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第10話「三十匹、接近されず」

 六の鐘が鳴り終わる前に、しげるは東門に着いた。


 というより、五の鐘から待っていた。遅刻が怖くて眠りが浅かったのだ。遠足前の小学生か、と自分でも思った。


「早いな、魔術師どの」


 サルカたち三人は六の鐘ちょうどに現れた。全員が当たり前のように軽装で、当たり前のように歩き出す。しげるは慌てて後を追った。


「あの、朝ごはんとかって」


「歩きながら食う。持ってきたか?」


「はい。パンと水を」


 道具袋には昨夜のうちに創っておいたロールパンと水が入っている。各自持参と言われて、堂々と創製で済ませた。便利すぎて笑いが出た。


 西の岩場までは徒歩で一刻半。道中、サルカが今日の段取りを話した。


「洞窟蜥蜴。岩場の巣穴に群れる。一匹なら青札でも狩れるが、群れると銅札の隊でも手を焼く。今回は巣ごと駆除の依頼だ。数はおそらく二十から三十」


「さ、三十!?」


「多く見積もってな。手順はこうだ。フェルツが巣の入り口を見張る。私が引きずり出して数を割る。ユハンは後ろで怪我に備える。あんたは――」


 サルカはしげるを見た。


「まず後ろで見てろ。動きを覚えるのが先だ。出番は私が指示する」


「はい!」


 新人の初日はどの世界でも同じらしい。まず見て覚えろ。指示があるまで動くな。十五年前の入社初日と同じ台詞に、しげるは少し安心した。指示がある。それだけで世界は歩きやすい。


    ◇


 岩場に着いた。


 赤茶けた岩の斜面に、黒い穴がいくつも口を開けている。フェルツが姿勢を低くして先行し、戻ってきて指を三本立てた。


「巣穴は三つ。糞の量からして、思ったより多いぞ。三十はいる」


「上限か。……まあやることは同じだ」


 サルカが剣を抜いた、そのときだった。


 一番大きな穴から、先に出てきた。


 犬ほどの大きさの蜥蜴だった。灰緑色の鱗。太い尾。それが一匹、二匹――続けざまに湧き出してくる。朝の狩りの時間帯だったらしい。岩場の斜面が、みるみる蠢く鱗で埋まっていく。


「読みが外れた。総出だ!」フェルツが弓に矢をつがえた。


「散開!ユハンは下がれ!」サルカが叫ぶ。「魔術師どのは後ろ――」


 しげるは、群れを見ていた。


 三十匹。数えるまでもなく三十匹はいた。あれが散開して、四方から来たら。サルカが囲まれたら。フェルツの矢が尽きたら。ユハンに届いたら。


 考えるより先に、口が動いていた。


「あの、まとめて止めていいですか!?」


「は?」


「多分、止められるんで!」


 しげるは両手を地面に向けた。


 石壁。あのときの壁。ただし今度は一枚じゃない。囲うんだ。会社のビルの外壁が、ぐるっと中庭を囲んでいる、あの形――


 地面が咆えた。


 岩場の斜面に、灰色の壁が円を描いて生え上がった。高さは人の背の倍。蠢いていた三十匹の群れが、丸ごと石の輪の中に閉じ込められた。壁の内側で蜥蜴たちが跳ね、ぶつかり、引っかき、そして一匹も越えられない。


 静かになった岩場で、壁の中の音だけが響いていた。


「…………」


 サルカが剣を持ったまま固まっていた。


 フェルツは矢をつがえた姿勢のまま動かない。


「え、えと」しげるは手を挙げた。「このまま、その、上から蓋をするみたいに火を落とせば、多分終わるんですけど。やっちゃっていいですか」


「……ちょっと待て」


 サルカは壁に歩み寄り、表面を叩き、厚みを確かめ、壁沿いに半周して戻ってきた。


「厚さは?」


「腕の長さくらいです」


「詠唱は?」


「してないです」


「触媒は?」


「持ってないです」


「そうか」


 サルカは剣を鞘に納めた。


「……私たち、いる?」


「い、要ります!俺、蜥蜴の急所とか知らないですし!とどめとか怖くて刺せないですし!」


「とどめが怖い男が三十匹を生け捕りにするな」


 結局、火はしげるが壁の上から均等に落とし、暴れ足りない数匹をサルカが片づけ、フェルツが討伐証明の尾を回収した。作業は昼前に終わった。三十一匹。過去にこの岩場で出た記録の最多だとフェルツが言った。


 帰り支度の途中、ユハンがおずおずと寄ってきた。


「あの、シゲルさん。さっきの凝成の壁、円環で一括生成してましたよね?あれ、術式の分割は?起点は何箇所でした?というか無詠唱で環状指定って理論上――あっ、すみません。また一度に訊きすぎました」


「えっと、その、囲え!って思っただけで」


「囲え!……囲え、で」


 ユハンは天を仰いだ。神に祈っているのか、理論の敗北を悼んでいるのかは分からなかった。


    ◇


 街へ戻る道すがら、報酬の話になった。


「今回の依頼料は銀環四十。証明部位の買い取りが頭数分で、締めて銀環六十前後だ」フェルツが指を折った。「規定なら頭割りで四等分。ただ――」


 フェルツはちらとしげるを見た。


「今日の働きは九割あんただ。半分持ってけ。それが筋だ」


「い、いやいや!三割で!むしろ三割もいらないくらいで!」


「……欲のない奴だな」


 フェルツは呆れ半分の声で言った。


 欲がないわけではなかった。金なら創れる、というだけの話だった。それを言えないので、しげるは曖昧に笑ってごまかした。


「じゃあ規定どおり四等分だ」サルカが面倒くさそうに裁定した。「取り分で譲り合う隊は、取り分で揉める隊の次に長続きしない。規定がある理由を考えろ、二人とも」


「はい」「すまん」


「ところで魔術師どの。あんた今日、後ろで見てろって指示、覚えてるか」


「……すみませんでした」


「結果は上々だ。だから今回だけは説教も半分にしといてやる。次は先に言え。手順が崩れると死ぬのはユハンみたいな後衛からだ」


「はい。次から必ず言います」


 しげるは道具袋の紙にそれも書き留めた。勝手に動かない。先に言う。フェルツがまた横目でそれを見て、今度は何も言わずに小さく頷いた。


 午後の街道をだらだらと歩く。ユハンが今日の壁について三つ目の質問をして、サルカに「五つまでだぞ」と上限を切られている。フェルツは早くも今日の報酬の使い道を計算している。


 しげるは列の後ろで、その光景を眺めていた。


 仲間、なのだろうか。まだ二日目で、そう呼ぶのは図々しい気もする。でも呼び方はどうあれ、隣を歩いて、同じ財布の話をして、同じ方向に帰る人たちがいる。


 ふと、白い空間で見た光る文字を思い出した。


【豊島しげる】年齢三十七/種族 人間/称号 異界渡り/生命力A/筋力B/敏捷C/耐久A/魔力量 測定不能/魔力適性 全系統/固有:《万象創製》《真理視》《無窮炉》《通響》/加護:《外界護持》


 あの能力欄には、全部あった。強さも魔力も、欲しかったものが全部。


 でも今日の帰り道のこれは、あの欄のどこにも書いてなかった気がする。


 これは自分の力で手に入れたぶんだ。そう思うと、報酬の銀環十五枚は、金環三百二十枚より少しだけ誇らしかった。


    ◇


 組合に戻って報告と精算を済ませた。


 ネシェルが討伐数の記録を三度見して、隣の職員と小声で何か話していた。明日にはまた噂が増えるのだろう。


 精算を待つ間、しげるはユハンの姿を探した。質問の続きに付き合う約束をしていたのだ。


 ユハンは掲示板の前にいた。


 一枚の依頼書の前で、動かずに立っていた。


「ユハンさん?」


 声をかけると、少年は振り返った。さっきまで質問で輝いていた顔から、光が落ちていた。


「……北の村の、急ぎの護送依頼です。三日前に出て、もう取り下げられてます」


「取り下げ?よかったじゃないですか、解決したなら」


「間に合わなかったんです」


 ユハンは依頼書を見たまま言った。


「熱病の子供に、街の薬を届ける依頼でした。報酬が安くて、受け手がつかなくて。……薬が、届かなくて死んだそうです」

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