第7話「銀札」
「組合長のブレト・カウザーだ。……お前、何者だ」
見下ろしてくる目は怒っていなかった。怒っていないのに逃げ場がなかった。会社の役員面談を思い出す目だった。答えの中身より、答え方を見られている。
「と、豊島しげると申します! 東の遠くから来た旅人で、あの、登録に来ただけでして、球を割るつもりは全然なくてですね」
「割れてはおらん。ヒビだ」
「弁償します!」
「それも上と話す。……来い。話は上でする」
ブレトは踵を返した。エディナが心配そうにこちらを見る。しげるは「大丈夫です」と口の形だけで伝えて、大男の背中を追った。全然大丈夫な気はしなかった。
◇
二階の組合長室は物が少なかった。
大きな机と地図と書棚。壁に古い剣が一振り掛けてあるだけだ。ブレトは椅子を勧めもせず、窓際に立ってしげるを眺めた。
「東の遠くと言ったな。どこだ」
「地図に載ってないような田舎です。名前を言っても、たぶん誰も知らないかと」
「修行はどこでした」
「……田舎で、独学というか。ちゃんとした師匠には付いてなくて」
「独学」
ブレトは繰り返した。信じている声ではなかった。信じていないが咎めてもいない、妙な平坦さだった。
「独学の田舎者が、測定球を赤まで振り切ってヒビを入れたか」
「すみません」
「謝るな。事実を確かめておる」
ブレトは机の引き出しから何かを取り出して机上に並べた。素焼きの的。水の張った木桶。それから床を指した。
「試す。文句はあるか」
「な、ないです」
「まず燃成。あの的を焼いてみろ。加減はしろよ。建物ごと焼かれてはかなわん」
しげるは的に手を向けた。加減。加減とは。昨日から加減して球にヒビを入れた身としては、もう祈るしかなかった。小さい火。ライターくらいの。マッチくらいの。ほんの――
的が爆ぜて炭になった。
黒い欠片がぱらぱらと机に散った。焦げた匂いが部屋に満ちる。ブレトは眉一つ動かさず桶を指した。
「流動。桶の水を動かしてみろ」
水面を撫でるイメージで。そっと。指先で触れる程度に――
桶の水が柱になって天井まで噴き上がり、盛大に床へ落ちた。
「す、すみません!今拭きます!」
「いい。次だ。凝成。床の石を、こぶし一つ分だけ盛り上げてみろ」
こぶし一つ。こぶし一つ。念じるように限定して、しげるは床に手を向けた。
石の床がぐぐ、と盛り上がった。こぶし一つ――では止まらず、腰の高さの石の瘤になったところで、しげるが慌てて手を引っ込めてようやく止まった。
部屋が静かになった。
水浸しの床。炭になった的。生えた石の瘤。散らかった部屋の真ん中で、しげるは首をすくめた。
「あの……全部、やりすぎました」
「全部、初速が出過ぎだ」
ブレトは初めて感想らしいことを言った。
「並の術士は絞り出す。お前のは栓が壊れた樽だ。閉めるほうに苦労しとる。そんな魔力の使い方は五十年この稼業をやって初めて見た」
「はあ……」
「もう一度だけ訊く。どこで修行した」
「田舎で……本当に、その、説明が難しくてですね」
しげるは目を泳がせた。神様にもらいました、が真実だ。だが口に出したらどうなるか。頭のおかしい男と思われるか、あるいはもっと面倒なことになるか。分からないから言えない。分からないことを言うのが、昔から一番怖い。
ブレトはしばらくしげるの顔を眺めていた。
やがて、ふっと息を吐いた。
「まあいい。人間、話したくない過去くらいある」
「……すみません」
「謝るなと言った。詮索が仕事なのは役人で、わしらの仕事は腕と信用だ」
ブレトは机に着いて、書きつけを引き寄せた。
「豊島しげる。登録は認める。等級は銀札だ」
「銀札……って、どのへんですか」
「下から四番目。上から三番目」
「え、そんな上でいいんですか!?新人ですよ!?」
「本来なら灰札からだ。規定ではな」
ブレトはペンを走らせながら言った。
「だが灰札の依頼は薬草採りと溝さらいだ。お前にやらせてみろ。溝をさらうつもりで街道を割りかねん。それに――」
ペンが止まった。
「下の連中が全員見た。測定球に罅を入れた男が灰札の札を下げて歩いてみろ。半月で妙な連中が群がる。腕試しに来る馬鹿。担ぎ上げようとする奴。買おうとする奴。金でか、他の何かでかは知らんがな」
「そんな、大げさな」
「大げさなもんか」
ブレトは顔を上げた。
「力は目立つ。目立つ力は放っておかれん。お前が思っとるより、ずっと早くだ」
その言い方には実感の重みがあった。剃り上げた頭の古傷が、ふとしげるの目に入った。
「銀札なら中堅だ。腕が立つのは当たり前、依頼で忙しいのも当たり前。絡まれにくく、組合の目も届く。……銀札をやる。礼はいらん。首輪のつもりだからな」
「く、首輪」
「野放しより組合の中にいてもらったほうが、こっちが安心だという話だ。悪いようにはせん。仕事は選ばせるし、報酬は等級並みに出る」
正直な人だ、としげるは思った。恩を着せることもできたはずだ。特別待遇だぞ、感謝しろと。そう言わずに首輪と言った。会社で十五年、言葉の裏を読む生活をしてきた身には、裏を先に見せてくれる人間はむしろありがたかった。
「分かりました。よろしくお願いします」
「うむ」
ブレトは銀色の小さな札を机越しに差し出した。掌に載る金属の札に、剣と山の紋と登録番号が刻まれている。
受け取ろうとした手を、ブレトは札ごと握って止めた。
「一つだけ言っておく」
野太い声が、少しだけ低くなった。
「お前は強い。しかし仕事を知らん」
「……はい」
「強いだけの奴が現場で何をやらかすか、わしは山ほど見てきた。魔獣の強さより、依頼主との揉め事と、仲間内の金の話と、引き際の見誤りで人は死ぬ。分かるか」
「な、なんとなく」
「なんとなくで十分だ。今は、な」
ブレトは手を離した。銀札が掌に残った。ひやりと冷たくて、思ったより軽かった。
「数日中に、お前に合いそうな連中を紹介する。単独で受けるのは当分禁止だ。いいな」
「はい!」
◇
建物を出ると、外は昼前の光だった。
エディナが壁際で待っていた。しげるの顔と、その手の銀札を順番に見て、目を丸くする。
「銀札……ですか。登録初日に」
「なんか、そういうことになりました。首輪だそうです」
「首輪」
「組合の中で面倒を見てくれるって意味らしいです。あと、球の弁償はいいって。備品の損耗扱いにしてくれるそうで」
エディナはしばらく黙って銀札を見つめていた。
それから、ふ、と息を漏らして呟いた。
「私、すごい人を拾ってしまったかもしれません」
「拾……ひろ?」
「あ、いえ。こちらの話です」
彼女は表情を戻して、歩き出しながら言った。
「では次はあの金塊、売りに行きましょうか。組合の買い取り窓口、案内します」




