第20話「市政代行官」
組合の応接室に通されたのは初めてだった。
磨かれた卓に、揃いの椅子が四脚。壁には王国の地図。組合の一階の実務的な雑然とは違って、そこだけ客を迎えるための部屋だった。
しげるは頭の芯に残る二日酔いを噛み殺しながら、勧められた椅子に浅く座った。向かいには、すでに男が座っていた。
四十代の後半だろうか。細身で、姿勢がいい。灰色がかった髪をきっちり撫でつけ、上等だが地味な紺の上着を着ている。膝の上に組んだ手には指輪一つない。役人だ、と一目で分かる佇まいだった。
「お忙しいところ、朝早くに恐縮です」
男は立ち上がって、丁寧に頭を下げた。
「イグゼル市政代行官のレグナード・ヴェイゼと申します。以後、お見知りおきを」
「と、豊島しげるです!あの、市政代行官というのは」
「市の実務を預かる役職です。市長職は王都からの任命ですが、当地には長く不在でしてね。実際の差配は私どもが」
言い方が柔らかい。柔らかいのに、要点だけが正確に伝わる。しげるは十五年の会社員生活で、この話し方をする人間を何人か知っていた。だいたい、本社から来る人だった。
「まず、採石場の一件で市としての謝意を申し上げに参りました」
レグナードは腰を下ろして言った。
「十三名。ひとりも欠けなかったと聞いております。あの規模の崩落で全員の生還は、私の知る限り前例がありません」
「いや、俺は現場の指示どおりに石を出してただけで。掘ったのは人夫さんたちですし、判断してたのはガリドさんで」
「ガリド殿からも同じ話を伺いました」
レグナードは薄く微笑んだ。
「彼はこう申しておりました。あの魔術師は指図を待つ、と。……失礼ながら、それは大きな力を持つ方には、あまりない美徳です」
「はあ……」
褒められているのだろう。褒められているのに、なぜか背中がむずむずした。
「本題に移ってよろしいですか。救助に要した費用の精算です」
レグナードは鞄から書類の束を出して、卓に並べた。
「災害救助は市の負担で行います。組合への出動要請分、参加された請負士の方々への報奨金。シゲル殿の分は、こちらの査定になりました」
差し出された紙の額を見て、しげるは目を丸くした。
「銀環……五十枚?」
「石材と支保の資材代を含めた額です。本来なら市が材木商から購入し、運び込む費用が発生しておりました。それをすべてシゲル殿が現地で賄われた。市としては、支出を節約させていただいた形になります」
「いや、そんな、材料費とかは全然かかってないので」
「かかっていない、というのは、シゲル殿のご負担がなかったという意味ですね」
レグナードは静かに言った。
「ですが市の帳面では、必要だった資材が現に使われております。使われた以上、代価は支払われるべきです。誰が損をしていないかではなく、誰が働いたかで払うのが公金の筋ですので」
筋、と言われると弱かった。しげるは押し切られて頷いた。
「では、こちらへご署名を」
差し出されたのは、市の紋の入った受領の書面だった。
しげるは書面を目で追った。《通響》のおかげで文字は読める。読めるので、つい安心してしまう。市政庁が救助への協力に対し報奨金を支払う。受領者はこれを確かに受け取った。日付。金額。それだけの、短い文書だった。
「ええと、ここに名前を」
「はい。お名前と、日付を」
しげるは筆を借りて、慣れない字で名前を書いた。トヨシマシゲル。
紙の上に自分の名前が乗った。それだけのことだった。会社で伝票に判子を押すのと、何も変わらない。
書類は怖くない。
その日、しげるはそう学んだ。
「ありがとうございます。これで手続きは完了です」
レグナードは書面を検め、鞄に仕舞った。それから世間話の顔になった。
「……差し支えなければ、少し伺ってもよろしいですか。役所の人間の悪い癖でして。珍しいものを見ると、寸法を測りたくなるのです」
「どうぞ!答えられることなら」
「では、ひとつめ。シゲル殿が創られる物には、種類の制限はございますか」
「種類ですか。えーっと」
しげるは考えた。生き物は駄目だと言われている。あとは、よく知らない物は無理だ。逆に言うと。
「大体なんでも、ですかね。よく知ってる物なら」
「大体なんでも」
「はい」
「ふたつめ。量は、どの程度まで」
「量……こないだの壁とか柱とか、あのくらいなら普通に。もっといけると思います。というか、疲れないので、けっこういっぱい」
「けっこう、いっぱい」
「はい」
レグナードは頷いた。手元には何もない。手帳も筆も出していない。ただ静かに、二度、頷いた。
「では最後に。それらを創る際の費用は、どのように」
「費用は、かからないです。タダというか」
しげるは正直に答えた。
「魔力なので。使っても減らないんです、俺の場合」
部屋が、一拍だけ静かになった。
外の廊下を職員が通り過ぎる足音がした。レグナードの表情は、まったく変わらなかった。眉一つ動かず、微笑みの角度も変わらない。
「なるほど」
彼はそう言った。
「――心強い」
それだけだった。
しげるは曖昧に笑った。何かまずいことを言ったかな、とちらりと思った。思ったが、何がまずいのか分からない。分からないので、考えるのをやめた。
レグナードは立ち上がった。
「長々と失礼しました。今後、市からお願いを差し上げることもあるかもしれません。その折はどうぞよしなに」
「はい!こちらこそ!」
役人は丁寧に一礼して、応接室を出ていった。
開いた扉の向こう、廊下を歩いていく後ろ姿が見えた。上着の裾がまっすぐ落ちていて、歩幅が一定だった。
角を曲がる直前、レグナードが懐に手をやった。
内側から小さな手帳を出し、歩きながら何か書きつけ、そのまま仕舞い込むのが、一瞬だけ見えた。
◇
入れ違いに、ブレトが応接室へ入ってきた。
組合長は扉を閉めると、卓の向かいに立ったまま、しげるの顔をじっと見た。
「代行官殿は、何をしに来た」
「え?救助のお礼と、報奨金の精算で。あと、ちょっと世間話を」
「世間話」
ブレトの太い眉が寄った。
「……何を訊かれて、何を答えた」




