第45話「半分にする」
供給を半分にしよう、と思いついたのは、死んだと聞いた日の夜だった。
思いつくというより、頭の隅にずっと転がっていたものが、ようやく形になったという感じだった。二百本が多すぎるのなら減らせばいい。減らせば街の薬屋にいくらか客が戻るかもしれないし、緋鈴草の値も少しは持ち直すかもしれない。全部やめるのは無理でも、半分ならば。
半分。
その数字は、しげるにとって都合がよかった。全部を投げ出すわけではないから治療院は回る。何もしないわけでもないから、自分の胸のあたりの重さも少しは軽くなる。両側から責められない場所に立てる数字だった。
だが、翌朝になると、その思いつきは急に頼りなくなった。
根拠がないのだ。なぜ半分なのか。三分の一ではなぜ駄目なのか。二百のうち百を減らせば、いったい何人の薬屋が助かり、何人の患者が待たされるのか。しげるには一つも答えられなかった。
だから、訊きに行くことにした。
◇
「私に訊かれても困ります」
エディナは、開口一番そう言った。
商業組合の小部屋である。彼女はまた帳面を持ってきていた。ただし今日は三冊ではなく一冊だけで、しげるが「半分にしようと思う」と切り出したときも、驚いた顔はしなかった。むしろ、そろそろ来ると思っていた、という顔だった。
「数字なら出せます。それはいくらでも出します。ただ、何本にすべきかは、私には言えません」
「言えない、というのは」
「言う資格がないという意味です」
彼女は帳面を開き、指で二か所を示した。
「半分に減らしたとして、薬屋が戻ってくるかどうかは分かりません。一度畳んだ店は戻りませんし、仕入れの筋も一度切れると繋ぎ直すのに時間がかかります。緋鈴草は花の時期が過ぎていますから、今年はもう動きません。……早くて来年の夏の終わり、実際には再来年でしょう」
「そんなに」
「商いはそういうものです。壊れるのは二か月、戻るのは二年」
しげるは、その言葉を頭の中で二度繰り返した。
「じゃあ、減らしても意味がないってことですか」
「そうは言っていません」
エディナは首を振り、それからわずかに言い淀んだ。彼女がこういう言い方をするのは珍しかった。
「意味は、たぶんあります。値が戻る見込みが立てば、来年また崖に登ろうと考える人が出るかもしれません。調合師組合が弟子を取るかもしれません。……ただ、それは私の希望であって、数字ではありません」
「希望でもいいです」
「よくないんです」
彼女はきっぱりと言った。
「私が希望を数字みたいな顔で言ったら、シゲルさんはそれを根拠にします。そして後で何かあったとき、私は自分を許せません。……前にも言いました。私は数えます。何度でも数えて、見せます。でも、決めるのは私じゃありません」
しげるは、机の木目を見た。
三十五日前にも、この人は同じことを言った。あのとき自分は「どうすればいいんですか」と訊いて、質問の形をした逃げだと自分で気づいた。気づいたのに、今日もまた同じことをしている。
「……分かりました」
「シゲルさん」
立ち上がろうとしたしげるを、エディナが呼び止めた。
「一つだけ。これは数字でも希望でもなく、ただの感想ですけど」
「はい」
「減らすなら、早いほうがいいと思います。遅くなるほど、戻る先が減りますから」
◇
次に向かったのは市政庁だった。
レグナードは、しげるの申し出を最後まで黙って聞いた。途中で口を挟むこともなく、表情も変えず、ただ一度だけ、手元の書きつけに何かを書き込んだ。
しげるが話し終えると、役人はしばらく間を置いてから口を開いた。
「市としては、困ります」
「……はい」
「率直に申し上げます。治療院の待ち日数は延びます。街の外から来られる方は、二日待って手ぶらで帰る場合が出ます。宿と食堂の売上は落ちます。請負士の事故は増える見込みです」
数字ではなく事象で並べるのが、この男の癖だった。数字を出せば議論になるが、事象を並べれば相手の想像力が勝手に働く。しげるはそれを、なんとなく感じ取りながら聞いていた。
「ですので、市としては継続を望みます。それが市の立場です」
「……はい」
「ただし」
レグナードは、書きつけを閉じた。
「契約の第六条に、納入数の見直しの協議を定めております。第七条には、履行が困難となる場合の申し出についても。シゲル殿がそれをお使いになるのは、契約上、当然の権利です」
「権利」
「はい。市が禁じられる筋合いのものではございません」
しげるは、その言い回しに引っかかった。困ると言いながら、止めるとは言わない。望むと言いながら、命じるとは言わない。この人はいつもそうだった。押しているようで、最後の一歩を必ずこちらに踏ませる。
「……お願いします。半分にさせてください」
「承知いたしました。市として検討いたします」
書記のゼクトが呼ばれ、三日後に協議の書面が用意された。しげるは応接室でそれを読み、署名した。用紙は前と同じ形式で、変更点は第三条の数字が二百から百に書き換えられているだけだった。ゼクトが写しを作り、しげるは折り畳んで道具袋に入れた。
所要は、四半刻もかからなかった。
◇
神殿とサドレク師は、渋い顔をした。
渋い顔をしたが、反対はしなかった。「シゲル殿のご厚意で成り立っていたものです。ご厚意の量をこちらから注文するのは、筋が違います」というのが師の言い分で、正しいと同時に、逃げ道でもあった。
ユハンは、しばらく黙ってから答えた。
「治療院は、たぶん回ります」
「たぶん」
「……はい。たぶん、です」
少年はそれ以上言わなかった。言えなかったのだと、しげるは後になって思う。
ブレトは、話を聞き終えると腕を組み、ふん、と鼻を鳴らした。
「お前が決めたなら、わしは支える。組合の若いのには、わしから言っておく。……ただ、一つだけ訊く」
「はい」
「なんで半分だ」
しげるは答えられなかった。
「三割減らすでも、七割減らすでも理屈は立つ。なんで半分なんだ」
「……ちょうど、真ん中だからです」
「そうか」
組合長は、それ以上は何も言わなかった。何も言わなかったことが、しげるにはいちばん応えた。
◇
こうして全員の了承を集め終えたとき、しげるは奇妙な充足を覚えていた。
自分で決めた、と思った。
三か月半、値段も量も、断り方も書き方も、全部誰かに決めてもらってきた。今度は違う。今度は自分から言い出して、自分の足で四か所を回って、頭を下げて、了承をもらった。誰にも命令されていない。
誰にも命令されなかったから、これは自分の決断だ。
その夜、しげるはよく眠れた。
◇
半減の影響は、月の初めから出た。
治療院の門前に、また列ができた。夏の終わりに見たあの列ほどではないが、朝の鐘の前から人が並び、昼には順番が回らなくなる。市の職員が整理に出るようになり、順番待ちの札が復活した。
街の薬屋の様子は、しげるが期待したようには変わらなかった。
閉じた店は閉じたままで、残った店に客が戻る気配もない。しげるが南部職人街を歩いても、オゼクの店には売家の札が下がったままで、空き店舗は三軒のままだった。エディナの言ったとおりだった。壊れるのは二か月、戻るのは二年。
半分にした意味は、少なくとも目に見える形では、どこにもなかった。
◇
半減の三週目、しげるが薬を届けに行くと、治療院の奥の小部屋に灯りが点いていた。
夕方だった。ロズ師と、若い神官が二人と、ユハンが卓を囲んでいる。卓の上には紙が広げられ、名前らしきものが並んでいた。
ユハンが顔を上げ、しげるに気づいて、少しだけ気まずそうな顔をした。
「シゲルさん。お疲れさまです」
「あの、何を」
「会議です」
少年は、静かに答えた。
「明日の分をどう使うか、決めています」
しげるの足が、止まった。
誰に使うかを決めるというのは、使わない相手を決めるということです。
初めてこの治療院に来た日、ユハンはそう言った。その会議が、薬が入るようになってなくなったことを、彼は嬉しそうに報告してきた。ロズ師が会議も経ずに「持っていけ」と言ったのだと、涙ぐみながら話していた。
卓の上の紙に、名前が並んでいる。
「……戻ったんですね」
「はい」
ユハンは頷いた。責める調子は一つもなかった。
「二か月半ぶりです。皆、やり方を忘れていなかったので、すぐに戻せました」
覚えていたのだ、としげるは思った。
あの会議のやり方を、この人たちは体で覚えたまま、二か月半しまっていただけだった。
「シゲルさん」
「はい」
「これは、僕たちの仕事です」
ユハンは、卓の紙を手で押さえた。
「薬が足りないときに、誰に使うかを決めるのは、僕たちの仕事なんです。ずっとそうでした。……だから、気にしないでください」
言葉は優しかった。優しかったが、しげるは動けなかった。
ロズ師が老眼を細めて紙を覗き込み、若い神官の一人が「この方は明日でなくても保つと思います」と言い、別の一人が「では順を下げますか」と応じた。淡々とした、事務的な声だった。
その事務的な声こそが、しげるにはいちばん重かった。
誰も嘆いていない。誰も怒っていない。仕事として、順を下げる相手を決めている。
しげるは、灯りの点いた小部屋の戸口に立ったまま、しばらくそこを離れられなかった。




