第2話「能力欄に、全部あった」
「……神様?」
「そういうことになるのう」
老人はこともなげに答えた。
しげるは口を開けたまま固まった。
そういうことになる。なるって何だ。なるとかならないとか、そういう性質のものなのか、神様というのは。
「あの、ええと……本物、ですか」
「偽物の神に会うたことがあるのか?」
「ない、です」
「なら比べようがないのう」
老人は白い髭を撫でて、からからと笑った。
からかわれている気がする。だが不思議と、悪意は感じなかった。会社で嫌味を言われるときの、あの胃の縮む感じがない。
しげるは、恐る恐る一番大事な質問をした。
「俺、死んだんでしょうか」
「死んどらん」
「じゃあ、夢ですか」
「夢でもない」
「じゃあ……何なんですか、これ」
「移すのじゃよ。お前さんを、別の世界へ」
老人はあっさりと言った。
あまりにあっさり言うので、意味が頭に届くまで数秒かかった。
「別の、世界」
「うむ」
「異世界ってことですか。あの、剣と魔法の」
「おお、話が早いのう。そうじゃ、そういう世界じゃ」
「なんで俺なんですか!?」
思わず声が裏返った。
老人は、少しだけ間を置いた。
「世界と世界の間には釣り合いというものがあってのう。ごく稀に人をこちらからあちらへ移す必要が生じる。今回は、たまたまお前さんじゃった」
「たまたま」
「たまたまじゃ」
「選ばれし者、とかでは」
「ないのう」
即答だった。
変なところで正直な神様だ、と思った。そこは嘘でも「選ばれし者じゃ」と言ってくれたら、少しは気分が出たのに。
「あの、断ったら……帰れます?」
「すまんが、それはできん。もう手続きは進んでおる」
「手続き」
「神にも手続きはあるんじゃよ」
役所みたいだ、と思った。
膝からまた力が抜けそうになった。帰れない。会社、アパート、月末の請求書。頭に浮かんだのがその順番だったことに自分で少し傷ついた。もっとこう、別れを惜しむべき顔が浮かんでもいいはずなのに、浮かんだのは締め切りだった。
「そう気を落とすな」老人は言った。「わしとて、鬼ではない。人を異世界へ移すなら、生きていけるだけのものは持たせるのが筋というものじゃ」
「もの?」
「力じゃよ」
老人が、ひょいと指を振った。
しげるの目の前の空中に、光る文字が浮かんだ。
【豊島しげる】年齢三十七/種族 人間/称号 異界渡り/生命力A/筋力B/敏捷C/耐久A/魔力量 測定不能/魔力適性 全系統/固有:《万象創製》《真理視》《無窮炉》《通響》/加護:《外界護持》
しげるは、それを三回読んだ。
請求書を三回確認するのと同じ目つきで、一行ずつ、上から下まで。
「……あの、これ」
「お前さんの能力じゃ」
「魔力量、測定不能って書いてあるんですけど」
「尽きんからのう。測りようがない」
「尽きない」
「《無窮炉》じゃ。魔力の釜に底がない。まあ、一度に出せる量には限りがあるがの。そこは使ううちに広がっていく」
「全系統って」
「火も水も風も土も、光も、まあ大体使える」
「この、《万象創製》っていうのは」
「それが目玉じゃな」
老人は、ちょっと得意げに髭を反らした。
「魔力から物を創り出す力じゃ。水でも、パンでも、鉄でも、金でも。お前さんがそれをよう知っておるものなら何でも創れる」
「金って……ゴールドの金ですか」
「うむ」
「無限に?」
「魔力が尽きんのじゃから、まあ、無限じゃな」
しげるはしばらく黙った。
頭の中で何かがカチカチと音を立てていた。そろばんの音に似ていた。十五年、数字を扱う仕事をしてきた頭が、勝手に計算を始めていた。
金が、無限に。
食い物が、無限に。
働かなくて、いい。
「ただし」
老人が指を一本立てた。
「生き物と魂だけは創れん」
「……はあ」
「犬も、猫も、人も、創れん。命はな、物とは違うんじゃよ。そこだけは覚えておけ」
「大丈夫です。犬とか作る予定、ないので」
しげるはほとんど聞き流して答えた。
金が創れるという情報の前では犬が創れないことなど、どうでもよかった。
「《真理視》は、物や者の性質を視る力。《通響》は、あちらの言葉が話せて、文字が読める力。《外界護持》は、まあ、守りの加護じゃな。並の攻撃では死なん。病にも強い」
「それって」
しげるはごくりと唾を飲んだ。
「それって、俺、強いんですか」
「強いのう」
「どれくらい」
「あちらの世界で、お前さんより強い人間を探すほうが難しいじゃろうな」
しげるは笑ってしまった。
最初は、ふ、と息が漏れただけだった。それが、ふふ、になり、あはは、になり、止まらなくなった。白い空間に、三十七歳の男の笑い声が響いた。
だって、そうだろう。
学歴もない。顔も良くない。金もない。話も上手くない。三十七年間、何ひとつ人より上のものがなかった。それが今、能力欄に、全部あった。強さも、金も、魔法も、全部。
欲しかったものが、全部、書いてあった。
「あの、神様」
笑いすぎて滲んだ目尻を拭いながら、しげるは訊いた。
「俺、向こうで……英雄とかに、なれます?」
「なれるじゃろう」
老人は、当たり前のことのように言った。
「それだけの力は、確かに与えた」
「本当に?本当の本当に?」
「力については、わしは嘘をつかん」
「やばい……やばいですって、それ」
しげるは、両手で顔を覆った。指の間から笑いが漏れ続けていた。
人生が、始まる。
三十七年間、始まらなかった人生が、今度こそ始まる。
「なんか、すみません。さっきまで帰りたいとか言ってて」
「ええんじゃよ」
「俺、頑張ります。向こうで、ちゃんとやります」
「うむ」
老人は頷いた。それから、ほんの少しだけ、何か言いかけるように口を開いて――結局、何も言わなかった。
代わりに、ひょいと手を振った。
「では、行くがよい」
「え、もう?あの、何かこう、心得とか、注意事項とか」
「良い旅を」
視界が、白く染まった。
白い空間よりもさらに白い光に呑まれて、老人の姿が見えなくなる。しげるは慌てて何か言おうとして、言葉が出る前に、足の裏の感覚が変わった。
柔らかい。
風の音がした。
次の瞬間、鼻いっぱいに、青い草の匂いが押し寄せた。




