第6話「測定不能」
翌朝、しげるはエディナと連れ立って冒険者組合の扉をくぐった。
昨夜は結局、勧められた灰鹿亭に部屋を取った。創った金塊はまだ売っていない。当座の宿代はエディナが「命の恩人への立て替えです。明日荷が売れたら返してください」と言って譲らなかった。
商業組合は朝から荷の回収やらで忙しいらしい。それでもエディナは登録に付き添うと言った。数字は嘘をつかないが初めての街は人を騙す、とのことだった。
「……思ってたのと違う」
中に入って、しげるは思わず呟いた。
荒くれ者がひしめく酒場のような場所を想像していた。昼から酒を飲む大男たち。新入りに絡む古株。テーブルに突き立つナイフ。
実際の組合は、静かだった。
石造りの広い一階。壁一面の掲示板に依頼書が整然と貼られ、その前で数人が黙って紙を検めている。奥には帳場のような受付が並び、係の女性が書類をさばいていた。武装した男女は確かにいるが、皆低い声で打ち合わせをしているだけだ。剣を背負った女性が二人、隅の卓で地図を広げて何かを数えている。
役所と銀行を足したような空気だった。
「意外ですか」
「いや、その、もっと殺伐としてるのかと」
「殺伐とした時代もあったそうですよ。今の組合長が就いてから変わったと聞きます。ここは命と金を扱う場所だから酔っ払いの声より帳面の音がするべきだと」
まっとうすぎる。しげるは少し安心して、少し緊張した。まっとうな組織はまっとうな手続きを要求する。身元、経歴、保証人。会社で人事の書類を見てきたから分かる。遠くから来た旅人という説明がどこまで通るか。
受付に着いた。
栗色の髪をきっちり結った受付係の女性が顔を上げた。胸元に『ネシェル』と彫った木札を付けている。
「ご用件を」
「あの、登録を、したいんですけど。冒険者の……請負士の」
「新規登録ですね。当組合は初めてですか」
「はい。初めてです」
「他の街での登録歴は」
「ないです。何もかも初めてで」
ネシェルは書きつけの手を止めずに頷いた。
「お名前と出身地を」
「豊島しげる。トヨシマが家名です。出身は……東の、遠くの田舎で。地図に載ってないような所です」
「『東方遠地』と記載します。よくあることですので」
よくあるのか。しげるは拍子抜けした。ネシェルは事務的に続けた。
「登録には適性の測定が要ります。武技か魔力、どちらで受けますか」
「魔力で」エディナが横から言った。「この方、魔術師なので」
「では測定球へ。あちらの台です」
◇
受付の脇に腰の高さの木の台があって、人の頭ほどの水晶球が据えられていた。
表面は曇りガラスのようで、中に薄く光の靄が漂っている。
「両手を球に添えて、体の内の力を軽く流し込むつもりで」ネシェルが言った。「強く押し込む必要はありません。球が勝手に測ります」
「流し込む……はあ。やってみます」
しげるは両手を水晶に添えた。
ひんやりしている。流し込むと言われても要領が分からない。とりあえず昨日の壁のときの感覚を思い出した。手のひらの奥が温かくなる、あの感じを、ほんの少しだけ――
水晶が白く光った。
「おっ、光った」
光は強くなった。
白から黄色へ。黄色から橙へ。靄が渦を巻いて球の中で回り始めた。
「あの、これ、普通ですか」
ネシェルは答えなかった。書きつけの手が止まっていた。
光は橙から赤へ変わった。渦が速くなる。球全体が朝の窓辺のランプみたいに輝いて、台の木目に赤い影を落とした。掲示板の前にいた数人が振り返るのが視界の端に見えた。
「シゲルさん」エディナの声が硬い。「少し、弱めたほうが」
「弱めてます!これでもかなり絞って――」
ぴし、と音がした。
水晶の表面を細い亀裂が走った。
一本。二本。蜘蛛の巣のように広がって、球の中の光が亀裂から漏れ出す。しげるは慌てて手を離した。
光がゆっくりと収まっていった。
水晶球は台の上で、全面にヒビの入ったまま鈍く明滅していた。割れてはいない。ただもう、測定に使える状態でないことは素人目にも分かった。
組合の一階が、静まり返っていた。
帳場の音が消えていた。掲示板の前の全員がこちらを見ていた。地図を広げていた剣士の二人も立ち上がっていた。誰も何も言わない。その沈黙が一番怖かった。
「あ、あの!すみません!弁償します!これ、おいくらですか!?」
しげるは反射的に頭を下げた。静かな空間に自分の声だけが響いた。
ネシェルが我に返ったように立ち上がって、震える手で奥を指した。
「へ……返答は、上の者から。少々、お待ちを」
彼女は小走りに奥へ消えた。
残されたしげるとエディナの周りだけ、人の輪がじわりと広がった。近づいてくるのではなく、遠巻きになっていく方向にだ。
「エディナさん。俺、何かやらかしました?」
「……測定球は魔力の量と質を測る道具です。並の魔術師なら黄色まで。宮廷勤めの魔術師で橙が出たという話を聞いたことがあります」
「赤は」
「知りません。赤の話は聞いたことがありません」
エディナはヒビだらけの水晶を見つめたまま言った。責める声ではなかった。ただ、昨日灰狼の死骸を見たときと同じ目で、彼女はしげるを見ていた。値踏みではない。得体の知れないものを測り直す目だった。
奥の階段から、足音が降りてきた。
大きな男だった。年は六十近いか。剃り上げた頭に古い傷が走り、厚い胸板に組合の紋の付いた上着を羽織っている。男はヒビの入った測定球を一瞥し、それからしげるの前に立った。見下ろされているのに、圧より先に検分の気配がした。
「組合長のブレト・カウザーだ」
野太い声だった。
「……お前、何者だ」




