第11話「銀環十五枚の使い道」
討伐の翌日は、朝から気持ちよく晴れていた。
しげるは灰鹿亭の寝台で目を覚まし、枕元の小袋を確かめた。銀環十五枚。昨日の初報酬だ。
寝る前にも数えた。起きてまた数えている。金環三百二十枚の預かり証は道具袋に入れっぱなしなのに、こっちの十五枚は何度も数えてしまう。我ながら妙なものだった。
階下に降りると、メリゼが朝食の皿を運んでいた。
「おはよう。今日は仕事かい?」
「休みです。それであの、相談なんですけど。部屋、長めに借りられます?」
「長めって、どれくらいだい」
「ひと月……いや、ふた月ぶんとか、まとめて払えたりします?」
メリゼは目を丸くして、それから厨房に向かって叫んだ。
「ドッド!三番の部屋、長期だって!」
奥で無口な主人が親指を立てるのが見えた。
ふた月ぶんの宿代を先払いしても、銀環十五枚は半分以上残った。日雇いの日当が銅環十枚ほどだとエディナに教わったから、つまりこの街の働く人のひと月分くらいを、昨日一日で稼いだ計算になる。銀札の実入りは大きい。
いや、違うな、としげるは思い直した。
稼いだのは自分じゃなくて、蜥蜴を石壁で囲った能力だ。でも囲えと叫んだのは自分で、先に言えと叱られたのも自分で、報酬の四等分を受け取ったのも自分だ。そのへんの線引きはよく分からないが、とにかくこの十五枚は、預かり証の三百二十枚より確かな手触りがした。
◇
昼、中央区の通りでエディナと行き合った。荷の検品の帰りらしく、小脇に帳面を抱えていた。
「シゲルさん。昨日、すごかったそうですね」
「え、もう知ってるんですか!?」
「組合の買い取り窓口は商業組合と隣同士ですから。蜥蜴の尾が三十一本も持ち込まれたら、午後にはみんな知ってます。岩場の記録だそうですね」
「はあ……なんか、そうみたいです」
「噂が仕事を連れてきますよ。良くも悪くも」
エディナは帳面を抱え直して、少し笑った。
「今度、討伐の話を聞かせてください。灰狼の壁の人が蜥蜴をどう料理したのか、興味があります」
「料理って言うほどのことは何も。囲って、その、蓋をしただけで」
「その囲って蓋、というのが誰にもできないんですけどね」
じゃあ検品の続きがあるので、と彼女は仕事の顔に戻って行ってしまった。
◇
夕方、しげるは組合の前でユハンを見つけた。
神殿の使いを終えた帰りだという。顔色が優れないのは昨日からだった。掲示板の前で見た、あの取り下げられた依頼書。あれからずっとこうだ。
「ユハンさん。夕飯、まだですよね。灰鹿亭の煮込み、おごらせてください。初報酬なので」
「え、いいんですか?で、でも僕、昨日の分け前もらってますし」
「おごりたい気分なんです。付き合ってください」
珍しく自分から言えた誘いだった。断られたらどうしようと思ったが、ユハンは素直についてきた。
灰鹿亭の隅の卓で、湯気の立つ煮込みを挟んだ。ユハンはスプーンを動かしながら、あまり食べていなかった。
「……昨日の、依頼書の子のことですか」
しげるが訊くと、ユハンの手が止まった。
「すみません。ずっと顔に出てましたよね」
「いや、責めてるんじゃなくて。その、俺もちょっと、引っかかってて」
ユハンはスプーンを置いた。
「北の村の子です。歳は七つ。夏の熱病で、村の煎じ薬じゃ熱が引かなくて。街の上級回復薬なら間に合うはずでした」
「その薬を届ける依頼だったんですよね。なんで受け手がつかなかったんですか」
「報酬です」
ユハンは静かに言った。
「北の村までは馬で往復三日。街道の外れは魔獣も出ます。危険料込みなら最低でも銀環十枚の仕事です。でも依頼の報酬は銅環四十枚でした。村が出せる精一杯が、それだったんです」
「そんなの、誰かが割引くとか、組合が足すとか」
「組合は慈善団体じゃありません。それに」
ユハンは一度言葉を切って、続けた。
「薬そのものが買えてなかったんです。上級回復薬は一本、銀環八十枚します」
「はちじゅう……」
しげるは頭の中の換算表を回した。日雇いの日当が銅環十枚。銀環一枚が銅環二十枚。つまり銀環八十枚は――
「百六十日ぶん?」
「はい。一本の薬が、大人が半年働いたお金です。農村なら一年でも届かない家があります。村は薬代を借りて、届け賃までは借りられなかった。それだけの話なんです」
それだけの話、という言い方に、慣れようとして慣れきれない軋みがあった。
「治癒術じゃ、駄目だったんですか。ユハンさんの」
「治癒術は傷には効きます。でも病には弱いんです。熱の源は術で断てません。体力を支えるくらいはできますけど、三日かけて村まで行って、着いた頃には僕の魔力も尽きてます。……薬なんです。ああいう子を救うのは、術じゃなくて薬なんです」
ユハンは自分の手のひらを見ていた。
「僕、神殿で薬の勉強もしてます。調合は資格がないのでできませんけど、何がどう効くかは分かります。分かるのに、値段の前では何も」
「そんな、ユハンさんのせいじゃ」
「分かってます。誰のせいでもないんです。薬草を採る人も、運ぶ人も、調合する人も、みんな真っ当に働いて、真っ当な手間賃を取って、それで銀環八十枚になるんです。誰も悪くないのに、七つの子が死ぬんです」
しげるは何か言おうとした。
大丈夫ですよ、そのうちきっと――
口まで出かかって、止まった。
何が大丈夫なのだ。そのうちって、いつだ。誰が、何をしたら。
保証もないのに大丈夫と言うのは、しげるの二十年来の癖だった。日本では便利な言葉だった。会議でも、電話でも、とりあえず大丈夫ですと言えば場が流れた。でも今、目の前の十九歳に言う大丈夫には、何の中身もなかった。
「……すみません。気の利いたこと、何も言えなくて」
「いえ。聞いてもらえただけで」
ユハンは少し笑って、冷めかけた煮込みを口に運んだ。それから、ふと思い出したように顔を上げた。
「シゲルさん。明日って、時間ありますか」
「明日?空いてますけど」
「見てほしいものがあるんです。……昨日から考えてたんですけど、シゲルさんには、見ておいてほしくて」




