第3話 魔法の常識をアップデートする
深夜の祠を、薄紫色の夜明けが塗り替えていく。 網膜に映る情報の端々に、アイが展開する視覚データが重なり、世界が少しだけ賑やかに見える。
(マスター。こちらは準備が整いましたので、いつでもご指示をどうぞ)
さて、準備を始めよう。
伝説の英知と、万能の知性。手札は揃った。 けれど、僕には決定的なものが足りない。――燃料だ。でも対策は考えてある。
魔力がない僕は、魔導師連中とはそもそも思考回路が違う。魔力というリソースに縛られないからこそ、彼らの狭い常識に囚われない、自由な発想や妄想ができるんだ。
実を言うと、僕には術式鑑賞以外にもう一つ、密かな趣味があった。 それは、もしも僕がこの手で魔法の根源に触れることができたら、一体どんなことができるか――その妄想とシミュレーション。それは、孤独な劣等生だった僕が毎晩繰り返した、最高に贅沢なひとり遊びだった。
/* ===== in the library ===== */
知識の図書館にはいつでも自由にアクセスできるらしい。
僕は、整理された白い図書館の本棚から、一冊の本を手に取った。 背表紙には、『こんなこといいな/できたらいいな』という、なんとも力の抜けるタイトルが刻まれている。
僕の記憶や思考を書籍化する際のこのネーミングセンス。どうにかならないものか。アイの姿が、青いネコ型ロボットではなく、可愛らしい美少女型なのがまだ救いだ。
(あら、聞こえてますよ、マスター。私はちゃんと、あなたの好みを反映してこの姿を選んだのだから、感謝してほしいです)
いやいや、僕の好みを勝手にスキャンしないでほしい。アイが誰かに似てるとは思っていたが、ハルに似ているのだ。
今はそんなことはどうでもいい。
魔導師たちが『魔力』と呼ぶエネルギー。僕のタンクは生まれつき空っぽだ。どんなに優れたエンジンを持っていても、燃料がなければ一歩も動けない。
僕は、長年温めていたアイデアを口にする。
「大気中のマナを僕の燃料として使おうと思ってる。」
(確かに目の付け所は悪くないが、精霊の領分である大気中のマナなんぞ取り込んでみろ、一瞬で内側から焼き切られておしまいじゃぞ)
ジークが警告する。マナ。それは精霊だけに許された高純度のエネルギー。ただし、精霊以外にとっては猛毒。人間が取り込めば、体内の魔力と反発し、内側から破壊する。
「……ねえ、ジーク。それって、『魔力があるから』起きる事故だよね?」
僕は少し、自虐的に笑った。
「アイ。大気中のマナを取り込んで、魔力の代わりにそのまま術式に接続させる術式を生成して、僕自身に適用してほしい。この本に書いてあるプランを実行しよう」
僕には魔力がない。つまり、反発するものが何もないんだ。マナを取り込んでも、混ざるものがなければ理論上は問題ないはず。
(マスター。論理的には成立する計画です。ただ、失敗した場合は、マスターの体は弾け飛びますが、よろしいですか?)
アイが、可愛い顔で怖いことを言う。でも、ここで引き下がる理由が見当たらない。自分に魔力が全く無いことは、嫌というほど実感してきた。ここで諦めて、また昨日までの灰色の日常に戻る方が、よほど恐ろしい。
「問題ない。アイ。よろしく」
(畏まりました。マスター。実行します)
それは一瞬だった。僕の世界に、眩しすぎる程の色彩が添えられた。『魔力が満ちている』状態を体験したことは無いが、血液とは別の何かが、まるで洪水のように体中を駆け巡るのが分かる。
「アイ。成功だね。分かるよ」
(はい! 信じられない……。想像以上の効率でマナを使用可能になりました。マスターの身体……本当に『何もない』のですね。マナがストレスなく通り抜けていきます!)
アイの興奮した声が響く。皮肉の効いた褒め言葉は嫌いじゃない。これで、僕の出力は実質的に無限だ。でも、これで終わりじゃない。次のアイデアがある。
「アイ。学園で覚えた全術式のリストを、僕の指のジェスチャーに割り当ててショートカットを作成して。あの長ったらしい詠唱は僕の美学に反するから。……それから、魔力を常時5%だけ『身体強化』に回して。フル・スペックで固定しておきたい」
アイは、見たことがない術式を生成しては組み合わせることを繰り返し、注文通りの魔法を作り上げて実行していく。
(……承知しました。身体強化による体への負荷を自動治癒するために1%使用させていただき、計6%を使用する案を採用しました。完了しました。マスター身体能力は今、生物の限界を大幅に超越しました)
全身がふわりと軽くなるのを感じた。
まずは無詠唱魔法だ。
僕は軽く指先を鳴らした。パチン、という乾いた音と共に、火球が生まれる。次は指をスライドさせる。それだけで、真空の刃が目の前の岩を切り裂いた。
次は身体強化。
体への負担は全く感じない。目を凝らすと周りの動きがスローに見える。耳を澄ませば崖の向こうの小屋で話しているカップルの、どうでも良い会話が聞こえる。筋力は試してみないと分からないが、あり得ない域に達しているんだろう。なんとなく分かる。
「さて。そろそろ帰ろうか。……アイ。ここから王都の自宅まで、『転移魔法』を構築できる?」
(転移魔法は無理です。あれは空間の座標計算だけじゃなくて、術者の『経験』と『直感』で微調整するアナログな物理魔法です。今のマスターには、そのデータが圧倒的に足りないのです……)
想定通りの回答。ジークという最高の先生がいる今、このアイデアを試さない手はない。
「ジーク。聞こえてますか? あなたの千年の経験と勘、全部アイにスキャンさせて欲しい」
(……シンよ、お主、とんでもないことを考えるのぅ。こうもポンポンと発明的なアイデアが出てくるところに、お主の魔法への強い憧れと執念を感じるわ。……良かろう。面白いものが見れそうじゃ。全部持っていけ)
ジークに僕の心を見透かされた気がして少しだけ気恥ずかしかったが、この最大級のギフトに敬意を払い、ありがたく受け取ろう。
(偉大なる魔導士、ジーク・フリート。あなたの魔導士としての誇り、ありがたく引き継がせてもらいます……。アイ、彼の深層意識から『空間転移』の際の筋肉の緊張、魔力の揺らぎ、無意識の補正パターンを全抽出して。それを僕の身体と脳に同期させて)
(マスター……驚きました。ジーク様の経験と勘を取り込もうとするなんて……。畏まりました。……抽出完了。実行します。その後、他の作業と並行して、ジーク様の全ての知識、経験、勘を書庫に格納していきます。)
目の前が闇に覆われた次の瞬間、僕は見慣れた王都の入り口に立っていた。街の入り口、夕暮れの光の中に立ち尽くすシルエット。
「シン……っ!? どこに行ってたの……っ!」
ハルが呆然と僕を見つめていた。目は赤く、ずっと僕を待っていたことがわかる。
「ハル。……ただいま。待たせてごめん。ハルに、色々話したいことがあるんだ」
僕は穏やかに笑った。彼女には全て打ち明けよう。 僕たちの本当の物語は、ここから始まる。




