 その匂いの発生源——扉の向こう側から、威勢のいい女性の声が響いてくる。
「あー、もう! ジンジャーパウダーじゃパンチが足りひん! 紅生姜のあのジャンクな赤みがないと、見た目も締まらんわ! 誰か、あの黒いタレをドバドバかけさせてくれへんかなぁ!」
僕は、アイやジークですら呆気にとられているのを横目に、そっとその扉をノックした。
扉が開いた瞬間、そこに立っていたのは、一人の黒髪の女性だった。 彼女は、服の上から見慣れない白い外衣を羽織っていた。袖口をきゅっと絞り、胴から膝までを覆う真っ白な布。それは背中で結ばれていて、機能的にも正装にも見える、不思議な服だった。後に『割烹着』という作業着であると知った。
「はじめまして、ミサキさん……ですよね? 僕はシン申します。」
「私はハルです。初めまして」
シンの挨拶に、その女性——ミサキは怪訝そうに眉を寄せ、手に持った、先端が尖っている細い金属の棒(後にたこ焼きピックと知った)をくるりと回した。
「ああ、ミサキや……なんや? あんたら。監視の連中じゃないな。シン君に、隣のエルフのお姉ちゃんがハルちゃんか……めっちゃ可愛いやん!」
彼女は僕たちの姿を上から下まで眺め、それからニカッと太陽のような笑みを浮かべた。
「……まあええわ。要件は後や。これ、試作やけど食うてみるか? この世界の味気ないメシに飽きてるんやったら、腰抜かすで?」
急に脳内でにアイが騒ぎ出す。
(マスターマスターっ! あれが『たこ焼き』では?!)
彼女の差し出した皿の上には、湯気を立てる丸い団子が並んでいた。 僕たちの旅が、本当の意味で『異世界』と交差した瞬間だった。




