第8話「金塊と、灰鹿亭」
商業組合の買い取り窓口は建物の裏手にあった。
鉄格子の嵌まった小窓と、その奥に座る白髪交じりの査定人。エディナが事情を話すと、査定人は面倒くさそうに秤と薬品の小瓶を用意した。
「ほれ、品物を出しな」
しげるは上着に包んだままの金塊を台に置いて、布を開いた。
査定人の面倒くさそうな顔が固まった。
しばらく無言で金塊を見て、それから持ち上げようとして「重っ」と呻き、両手で抱え直して秤に載せた。薬品を垂らす。表面を削って検分する。もう一度薬品を垂らす。
「……純度が高すぎる」
査定人は唸った。
「混ぜ物がほとんどない。こんな金は精錬所でも滅多に出ん。どこの鉱山だ」
「拾いました」
「拾った?」
「道端で。運が良くて」
我ながら苦しい。だが「魔法で創りました」よりはましなはずだ。査定人は疑わしげにしげるを見て、隣のエディナを見た。エディナは組合員の顔で頷いた。
「身元は組合で確認済みです。冒険者組合の銀札の方ですよ」
「銀札……ならまあ、詮索はせんが」
査定人は算盤に似た計算具を弾いた。弾き終えて、値を書いた紙を小窓から差し出した。
「この重さと純度なら、うちで出せるのはこれだけだ」
しげるは紙を見た。
金環三百二十枚。
頭の中で昨日から作っていた換算表が動いた。日雇いの日当が銅環十枚ほど。銅環二十で銀環一。銀環十で大銀環一。大銀環十で金環一。つまり金環一枚は日当の二百倍で――金環三百二十枚は。
人が六十年働いて届くかどうかの額だった。
「に、二百……いや、あの、はい。それでお願いします」
「即金は無理だ。大銀環と銀環を混ぜて、今日渡せるのは三割。残りは組合の預かり証でいいか」
「はい!全然!」
革袋に詰められた環貨を受け取った。ずしりと重い。十五年働いた銀行口座の残高より重い袋が、たった今、一分の査定で手の中にあった。
しげるは袋を抱えたまま、しばらく動けなかった。
働かなくても、生きていける。
その実感が、環貨の重さで初めて骨まで届いた。
◇
「エディナさん!昨日の宿代!あと今朝の分も!」
「え、あ、はい」
「おいくらでしたっけ!?利子とか付けたほうがいいですか!?」
「付けません。銀環二枚です。落ち着いてください」
組合の裏道で、しげるは革袋から銀環を数えて渡した。エディナは受け取って、きっちり帳面に線を引いた。立て替え、回収済み。数字が閉じる音が聞こえるような手つきだった。
「これで貸し借りなしです」
「命は借りたままですけどね、俺が」
「あれは貸しにしてません」
エディナは事務的に言って、それから少しだけ笑った。
「でも、律儀な人で安心しました。大金が入った途端に人が変わる例を、帳簿の上で何度も見てきたので」
「変わりようがないですよ。使い道も思いつかないですし」
「まずは服です」
エディナは即答した。
「その格好、目立ちすぎます。それから旅装と、丈夫な靴と、道具袋。冒険者をやるなら要るものは大体決まってます。……ついでに言うと、大金を裸で持ち歩かない知恵も要ります。組合に預けて、預かり証で持つんです」
「なるほど……あの、それ全部、今日付き合ってもらえたりします?」
「荷の後始末が昼過ぎまでかかるので、夕方からなら」
◇
夕方までに、しげるは一人で服屋に行って失敗し、迎えに来たエディナに選び直してもらった。
麻のシャツに革の胴着、厚手のズボンに編み上げの靴。鏡の中には、まだ全然様になっていないが、少なくとも街に紛れられる程度の男が立っていた。会社帰りの半袖ワイシャツは畳んで道具袋の底に入れた。捨てる気には、なぜかなれなかった。
日が暮れて、二人は灰鹿亭に戻った。
一階の食堂は仕事帰りの客で半分ほど埋まっていた。女将のメリゼがしげるの新しい格好を見て手を叩いた。
「おや、見違えたよ!昨日は今にも消えそうな顔してたのにさ」
「あはは……どうも」
「今夜は食べるんだろ?座りな座りな。ドッド、二人分!」
厨房の奥で無口な主人が頷くのが見えた。
運ばれてきたのは羊肉と豆の煮込みに、黒っぽいパンと、湯気の立つ根菜のスープ。それに木のジョッキに入った麦酒。しげるは煮込みを一口食べて、思わず声が出た。
「うまっ」
「でしょう。ここの煮込みは中央区で一番です」
エディナも自分のジョッキを傾けている。仕事上がりの顔だった。
麦酒は日本のビールより酸味があって、ぬるくて、なのに妙にうまかった。腹の底があたたかくなって、しげるはようやく、この二日間で初めてまともに息をついた気がした。
「シゲルさんは、これからどうするんですか」
エディナが訊いた。
「どうする、というと」
「銀札も取って、お金もできて。この街に留まるのか、王都に出るのか。あれだけの魔術なら宮廷魔術師の口だってあり得ます。試験は狭き門ですけど、腕は誰よりあるわけですし」
「宮廷魔術師」
響きだけで少しくらっとした。宮廷。王都。出世。物語の中の言葉だ。
だが想像してみると、浮かんだのは知らない街の知らない役所で、知らない偉い人に頭を下げている自分だった。手続きも、作法も、力関係も、何も分からない場所。
「……いや、まずは冒険者かな」
しげるは言った。
「組合長も仕事を教えてくれるって言ってますし、この街、なんかいい感じですし。焦って上を目指すより、まず足元からというか」
「堅実ですね」
「堅実っていうか、その、性分で」
半分は本当だった。もう半分――知らない場所が怖いだけの半分には、しげる自身も気づいていなかった。
「でも、いいと思います」
エディナはジョッキを置いて言った。
「イグゼルは住むにはいい街です。ご飯もおいしいですし、冬は寒いですけど」
「冬、寒いんですか」
「北部ですから。雪で街道が閉じる年もあります。……ふふ。こういう話をするってことは、シゲルさん、もう住む前提なんですね」
「あ」
言われてみればそうだった。二日目にして、いつの間にか。
しげるは照れ隠しに麦酒を呷った。窓の外はもう暗い。知らない世界の知らない街の灯りが、あたたかい色で並んでいた。
三十七年間で一番いい日は、昨日から今日に更新されていた。
◇
翌朝。
部屋の戸を叩く音でしげるは起きた。開けるとメリゼが立っていて、折り畳んだ紙を差し出した。
「組合の使いが来てるよ。お呼び出しだってさ」
紙にはブレトの署名で一行だけ書いてあった。
『昼までに来い。紹介したい連中がいる』




