↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/55

第8話「金塊と、灰鹿亭」

 商業組合の買い取り窓口は建物の裏手にあった。


 鉄格子の嵌まった小窓と、その奥に座る白髪交じりの査定人。エディナが事情を話すと、査定人は面倒くさそうに秤と薬品の小瓶を用意した。


「ほれ、品物を出しな」


 しげるは上着に包んだままの金塊を台に置いて、布を開いた。


 査定人の面倒くさそうな顔が固まった。


 しばらく無言で金塊を見て、それから持ち上げようとして「重っ」と呻き、両手で抱え直して秤に載せた。薬品を垂らす。表面を削って検分する。もう一度薬品を垂らす。


「……純度が高すぎる」


 査定人は唸った。


「混ぜ物がほとんどない。こんな金は精錬所でも滅多に出ん。どこの鉱山だ」


「拾いました」


「拾った?」


「道端で。運が良くて」


 我ながら苦しい。だが「魔法で創りました」よりはましなはずだ。査定人は疑わしげにしげるを見て、隣のエディナを見た。エディナは組合員の顔で頷いた。


「身元は組合で確認済みです。冒険者組合の銀札の方ですよ」


「銀札……ならまあ、詮索はせんが」


 査定人は算盤に似た計算具を弾いた。弾き終えて、値を書いた紙を小窓から差し出した。


「この重さと純度なら、うちで出せるのはこれだけだ」


 しげるは紙を見た。


 金環三百二十枚。


 頭の中で昨日から作っていた換算表が動いた。日雇いの日当が銅環十枚ほど。銅環二十で銀環一。銀環十で大銀環一。大銀環十で金環一。つまり金環一枚は日当の二百倍で――金環三百二十枚は。


 人が六十年働いて届くかどうかの額だった。


「に、二百……いや、あの、はい。それでお願いします」


「即金は無理だ。大銀環と銀環を混ぜて、今日渡せるのは三割。残りは組合の預かり証でいいか」


「はい!全然!」


 革袋に詰められた環貨を受け取った。ずしりと重い。十五年働いた銀行口座の残高より重い袋が、たった今、一分の査定で手の中にあった。


 しげるは袋を抱えたまま、しばらく動けなかった。


 働かなくても、生きていける。


 その実感が、環貨の重さで初めて骨まで届いた。


    ◇


「エディナさん!昨日の宿代!あと今朝の分も!」


「え、あ、はい」


「おいくらでしたっけ!?利子とか付けたほうがいいですか!?」


「付けません。銀環二枚です。落ち着いてください」


 組合の裏道で、しげるは革袋から銀環を数えて渡した。エディナは受け取って、きっちり帳面に線を引いた。立て替え、回収済み。数字が閉じる音が聞こえるような手つきだった。


「これで貸し借りなしです」


「命は借りたままですけどね、俺が」


「あれは貸しにしてません」


 エディナは事務的に言って、それから少しだけ笑った。


「でも、律儀な人で安心しました。大金が入った途端に人が変わる例を、帳簿の上で何度も見てきたので」


「変わりようがないですよ。使い道も思いつかないですし」


「まずは服です」


 エディナは即答した。


「その格好、目立ちすぎます。それから旅装と、丈夫な靴と、道具袋。冒険者をやるなら要るものは大体決まってます。……ついでに言うと、大金を裸で持ち歩かない知恵も要ります。組合に預けて、預かり証で持つんです」


「なるほど……あの、それ全部、今日付き合ってもらえたりします?」


「荷の後始末が昼過ぎまでかかるので、夕方からなら」


    ◇


 夕方までに、しげるは一人で服屋に行って失敗し、迎えに来たエディナに選び直してもらった。


 麻のシャツに革の胴着、厚手のズボンに編み上げの靴。鏡の中には、まだ全然様になっていないが、少なくとも街に紛れられる程度の男が立っていた。会社帰りの半袖ワイシャツは畳んで道具袋の底に入れた。捨てる気には、なぜかなれなかった。


 日が暮れて、二人は灰鹿亭に戻った。


 一階の食堂は仕事帰りの客で半分ほど埋まっていた。女将のメリゼがしげるの新しい格好を見て手を叩いた。


「おや、見違えたよ!昨日は今にも消えそうな顔してたのにさ」


「あはは……どうも」


「今夜は食べるんだろ?座りな座りな。ドッド、二人分!」


 厨房の奥で無口な主人が頷くのが見えた。


 運ばれてきたのは羊肉と豆の煮込みに、黒っぽいパンと、湯気の立つ根菜のスープ。それに木のジョッキに入った麦酒。しげるは煮込みを一口食べて、思わず声が出た。


「うまっ」


「でしょう。ここの煮込みは中央区で一番です」


 エディナも自分のジョッキを傾けている。仕事上がりの顔だった。


 麦酒は日本のビールより酸味があって、ぬるくて、なのに妙にうまかった。腹の底があたたかくなって、しげるはようやく、この二日間で初めてまともに息をついた気がした。


「シゲルさんは、これからどうするんですか」


 エディナが訊いた。


「どうする、というと」


「銀札も取って、お金もできて。この街に留まるのか、王都に出るのか。あれだけの魔術なら宮廷魔術師の口だってあり得ます。試験は狭き門ですけど、腕は誰よりあるわけですし」


「宮廷魔術師」


 響きだけで少しくらっとした。宮廷。王都。出世。物語の中の言葉だ。


 だが想像してみると、浮かんだのは知らない街の知らない役所で、知らない偉い人に頭を下げている自分だった。手続きも、作法も、力関係も、何も分からない場所。


「……いや、まずは冒険者かな」


 しげるは言った。


「組合長も仕事を教えてくれるって言ってますし、この街、なんかいい感じですし。焦って上を目指すより、まず足元からというか」


「堅実ですね」


「堅実っていうか、その、性分で」


 半分は本当だった。もう半分――知らない場所が怖いだけの半分には、しげる自身も気づいていなかった。


「でも、いいと思います」


 エディナはジョッキを置いて言った。


「イグゼルは住むにはいい街です。ご飯もおいしいですし、冬は寒いですけど」


「冬、寒いんですか」


「北部ですから。雪で街道が閉じる年もあります。……ふふ。こういう話をするってことは、シゲルさん、もう住む前提なんですね」


「あ」


 言われてみればそうだった。二日目にして、いつの間にか。


 しげるは照れ隠しに麦酒を呷った。窓の外はもう暗い。知らない世界の知らない街の灯りが、あたたかい色で並んでいた。


 三十七年間で一番いい日は、昨日から今日に更新されていた。


    ◇


 翌朝。


 部屋の戸を叩く音でしげるは起きた。開けるとメリゼが立っていて、折り畳んだ紙を差し出した。


「組合の使いが来てるよ。お呼び出しだってさ」


 紙にはブレトの署名で一行だけ書いてあった。


『昼までに来い。紹介したい連中がいる』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。