↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
98/100

第98話:式は、若木が芽吹く春に

 翌朝、店は開けた。


 開けたのだが、最初の患者が入ってくるまでに、半刻かかった。戸の前に人が詰めかけて、患者が通れなかったのである。


「先生! おめでとう!」


「おめでとうございます! 先生、閣下にはどう言ったんです!」


「対価が一生ってのは、本当かい!」


「……皆さま。お祝いはありがたく頂戴いたします。ですが、列の後ろに、腰を押さえたマーサさんが見えますので、道を空けていただけますか」


 マーサは祝いの列に並んでいたら腰をやったのだという。いつもの湿布と、三日の安静。めでたい日の腰痛は、めでたくない日の腰痛と同じ処方だった。


  *


 街の祝いは、三日続いた。


 ゴルドは祝いに、調剤台の金具を新しく打ってきた。二年前、開業の日に打ったものと同じ型で、一回り頑丈に。「一生使うんだろ」と言って、照れて、すぐ帰った。


 マーサの長屋は、祝いの布を織った。織物長屋の女たちが夜なべで織った、ティールの地に銀の花の刺繍。私のエプロンと、同じ色だった。「式の日に、肩に掛けな」と、マーサが湿布を貼ったまま言った。


 カイルは、閣下の花婿修行と称して、辺境伯邸の台所に私を案内し、閣下が自分で淹れられる茶は三種類しかございません、と真顔で申告した。ヴァイスが後ろで、咳払いをした。


 山の民の長老は、祠の前で短い祈りを捧げ、それから言った。


「式は、いつだ」


「春に。……二代目さまの若木が、芽吹くころに」


 長老は頷いた。


「若木の下でやるがよい。継ぎ目の木の下で結ばれた者は、森と同じだけ長く続く。……言い伝えだ。当てにはならん」


「当てにはならなくとも、ありがたく」


  *


 王都からの祝いは、早馬で五日後に届いた。


 一通目。王太子アロイス。短い文だった。


 ――祝意を。三条は回っている。君がいなくても回るように書いた条文だが、君が幸せでいるほうが、回りはよい気がする。


 二通目。聖女ミレーユ。長い文だった。苗の数字を黒板に書いた話、救護院の庭の東の谷の薬草が冬を越した話、辺境で見た森番小屋の天井の話。最後の一行。


 ――式には、必ず参ります。祈りは苗には効きませんが、式には効くかもしれません。数えてみましょう。


 三通目。宰相。一行だった。


 ――嬢や。席は空けたままにしておく。埋めに来るなよ。ついでに、祝いじゃ。


 四通目は、ユリウスだった。几帳面な字で、王都検品長としての公務報告が三頁、最後の半頁に、私事の祝いがあった。絵心のある弟子は、文の端に、小さな絵を添えていた。調剤台の前に立つ二人の、後ろ姿だった。


  *


 五通目は、封蝋が違った。


 公爵家の紋。グランヴェル。二年と少し前、私を王都から出した家からの、初めての文だった。


 私は文を開いて、読んで、畳んだ。


 短い文だった。婚約の報を受けた。辺境伯家との縁組を、公爵家として異存なく承認する。式には、名代を遣わす。……それだけだった。謝罪も、言い訳も、二年の空白への言及も、なかった。


「……どうした」


 ヴァイスが、私の手元を見て言った。


「実家から、でございます。承認する、と」


「それだけか」


「ええ。それだけです」


 私は、文を他の四通の上に重ねた。五通、同じ高さに。


「それで、よいのです。この家とは、これで、帳尻が合いました。……承認していただいたのですから、式の日に名代の方を、お迎えいたします。それだけの話です」


 ヴァイスは、何か言いかけて、やめた。やめて、ただ、私の肩に手を置いた。置いた手は、軽かった。


「……貴女の家は、ここだ」


「存じております」


 湿らせない。湿らせると、薬包の中身が駄目になる。二年前に、そう決めて、この街へ来た。


  *


 冬の終わりが近づいていた。


 店の仕事は変わらない。十七人の弟子の栄養剤は、いちばん早い者で七回目の失敗に入った。ノエルの検定所には、王都から新しい判を彫りに職人が来た。リタは毎日、森へ通った。


 そして、その日の夕方。


 リタが、いつもより早く、森から戻ってきた。


 走ってはいなかった。歩いて、店の戸を開けて、しばらく、戸口に立っていた。


「……師匠」


「リタさん。どうしました」


「聖樹さまの金色。……今日、また、細くなった」


 私は手を止めた。


「二代目さまは」


「濃くなってる。すごく。聖樹さまから渡ってきてる分だけ、濃くなってる。……でも、聖樹さまは」


 リタは、言葉を切った。森の見守り番は、もう、その先を知っている顔をしていた。


「……師匠。春までに、渡し終わっちゃうんじゃないかな」


 私は、リタの前に膝をついた。


「ええ。そうかもしれません。……リタさん。渡し終えることは、患者さまの望みです。私たちが最初に診療録に書いた、『継いで』の意味です」


「わかってる。……わかってるけど」


 十四の見守り番は、唇を噛んで、泣かなかった。


「春が来るの、少し、こわい」


 私は、診療録を開いた。今日の所見を書く前に、一行、前の頁を読み返した。処方、植えること。休ませること。継ぐこと。


 式は、若木が芽吹く春に。


 その春に、聖樹の金色が、どうなっているか。私は、まだ、診療録に書いていなかった。

街の祝いは三日。王都からの祝いは四通と、公爵家からの短い一通。「承認する」――それだけで、帳尻は合いました。


けれど聖樹の金色は、二代目さまへ渡るほどに細っていきます。次回、第九十九話「患者さまは、次の千年へ」。三度目の春。芽吹きと、見送り。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。