第17話「崩さず、掘る」
「聞こえるか!生きてるなら三つ叩け!」
ガリドが土砂に向かって怒鳴った。
現場が息を詰めた。
こつ。こつ。こつ。
三つ。間を置いて、また三つ。
「詰め所だ!」ガリドが振り返った。「奥の詰め所に逃げ込んでる!全員かは分からんが、生きてる!」
わっと現場が沸き、すぐにガリドの声が押さえつけた。
「浮かれるな!ここからが本番だ!詰め所までは岩を十歩ぶん掘り抜く!一歩ごとに支えを立てる!――魔術師の旦那、頼めるか!」
「はい!」
◇
それからの半日を、しげるは生涯で一番、人の指示を聞いて過ごした。
「右の岩、動かすと上が来る!先に脇へ添え柱だ!」
「創ります!太さは!?」
「俺の胴まわり!高さはあの割れ目まで!」
石柱が生える。人夫たちが掘る。
「掘り屑が溜まった!運び板をくれ!そりみたいなやつだ!」
「創ります!」
石の橇が現れる。土砂が運び出される。
「水だ!埃で前が見えん!」
「創ります!」
しげるは言われたものを、言われた形で、言われた場所へ出し続けた。
自分では何も決めていなかった。どこを掘るか、どこが危ないか、次に何が要るか。決めるのは全部、ガリドと人夫たちだった。彼らは岩の顔色を読めた。しげるには灰色の塊にしか見えない崩れ面が、彼らには「生きてる」「休んでる」「嘘をつく」と、表情で見えるらしかった。
だから、しげるは道具に徹した。
道具に徹することが、こんなに気持ちいいとは思わなかった。
迷わなくていい。判断しなくていい。求められた形を、求められた瞬間に出す。出せば、目の前で必ず、誰かが助かる方向へ現場が進む。十五年の会社員生活で一度も味わったことのない、手応えというやつが、砂埃の中に確かにあった。
サルカは崩れ面の上に陣取って、張り出し岩の監視についていた。
「岩が鳴いた!全員止まれ!」
彼女の声で現場が止まり、しげるが支えを足し、また動き出す。それを三度繰り返した。
フェルツは崖の上と下を駆けて伝令をやり、ユハンは救護のむしろで待ち構えた。
昼前、最初の一人が出た。
若い人夫だった。埃まみれで、足を挫いていたが、生きていた。担ぎ出された男が光の下で咳き込んだとき、人垣から悲鳴のような歓声が上がり、女が一人、人垣を突き破って駆け寄った。
それから午後にかけて、二人、三人と続いた。
詰め所の空洞に逃げ込めた者が七人。手前の岩の隙間で保っていた者が四人。ユハンの治癒術が挫きと切り傷を塞いでいき、重い者から順に、戸板で神殿の治療院へ運ばれていった。
「十一人!」フェルツが指を折った。「残り二人!」
「一人はマルドだ、詰め所の連中が見てる!崩れる寸前に一番奥へ走ったと!」
ガリドの顔が険しくなった。
「一番奥は、切り出しの最前だ。……崩れの芯だぞ」
◇
崩れの芯は、これまでの十歩と訳が違った。
積もった岩が互いに噛み合って、どこか一つを抜けば全体が雪崩れる。人夫たちが手を出しあぐねる中、老人夫が岩の隙間に耳を当て、頷いた。
「息の音がする。浅いが、してる」
「生きてるのか!おいマルド、聞こえるか!」
返事の代わりに、弱く、こつ、と鳴った。
そのとき、頭上でサルカが叫んだ。
「張り出しが割れた!でかいのが来る!総員退避!」
しげるは見上げた。
朝から支えてきた張り出し岩。その根元に新しい亀裂が走り、石の梁ごと、ゆっくりと傾き始めていた。梁が受けているのは張り出しだけだ。根元から剥がれたら、受けようがない。
人夫たちが弾かれたように退がる。ガリドが叫ぶ。
「旦那も下がれ!崩れるぞ!」
下がれば、崩れる。崩れれば、芯の下のマルドは。
しげるの頭が、勝手に回った。
受け止める?無理だ、梁の角度が悪い。逸らす?どこへ?下は全部掘った跡だ。防ぐ?何で?壁?壁じゃ天井が――
天井。
箱だ。
「マルドさんの周りを、箱で包みます!」
しげるは叫んで、両手を崩れの芯へ向けた。
銀行の金庫室。地下街のシェルターの扉。日本のビルの、あの絶対に潰れない箱の感じ。岩の隙間の、息の音のする空間を、丸ごと――
地の底で、石が咆えた。
崩れの芯を貫いて、巨大な石の籠が組み上がった。厚い格子が岩と岩の間に割り込み、空洞を内側から抱え込む。
直後、張り出しが落ちた。
轟音と土煙が現場を呑んだ。朝から積んだ支保が数本へし折れ、崩れの表層が雪崩れ、そして――土煙の底で、石の籠は、耐えていた。
「……籠が保ってる!」サルカの声が煙の上から降った。「今なら横から抜ける!」
「野郎ども!」ガリドが吼えた。「横っ腹から一気に掘れ!」
人夫たちが殺到した。籠の格子に沿って横穴が穿たれ、四半刻の後――埃と血にまみれた男が一人、光の下へ引き出された。
十三人目だった。
歓声が、爆ぜた。
誰かがしげるの背中を叩いた。何度も叩いた。ガリドが吼えるように笑っていた。サルカが崖の上で拳を突き上げていた。
しげるは膝に手をついて、荒い息のまま、笑おうとした。
その耳が、歓声の中に、異音を拾った。
ごぼ、という湿った音。
引き出されたマルドが、むしろの上で咳き込み――赤黒いものを吐いた。
歓声が、端から凍っていった。
「胸を岩に挟まれてます!」
駆け寄ったユハンが両手をかざし、その顔から血の気が引いた。
「肋骨が中で……肺に届いてる!治癒術じゃ表面しか――間に合わない!上級薬を!誰か、上級薬を!」
誰も動かなかった。
ここは街外れの採石場で、日はもう、傾き始めていた。




