第29話「列」
列は、次の日にはもっと長くなっていた。
しげるが依頼の行き帰りに通るたび、治療院の門前から通りへ、通りから広場のほうへ、日ごとに伸びていく。
並んでいるのは病人だけではなかった。付き添いの家族。まだ元気なうちに買い置きしておこうという者。荷を背負って街道から歩いてきた者。
六日目には、市の職員が二人、列の整理に出るようになった。
七日目に、市政庁から使いが来た。
◇
「よくおいでくださいました」
レグナードはいつもの応接室で、いつもどおり先に精算を済ませた。
今月分の納入五十本、銀環五百枚。受領の書面。署名。しげるはもう手順に慣れていた。慣れると、書類は本当に怖くない。
「さて。本日はお願いに参りました」
役人は書類を仕舞って、両手を卓の上で組んだ。
「治療院の門前の列は、ご覧になりましたか」
「あ、はい。毎日通るので」
「本日の朝で百四十人ほどでした。そのうち三割強が、街の外からです」
「三割……」
「近隣の村、それから街道沿いの集落。歩いて二日の距離からも来ております」
レグナードは淡々と数字を並べた。責めるでも喜ぶでもない、報告の声だった。
「治療院はすでに配分を始めております。重い者から順に。ただ、順番が回らなかった者は、また明日並びます。明日並んで回らなければ、明後日並びます。中には宿代が続かず、街の外で野宿している家族もおります」
しげるの胃のあたりが、きゅっとなった。
列に並んでいる人の顔が浮かんだ。子を抱いた女。杖の老人。
「ですので、率直に伺います」
レグナードが顔を上げた。
「増産は、可能でしょうか」
「できます」
しげるは即答した。
考える必要がなかった。半刻が一刻になるだけだ。手間は、ほとんど手間と呼べるようなものではない。
「では、どれほど」
「え」
「どれほど、ご用意いただけますか」
しげるは口を開けた。
どれほど。
言われて初めて、自分がその数を持っていないことに気づいた。上限がない。少なくとも、自分では分からない。一晩で五十本を作ったが、あれは五十本と言われたから五十本作っただけだ。二百でも五百でも、たぶん同じだった。腕が疲れるわけでもない。材料が要るわけでもない。
じゃあ、いくつと言えばいいのか。
しげるは、正直に答えた。
「……いくらでも」
「いくらでも」
「はい。何本でも、作れます」
レグナードの目が、ほんの一瞬、しげるの顔の上で止まった。
それだけだった。役人は視線を書きつけに落として、筆を取った。
「では、月に二百本ではいかがでしょう」
「二百」
「治療院の受け入れと、市の予算から算出した数です。これで、街の外から来られる方も含めて、おおむね捌けます」
「分かりました。やります」
「ありがとうございます」
レグナードは書きつけに数を入れた。
しげるは、四倍になった数字を見ていた。
五十が二百に増えた。増えた理由は、自分が「いくらでも」と言ったからではなく、市が二百と決めたからだ。
そう思った。そう思って、安心した。
二百という数を誰が決めたのか、そのとき彼は考えなかった。
◇
組合に戻ると、受付でネシェルに呼び止められた。
「シゲルさん。ちょうどよかったです。組合長がお呼びです」
二階の組合長室では、ブレトが書面を前に渋い顔をしていた。
「読め」
差し出されたのは、請負士たちの連名の陳情だった。
文面は素朴で、字も揃っていなかった。要するに、組合でもシゲルの薬を扱ってほしい、という一点だった。今は組合長の裁量で少しだけ隊に回っているが、数が少なく、行き渡らない。銀札の隊が優先される。若い隊には回ってこない。
「二十一人分の署名だ」ブレトが言った。「うち十四人は青札と銅札だ」
「あの、俺、作りますよ。組合の分も」
「そう簡単な話じゃない」
ブレトは書面を指で叩いた。
「組合は請負士の仲介屋だ。薬屋じゃない。組合が薬を仕入れて配り始めたら、街の薬屋がどう思う」
「……あ」
「それに、誰に配る。銀札からか。危険な依頼からか。若い順か。配る基準を決めた瞬間、配られなかった奴が組合を恨む」
しげるは黙った。
配る基準。誰に使うかを決めるのは、誰に使わないかを決めることだ。ユハンがそんなことを言っていた。
「じゃあ、どうするんですか」
「治療院ルートで買わせる」
ブレトはあっさり言った。
「請負士が自分の金で、治療院の窓口で買う。銀環十五なら、青札でも二回か三回の依頼で買える。組合は何も配らん。配らんから、恨まれん」
「なるほど……」
「これはわしの判断だ。お前が気に病むことじゃない」
ブレトは陳情書をたたんで引き出しに入れた。
「ただ、覚えとけ。組合が薬を持たんのは、お前の薬がないと困るようになるのを避けるためだ」
「え」
「二十年やってると、そういう癖がつく。一つの仕入れ先に頼りきった組織は、そこが倒れたときに一緒に倒れる。……別に、お前が倒れると思っとるわけじゃないぞ」
組合長はそう付け加えて、話を終わらせた。
しげるは階段を降りながら、その言葉を反芻した。
俺が倒れる。
考えたことがなかった。自分は病気にもならないし、怪我もしないし、《外界護持》とかいうやつがあるから、たぶん死にもしない。作るのをやめる理由なんて、どこにもない。
だから、大丈夫だ。
◇
その日の帰り道は、南部職人街を通った。
倉庫の依頼主に礼を言いに寄って、それから細い道を抜けた。オゼク薬房の前を通るのは、あの薬草茶の日以来だった。
軒先の薬草の束は、まだ揺れていた。
匂いも同じだった。
しげるは足を止めて、店の中を覗こうとした。翁がいれば、この前の礼を言おうと思った。
覗く前に、それが目に入った。
軒先の柱に、新しい木の札が下がっていた。
墨で書かれた、まだ真新しい文字。
――『上級薬 取扱休止』




