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第23話「市政庁の応接室」

 市政庁は、大神殿と広場を挟んで向かい合っていた。


 白い神殿とは違って、こちらは灰色の石造りだった。装飾が少なく、窓が小さく、どこか帳簿めいた建物だった。


 九の鐘に合わせて門をくぐると、待ち構えていた職員に案内された。廊下は静かで、擦れ違う人間は皆、紙束を抱えて足早に歩いていた。


 通されたのは二階の応接室だった。


 冒険者組合のそれとは、格が違った。磨き込まれた長卓。座面に布を張った椅子。壁に掛かった王国全図。窓には硝子が入っていて、朝の光が床に四角く落ちていた。


「お掛けください」


 レグナード・ヴェイゼは、先に来て立っていた。


 しげるは椅子に浅く腰かけた。座面が柔らかすぎて、どう座ればいいのか分からない。背もたれに寄りかかっていいものか。膝に手を置くべきか。結局、手を膝の上で組んだ。


「朝早くに恐れ入ります。よくお越しくださいました」


 レグナードは丁寧に礼をして、向かいに座った。それからまず、と前置きして口を開いた。


「先般の救助について、あらためて市としての謝意を。あの後、救出された方々のうち十二名が現場に復帰されました。残る一名も、来月には戻れる見込みだと聞いております」


「マルドさんですね。よかった……」


「それに、その後も街の各所でご協力をいただいていると伺っております。井戸、石垣、橋の欄干。市の普請の手が回らぬ場所ばかりです。市政を預かる者として、率直にありがたく思っております」


「い、いえ、そんな。頼まれたので、やっただけで」


 しげるは頭を掻いた。


 朝から気が重かったのが、少し軽くなった。呼び出しというから、何か叱られるのだと思っていた。


「さて」


 レグナードが、卓の上で指を組んだ。


「本日おいでいただいたのは、お薬の件です」


 軽くなった気が、一瞬で戻った。


「あ、あの、それは」


「シゲル殿」


 レグナードは穏やかに遮った。


「先に申し上げておきます。咎めているのではありません」


「……そう、なんですか」


「ええ。市は、街に良薬が出回ることを問題視しません。むしろ逆です」


 役人は言葉を選ぶように、しかしよどみなく続けた。


「私どもが把握したいのは、事実の形だけです。誰が、何を、どれだけ、どこへ出しているのか。市政というのは、要するにそれを紙に書いて並べる仕事でしてね。紙に載っていないものは、市にとっては存在しないのと同じなのです」


「はあ……」


「ですので、確認させてください。採石場でお使いになった上級回復薬。あれと同じ品を、シゲル殿は継続して用意できますか」


 しげるは唾を飲んだ。


 嘘は、もうついてある。田舎の秘伝で、材料があれば自作できる。ここで言い直せば、これまでの全部が嘘だったことになる。


「……できます」


「量は」


「けっこう、いけます」


「治療院への定期の納入を、お願いすることは可能でしょうか」


 しげるの背筋が、少し伸びた。


 治療院。あの棚。鍵付きの格子の中の、銀環八十枚の瓶。ユハンが「悔しいなあが半分」と笑った、あの棚に、自分の薬が並ぶ。


 北の村の七歳の子は間に合わなかった。あの依頼書と同じことが、この街で毎日どこかで起きている。


「やります」


 しげるは即答した。


「やらせてください。あの、お金はいらないです。タダで」


 レグナードの手が、止まった。


 ほんのわずかに、眉が動いた。しげるがこの男の顔で初めて見た、微かな変化だった。


「……それは、困ります」


「え」


「ええ、困るのです」


 レグナードは指を組み直した。


「無償で入るものは、市の帳面に載りません。載らないものは、制度に組み込めません。制度に組み込まれていないものは――来月も届くという保証がないのです」


「い、いや、俺、届けますよ。ちゃんと」


「シゲル殿がそうお考えなのは疑っておりません」


 役人は静かに言った。


「ですが、私が明日、馬に蹴られて死んだとします。次に来る者は、シゲル殿を知りません。帳面しか見ません。帳面に『無償の好意による』とだけ書いてあれば、次の者はそれを勘定に入れずに予算を組みます。そして薬が足りなくなった月に、治療院で人が死にます」


 しげるは黙った。


 馬に蹴られて死ぬ、というたとえが妙に生々しかった。


「それに、以前も申し上げました。誰が損をしていないかではなく、誰が働いたかで払うのが公金の筋です。シゲル殿は働いておられる。ならば市は払わねばなりません」


「はあ……」


「価格は、市の査定になります」


 レグナードは書きつけを一枚、卓の上で滑らせた。


「上級回復薬、一本につき、銀環十枚」


 しげるは紙を見た。


 治療院の棚の札は、銀環八十枚だった。


「十枚……ずいぶん、安いんですね」


「安すぎるとお考えなら、交渉を」


「い、いや逆です!そんなにもらっていいんですか!?」


 しげるは本気で驚いていた。


 半刻もかからずに作れるものに、十枚。日雇いの人の二十日分だ。それが一本ごとに入ってくる。ありえない話に思えた。


 レグナードは、しばらくしげるの顔を見ていた。


「……市の査定は、市場価格を基準に、公費の妥当性を勘案して決まります。八十を市が払い続けることはできません。十であれば、治療院の予算で年間を通して支えられます」


「じゃあ、十で!」


「よろしいのですね」


「はい!」


 しげるは即答した。


 自分が値段を決めなかったことに、気づかなかった。


 高いか安いかを、判断する材料を何も持っていなかった。材料を持っていないのに答えを出せたのは、目の前の人が数字を出してくれたからだ。数字を出してくれる人がいると、こんなに楽になる。会社でもそうだった。上が決めた額で、自分は伝票を切ればよかった。


 レグナードは書きつけを引き取り、余白に何かを書き込んだ。


 それから顔を上げた。


「ではシゲル殿。もう一つだけ、お伺いします」


「はい」


「――では、月にどれほどご用意いただけますか」

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