↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

39/55

第39話「誰のせいでもない」

「おい」


 声をかけられて、しげるは顔を上げた。


 通りの真ん中に突っ立っていた。どれくらいそうしていたのか、自分でも分からなかった。日はもう落ちて、細い道は薄暗くなっていた。


 サルカが、荷を担いだ格好で立っていた。


「なんだあんた、その面」


「……サルカさん」


「依頼の帰りだ。近道でここを通った。……で、なんだその面は」


「いえ、あの」


「飲むぞ」


 サルカは有無を言わせなかった。


    ◇


 灰鹿亭の隅の卓に、四人が揃った。


 サルカが呼びに行ったのか、フェルツとユハンが後から来た。二人とも、しげるの顔を見て何かを察したらしかった。


 メリゼが麦酒を運んできて、何も訊かずに戻っていった。


 しげるは、話した。


 オゼクの店のこと。売家の札。金を出すと言って断られたこと。翁が言った、隣の薬屋の話。


 話しながら、自分の声が他人みたいだと思った。


「――それで、俺、何もできなくて」


 しげるは、ジョッキを握ったまま俯いた。


「金なら出せるんです。いくらでも。それだけは、俺、できるはずだったのに」


 サルカが、ジョッキを卓に置いた。


 こつん、と鳴った。


「あんたに訊く」


「はい」


「あんたが薬を出さなかったら、どうなってた」


「え」


「北の村の、あの六つの子。ユハンが連れてった子だ。あの子はどうなってた」


 しげるは答えられなかった。


 答えは分かっていた。


「死んでるな」


 サルカは自分で答えた。


「マルドも死んでる。フェルツの腕は動かん。組合の死人は、去年なら一年で十人か十五人か、そのくらいだ。ヴァレクんとこの若いのが去年みたいに死んで、若いのの妹は嫁入りの支度ができん」


 サルカは指を折らなかった。折る必要もなかった。


「オゼクの爺さんは、店を畳んだ。……で、死ぬか?」


「……いえ」


「息子が石工で稼いでるんだろ。畑もある。店賃も要らん。飯は食える」


 サルカは、まっすぐしげるを見た。


「なあ。どっちが重い?」


 しげるは、何も言えなかった。


 言えないまま、胸の奥のどこかが、ほどけていくのが分かった。


 救われている、と思った。


 この人の言うことは、正しい。数えれば、絶対に正しい。


「……ありがとうございます」


「礼を言われる筋合いはないぞ。事実を言っただけだ」


「はい」


「気に病むのはいい。だが、気に病んで薬を止めたら、今度は死ぬほうが増える。それだけは覚えとけ」


 サルカは麦酒をあおった。


 しげるも、久しぶりに酒を飲んだ気がした。喉が熱かった。


    ◇


「サルカの言うことは正しい」


 フェルツが言った。


 低い声だった。


「一つも間違っとらん。数えれば、そのとおりだ」


「だろ」


「ただし」


 弓士は、ジョッキの縁を指でなぞった。


「それは、天秤の話だ」


 サルカが眉を上げた。


「天秤で何が悪い」


「悪くない。俺も毎回天秤にかけとる。依頼を受けるかどうかを、報酬と危険で毎回計っとる。それが仕事だ」


 フェルツは顔を上げた。


「だがな。天秤に乗せていいのは、乗せる権利のある奴だけだ」


 卓が静かになった。


「……権利って、なんだ」


「知らん」


 フェルツはあっさり言った。


「知らんが、少なくとも俺にはない。俺は、オゼクの爺さんの五十年をこっちの皿に乗せて、子供の命を反対の皿に乗せて、どっちが重いか計る権利を、誰からももらっとらん」


「じゃあ誰が計るんだ」


「それも知らん」


 フェルツは、しげるを見た。


 責める目ではなかった。困っている目だった。


「ただ、計った奴は、計った責任を負う。……それだけは分かる」


 しげるの手の中で、ジョッキが重くなった。


    ◇


「ユハン」


 サルカが呼んだ。


「お前はどうなんだ。神官さんの意見を聞かせろ」


 ユハンは、卓の上に置いた自分の手を見ていた。


 昨日、神殿の前庭で、師の後ろに立って床を見ていたときと同じ姿勢だった。


「……僕は」


 少年は、口を開いた。


 開いて、閉じた。


 また開いた。


「僕は、どちらも選べません」


 声が震えていた。


「子供が助かるのは、絶対に正しいです。それは間違いようがないんです。あの子が熱を下げて、水を飲んで、母親が泣いた。あれが間違いだなんて、誰にも言わせません」


「じゃあ、それでいいだろ」サルカが言った。


「よくないんです」


 ユハンが、顔を上げた。


 目が赤かった。


「昨日、陳情に来た人たちの顔を、僕は見ました。前庭で。……あの中に、去年、僕に薬を分けてくれた人がいたんです」


 しげるは息を呑んだ。


「治療院の在庫が切れて、患者が保たなくて、僕が走って行って、頭を下げて。あの人は、店の分を一本、原価で分けてくれました。あの日、それで一人助かってます」


「…………」


「その人が、昨日、石畳に頭を下げてました。僕たちに」


 ユハンは唇を噛んだ。


「サドレク師は、救える命を救わないのは殺すのと同じだと言いました。僕もそう思います。心から思います。……でも」


 少年は、絞り出すように言った。


「薬を作る人がいなくなったら、僕たちは、これから先の命を、誰に頼るんですか」


 誰も答えなかった。


「今は、シゲルさんがいます。だから足りてます。でも、シゲルさんがいなくなったら?」


 ユハンは、はっとしたようにしげるを見た。


「あ、いえ、そういう意味じゃなくて!すみません!」


「いや、いいです」


 しげるは首を振った。


「続けてください」


「……病気になるかもしれない。怪我をするかもしれない。故郷に帰るかもしれない。人は、いつまでも同じ場所にいるとは限りません」


 ユハンは、また手を見た。


「そのときに、街に薬を作れる人が一人もいなかったら。……作り方を知っている人が、みんな別の仕事に移っていたら」


「…………」


「救える命を救わないのが殺すのと同じなら」


 ユハンは言った。


「これから先の、まだ生まれてない誰かの命を救えなくなるのは、何なんですか」


 卓の上で、灯りの芯がじじと鳴った。


 しげるは、何も言えなかった。


 サルカも、フェルツも、何も言わなかった。


「……すみません」


 ユハンは俯いた。


「答えが、出ないんです。二か月、ずっと考えてます。神殿でも考えて、寝る前も考えて。でも、どっちを選んでも、誰かが死ぬんです」


「ユハン」


 サルカが、少年の頭に手を置いた。


「お前、十九だろ」


「はい」


「十九で、そこまで考えたなら上等だ」


 サルカは、乱暴に髪をかき混ぜた。


「私は三十だが、そこまで考えたことはなかった。……悔しいから、今日から考える」


「サルカさん」


「泣くな。酒がまずくなる」


「泣いてません」


「泣いてるだろうが」


 フェルツが黙って、ユハンのジョッキに水を注いだ。


    ◇


 その夜、しげるは自室に戻ってから、薬を作った。


 二百本のうち、まだ作っていなかった分だ。明日には治療院へ運ばなければならない。


 瓶を並べて、手をかざす。


 赤金色が満ちていく。


 いつもと同じだった。半刻もかからない。疲れもしない。


 なのに今夜は、手が少し重かった。


 重い、というのは、たぶん気のせいだった。魔力は減らない。腕も疲れない。


 でも、確かに重かった。


 しげるは、五十本目の栓を閉めて、床に座り込んだ。


 誰のせいでもない。


 サルカはそう言った。フェルツも、ユハンも、翁も、テルドも、みんな似たことを言った。


 誰も悪くない。


 だったら、誰が、これを止めればいいんだろう。


 答えは、出なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。