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第25話「材料の話」

「材料、ですか」


 しげるは、間の抜けた声を出した。


 間の抜けた声を出しながら、頭の中では別のものが高速で回っていた。


 言うか。


 今なら言える。エディナさんなら、笑わないかもしれない。実は魔法で作っています、と。魔力から創り出しているんです、と。神様にもらった力なんです、と。


「はい。仕入れ元です」


 エディナは帳面に筆を置いたまま、当たり前の顔で待っていた。


 彼女にとっては何でもない質問だった。商業組合で三年、帳簿をつけてきた人間にとって、品物には必ず仕入れ元がある。塩には塩の産地があり、鉄には鉄の炉がある。それだけの話だった。


「……その、田舎の秘伝なので」


 しげるは言った。


「材料も、自分で調達してるんです。集めたのを、まとめて持ってきてて」


「集めた、というのは。買われたんですか」


「買ったというか、その、自分で採ったり、いろいろで」


「五十本ぶんを?」


「はい」


 自分の声が、他人のもののように聞こえた。


 エディナは筆を持ち直して、帳面に何か書いた。書いてから、少し困ったように眉を寄せた。


「すみません。詮索するつもりはないんです。ただ、うちの仕事の癖で、仕入れの入っていない品を帳面に書くと、どうも落ち着かなくて」


「あはは……変ですよね、俺の場合」


「変というか」


 エディナは言葉を選んだ。


「私の知っている商いの形に、当てはまらないんです。品物が動けば、必ずどこかで誰かがお金を受け取っています。麦を作った人、運んだ人、袋を縫った人。仕入れの記録って、要するにその人たちの名前の一覧なんです」


「……はあ」


「シゲルさんの薬には、それが一人もいない」


 しげるは、うまく息が吸えなかった。


 彼女は責めていない。責める気配は一かけらもない。ただ、目の前の帳面に空白があるのが気持ち悪い、という顔をしているだけだった。


「まあ、いいんですけど」


 エディナはあっさりと筆を置いた。


「秘伝なら仕方ありません。うちの組合にも、仕入れ先を絶対に言わない香辛料の商人がいます。あの人も三十年ずっとそうです」


「そ、そうなんですか」


「はい。……変な質問をしてすみませんでした。忘れてください」


 彼女は帳面を閉じて、鞄に仕舞った。


 しげるは、へらへらと笑って組合を出た。


 通りに出て、夕方の風に当たったとき、ようやく息が吐けた。


 言えなかった。


 言えばよかった。エディナさんなら、たぶん、あの人なら、頭がおかしいとは思わなかった。驚いても、そのうち帳面に「魔法」と書いて済ませたかもしれない。


 でも、言えなかったのはもう、そこじゃない気がした。


 自分はもう、フェルツにも、サルカにも、ユハンにも、商隊の御者たちにも、市政庁にも、「田舎の秘伝」と言ってしまっている。ここでエディナに本当のことを言えば、あの人たちに嘘をついたことになる。


 いや、実際に嘘をついたのだ。


 だから今さら、本当のことは言えない。本当のことを言うと、嘘つきだとバレるから。


 しげるは足を止めて、自分の考えの筋道を追いかけて、そして、少し気持ち悪くなった。


「……大丈夫」


 口に出して言った。


「誰も損してない。誰も困ってない。大丈夫だ」


 その「大丈夫」を誰も保証していないことには、いつもどおり、気づかなかった。


    ◇


 翌日の組合は、朝から妙に浮かれていた。


 掲示板の前に人だかりができている。しげるが覗き込むと、いつもの依頼書ではなく、組合の月報が張り出されていた。


 討伐依頼の完遂率。負傷者数。そして――死亡者数。


 その欄に、ゼロと書いてあった。


「よう、魔術師どの」


 サルカが人垣の中から手を挙げた。フェルツもユハンもいる。


「見たか。今月ゼロだ」


「ゼロって、その、亡くなった人が」


「一人も出てない。私が請負士になって十二年、初めて見たぞ」


 サルカの声は、いつになく明るかった。


 周りの請負士たちも似たようなものだった。若い青札の連中が肩を叩き合い、古株が「まだ月末じゃねえぞ」と釘を刺し、それでも顔が緩んでいる。


「薬だな」


 フェルツが短く言った。


「腹をやられても、腕を持っていかれても、街まで保つようになった。保てば治る。……去年の秋は、俺の知り合いだけで三人死んだ」


「三人」


「一人は毒で、二人は出血だ。どっちも上級薬があれば助かった。あの頃は、薬は貴族と金持ちのもんだった」


 フェルツはそれ以上言わなかった。


 代わりに、しげるの肩を一度だけ叩いて、掲示板の前を離れていった。


 言葉より、その一回のほうが重かった。


「シゲルさん、すごいですよ」


 ユハンが小声で言った。


「治療院に来る請負士の人が、みんな『シゲルの薬を持ってた』って言うんです。組合で回してるんですよね」


「あ、はい。ブレトさんが少しだけ、隊向けに」


「みんな助かってます。本当に」


 しげるは、掲示板のゼロの文字を見上げた。


 昨日の胸の悪さが、少しずつ薄れていくのが分かった。


 仕入れ先の欄が空白でも。名前の一覧に誰もいなくても。


 死んだ人が、今月はいない。


 それより大事なことなんてあるだろうか。


    ◇


 その日の夕方、組合を出ようとしたところで、ブレトに呼び止められた。


 組合長は月報の紙を手に持っていた。


「シゲル」


「はい」


「礼を言っておく」


 ブレトは前置きなしに言った。


「わしは二十年この組合をやっとる。毎年、若いのを何人か死なせてきた。装備が足りん、判断が甘い、運が悪い。理由は毎回違うが、結局は間に合わんかったという話だ」


 しげるは黙って聞いた。


「今月はゼロだ。運ではない。お前の薬だ。……それは、本心から感謝しとる」


「そんな、俺は」


「最後まで聞け」


 ブレトは月報を折りたたんだ。


「ただしな」


 太い指が、折り目をなぞった。


「人間は、あるものを当たり前だと思うようになる。半年もすれば、若いのは薬があるのが普通だと思って街道に出る。無茶をする。深追いをする。持ってて当たり前のものが、たまたま無かった日に――そいつは死ぬ」


「……あの、それは」


「お前を責めとるんじゃない。順序の話だ」


 ブレトはしげるを見た。


「これが当たり前になったとき、何が起きるかも考えとけ」

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