第27話「値が動く」
数日後、しげるは商業組合の前でエディナと行き合った。
彼女は検品帰りで、いつものように帳面を抱えていた。挨拶を交わし、天気の話をして、それから世間話の続きのように彼女が言った。
「そういえば、上級薬の小売、先月比で四割減ってます」
「四割」
「町の薬屋さんの話です。治療院が安いですから、みんなそっちに行きますよね」
「あー、なるほど」
しげるは頷いた。
「じゃあ、みんな安く買えるようになったってことですよね。それはいいことですよね」
「……そうですね」
エディナは頷いた。
頷いてから、少し口ごもった。
「シゲルさん。あの」
「はい?」
彼女は何か言いかけて、言葉を探して、探しきれずに止めた。
「いえ。何でもないです」
自分でも、何が引っかかっているのか分からなかった。
商いの数字は動くものだ。豊作なら麦が下がる。戦があれば鉄が上がる。四割の減少は珍しくもない波の一つで、季節が変われば戻ることのほうが多い。父もそう教えた。波を見て慌てるのは素人だ、と。
だから今回も、たぶん、波なのだろう。
エディナは自分にそう言い聞かせて、帳面を抱え直した。
「すみません。仕事に戻ります」
「はい。お疲れさまです」
しげるは彼女を見送って、組合へ向かった。
四割減。頭のどこかに引っかかったが、すぐに消えた。
安く買えるようになった。それが四割の中身だ。悪い話であるはずがなかった。
◇
その翌日から、サルカ隊は三日の依頼に出た。
東の村からの駆除依頼。岩背猪。
「秋口になると降りてくるんだ」
街道を歩きながら、サルカが説明した。
「牛くらいの猪でな。背中に岩みたいな甲を背負っとる。あれを正面から斬ろうとすると、剣のほうが負ける」
「牛くらい……」
「群れで畑に入る。一晩で麦が全滅だ。だから収穫前に必ず駆除の依頼が出る。秋の定番仕事だな」
「弱点はあるんですか?」
「腹と足だ。ただし腹を晒すのは突っ込んできたときだけでな。それを待って懐に入るのが、まあ、面倒くさい」
「面倒くさいで済ませるな」フェルツが後ろから言った。「去年、それで足を潰された銅札がいる」
村に着くと、村長が畑の被害を見せてくれた。麦の一角が、耕したように掘り返されている。足跡は大人の掌より大きかった。
しげるはその夜、宿にした納屋で、紙に段取りを書いた。
柵。落石。腹と足。先に言う。
◇
翌朝、畑の外れで群れを待った。
夜明け前、地面が鳴った。
黒い塊が七つ、麦畑の縁を割って現れた。牛ほどの体躯。背中に鈍く光る甲。鼻息が白い。
「来たぞ」サルカが剣を抜く。「魔術師どの、頼む」
「はい!柵、出します!」
しげるは両手を地面に向けた。
石の柵が、畑の三方を囲むように地面から生え上がる。壁ではなく、隙間のある柵にした。囲い込むと暴れて畑を踏み荒らすからだ。逃げ道を一方向だけ残して、群れをそちらへ誘導する。
村人が総出で鍋を叩いた。音に驚いた猪が、開けておいた一方へ殺到する。
「上です!」
しげるが手を振ると、猪の頭上に石の塊が現れて落ちた。狙いは足元。まともに当たった二頭が前のめりに転がる。
そこへサルカが滑り込んだ。
転倒した猪の腹に、下から剣が入る。悲鳴のような鳴き声。フェルツの矢が、逃げようとした一頭の後ろ足を射抜いた。
四半刻もかからなかった。
七頭。畑の被害はほぼ出ていない。
「上出来だ」
サルカが剣の血を拭いながら言った。
「去年は三日かかって、麦を半分持っていかれた。今年はこれだ」
「あの、俺、今回はちゃんと先に言いましたよね」
「言った言った。えらいぞ」
「子供扱いしないでください」
「してない。褒めてる」
村人たちが駆け寄ってきて、口々に礼を言った。麦と、酒と、干した果物を持たされた。
ユハンが荷物を抱えながら、ぼやいた。
「僕、また何もしてないです」
「治癒神官が暇なのは、いい依頼の証拠だ」フェルツが言った。「暇なのを嘆くのは、まだ二年目の言い草だな」
「うう……」
「拗ねるな。飯を食え」
◇
帰りは荷車を借りて、四人で街道をだらだらと歩いた。
秋の入り口の風が涼しい。荷台には礼にもらった麦の袋と酒の瓶が積んである。
サルカが酒の栓を抜こうとして、フェルツに止められた。ユハンが果物を配った。しげるは荷台の端に腰かけて、揺られていた。
悪くない、と思った。
いや、悪くないどころではない。
異世界に来て、三か月足らず。仲間がいて、仕事があって、街に帰る場所があって、たまにこうやって荷車に揺られている。夜には薬を作って、それで誰かが助かる。
完璧すぎて、たまに怖くなる。
その夜、街道脇で野営した。
焚き火を囲んで、四人で麦の粥を食った。サルカとフェルツが去年の依頼の失敗談で言い合いを始め、ユハンが笑い転げていた。
やがて話が途切れて、火の爆ぜる音だけになった。
ユハンが、ふいに真顔になった。
「シゲルさん」
「はい?」
「明日、街に着いたら……治療院に来てもらえませんか」
少年は膝を抱えて、火を見ていた。
「五日前から、子が一人入ってるんです。六つの女の子で、夏の熱病で。北の村から親が背負って連れてきました」
しげるの手が止まった。
北の村。夏の熱病。六つ。
「その子は」
「シゲルさんの薬を、三日目から使ってます」
ユハンが顔を上げた。
焚き火の光で、その目が濡れて見えた。
「今朝、熱が下がったって、伝令が来ました。……見せたい子がいるんです」




