第21話「断れない」
「……何を訊かれて、何を答えた」
しげるは正直に話した。創れる物の種類。量。費用。訊かれたとおりに答えただけだ。隠すようなことは一つもない。
ブレトは腕を組んで、しばらく黙っていた。
「あの、まずかったですか」
「まずくはない」
組合長は椅子に腰を下ろした。木が軋んだ。
「嘘をつけとは言わん。役人に嘘をつくのは、後で一番高くつく。……ただしな」
「はい」
「訊かれたことに、訊かれた以上を答えるな。それだけ覚えとけ」
「訊かれた以上……」
「量を訊かれて『けっこういっぱい』はいい。だが『疲れないので』は余計だ。分かるか」
分からなかった。正直に、分からない顔をした。
ブレトは短く息を吐いて、話を切り上げた。
「まあいい。今のところ代行官殿は礼を言いに来ただけだ。……忘れろ。仕事に戻れ」
◇
その日から、しげるの毎日は目に見えて忙しくなった。
組合の掲示板に「シゲル殿指名」の依頼が絶えなくなった。
商隊護衛。魔獣の駆除。それはいい。冒険者の仕事だ。だが依頼書の中身は、日ごとに冒険者から遠ざかっていった。
裏庭に井戸を掘ってほしい。畑の境に石垣を組んでほしい。倉庫の壁の破れを塞いでほしい。橋の欄干を直してほしい。
「これ、俺の仕事なんですかね」
「石工と大工の仕事だな」
依頼書を覗き込んだフェルツが即答した。
「だが向こうにしてみりゃ、あんたに頼めば半日が一瞬で、しかも安い。頼まない理由がない」
「安いって、俺、相場も分かってなくて。言われた額で受けてます」
「それが一番まずい」
しげるは結局、その週で九件を受けた。
朝に護衛へ出て、昼過ぎに戻って井戸を掘り、夕方に石垣を組んだ。翌日は倉庫と橋。ありがたいと言われるのが嬉しくて、断り方が分からなくて、気づけば予定の紙が真っ黒になっていた。
四日目の夕方、石垣の現場から戻ったしげるを、サルカが組合の前で待ち構えていた。
「おい」
「あ、サルカさん。お疲れさまです」
「今朝の護衛、あんた馬車の後ろで居眠りしてただろ」
「……すみません」
「謝るな。訊いてる」
サルカは腕を組んだ。
「今週、いくつ受けた」
「え、と……九件、ですかね」
「阿呆」
容赦がなかった。
「あんたが疲れないのは魔力の話だろ。頭と体は普通に減るんだ。眠い頭で街道に立たれちゃ、隣にいる人間が危ない。ユハンが危ない」
「……はい」
「いいか。断るのも仕事だ」
サルカは指を一本立てた。
「全部受ける奴は、全部が雑になる。雑な仕事を十回するより、まともな仕事を三回するほうが、依頼主も隊も助かる。次からは受ける前に私かフェルツに見せろ。相場も日程も、こっちのほうが分かる」
「分かりました。書いときます」
しげるは道具袋から紙を出して、その場で書き留めた。断る。全部受けない。受ける前に相談。
サルカが少し笑った。
「あんた、書けば守るからな。そこは信用してる」
書けば守れる。十五年、そうやって仕事をしてきた。誰かが決めてくれたルールを、忘れずに守る。それだけは昔から得意だった。
◇
その帰り道だった。
灰鹿亭の手前の角に、女が一人立っていた。
見覚えのある顔だった。日に焼けた頬。ほつれた髪。採石場の莚の脇で、夫の頭を膝に抱えて泣いていた人。
「マルドさんの……」
「魔術師様」
女房は深く頭を下げた。手に小さな布包みを持っている。
「夜分にすみません。組合に伺うのは、その、恐れ多くて」
「いや、そんな。ご主人、具合はどうですか」
「おかげさまで、来月から現場に戻れそうです。ガリドさんが軽い仕事から回してくださって」
よかった、と心から思った。あの夕暮れの、濡れた呼吸の音を思い出す。あれが今、現場に戻る話をしている。
女房は布包みを差し出した。中身は乾いた木の実と、繕われた手拭いだった。
「これ、うちで採れたものと、私が縫ったもので。お礼になるようなものじゃないんですけど」
「そんな、いただけません」
「受け取ってください。……そうしないと、次のお願いができないんです」
しげるの手が、止まった。
女房は言いにくそうに、それでも言った。
「隣の家の娘さんが、寝込んでるんです」
「え」
「六つの子で、四日前から熱が下がらなくて。町の薬屋の解熱薬は飲ませたんですけど、効かないんです。うちの人と同じで、治療院の順番待ちは五日先だって」
女房は包みを持つ手に力を込めた。
「あの日、あなたが出してくださった薬。あれを、一本だけ、譲っていただけませんか。お代は払います。今すぐは無理でも、月々少しずつ、必ず」
「…………」
しげるは、断ろうとした。
断らなきゃいけない、と頭のどこかが言っていた。あれは隊の備えで、俺は薬屋じゃなくて、こうやって配り始めたらきりがなくて、そもそも田舎の秘伝ということになっていて、材料が――
でも。
その頭の中の声は、全部、自分の都合の話だった。
六つの子。四日、熱が下がらない。治療院は五日先。
北の村の子は七つだった。届かなくて死んだ。届けば助かった。値段が高くて、届け賃が出せなくて、それだけの理由で。
誰も悪くないのに、七つの子が死ぬんです。
ユハンの声が、耳の奥で鳴った。
「……お代は、いいです」
気づけば、そう言っていた。
「え」
「作れるので。俺、材料があれば作れるんです。だから、お代とかは」
しげるは道具袋の底から、赤金色の小瓶を出した。隊の常備の三本のうちの一本だった。明日また作ればいい。作るのに、半刻もかからない。
「熱の病なら、一息で全部飲ませないで、少しずつ。ユハンさん――治癒神官の子が、そう言ってました」
女房は瓶を両手で受け取った。受け取ったまま、しばらく動かなかった。
それから、その場に膝をつきそうになったので、しげるは慌てて肩を支えた。
「あ、そういうのは、ほんとに!立ってください!」
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
女房は瓶を胸に抱えて、何度も頭を下げながら、暗くなった通りを駆けていった。
しげるは、その背中を見送った。
いい気分だった。胸のあたりが温かかった。
六つの子が助かる。半刻もかからない一本で、一つの家が、明日から笑って暮らす。
これは、絶対に、正しいことだった。
そう思いながら灰鹿亭の戸を開けたとき、しげるは自分の手が、道具袋の底からもう一本を出す準備をしていることに、気づいていなかった。
◇
三日後の夜。
夕食を終えたしげるの卓に、ユハンが息を切らして駆け込んできた。
顔が青かった。
「シゲルさん」
「どうしたんですか、そんな顔して」
「今日、神殿で……訊かれたんです」
ユハンは声を落とした。周りの客を気にする目つきだった。
「上の神官様に、呼ばれて。組合の魔術師が、銀環八十の薬を、タダで配ってるらしいな、って」
しげるの手から、匙が落ちた。
「僕、何も言ってません。誓って何も。でも――」
ユハンは唾を飲んだ。
「もう、僕たちの外に出てます」




